第11話:豊の変化
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豊が前髪を切ってきたのは、プールから三日後のことだった。
登校してきた豊を見た瞬間、私はすぐに気づいた。
ほんの少しだけ、目が隠れるまで伸びていた前髪が、眉の少し上あたりで整えられている。少しの変化ではあるが、それだけで印象がずいぶん変わって見えた。
(……やっぱり、思った通りの美少女だったわ)
内心でくすりと笑った。
あの日、私が「前髪もう少し切ったほうが可愛い」と言ったのは、言葉半分だった。
本当にそう思ってはいたけれど、あれだけで行動に出るとは思っていなかった。
もし動かないようであれば別の手を打とうと思ったが、
思ったよりも豊に対して影響があったようだ。
豊はチラチラとこちらを見ながら、自分の席に座った。
(昼休みにでも声をかけに行こうかしら?)
少し焦らすくらいがちょうど良いと考え、私は午前中の授業を過ごした。
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昼休みに豊の隣に腰を下ろすと、豊がびくっと肩を揺らした。
「豊ちゃん。前髪、切ったのね!」
「うん。どうかな...?」
「可愛いわよ。目元が見えると顔が全然違う」
豊は赤くなりうつむいた。でも口元は笑っている。
「自分で切ったの?」
「ううん。お母さんに頼んで...」
「そうなんだ。お母さん上手ね!気づいてる?ずいぶん印象が変わってるって」
「そうかな?自分ではあんまり分からないけど...」
(ここが問題なのよね...)
この子は基本的に自分に対して自信がない。
前髪で隠し続けてきたから、そもそも素顔で人に見られることに慣れていない。
鏡の前でまともに自分の顔を見たことすら、ないんじゃないかと思う。
「ねぇ、今日うちに来ない?」
「えぇ...!?」
豊が驚いて顔を上げた。
「髪の整え方も教えてあげるし、結んだり下ろしたりのアレンジもいくつか試してみましょ。あと軽いメイクの練習もうちならできるわ」
豊はしばらく何も言わなかった。
「……い、いいの?」
「ええ、私が来て欲しいから誘ったのよ。それとも何か予定あった?」
「ううん、何もないよ。なら、お邪魔させてもらおうかな...」
豊がまた口元を緩ませて、小さくうなずいた。
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放課後、帰ろうと思い豊ちゃんの元へ向かおうとすると、シンくんとイツキくんが声をかけてきた。
「おう、愛鈴。今日バスケしに行かない?コート、空いてるって」
イツキくんが言った。シンくんは隣でちょっと期待したような顔をしている。
「ごめんなさい、今日は豊ちゃんと用事があるの」
「豊ちゃん?」
「そう、牧瀬豊ちゃん。最近仲良くなったの。バスケもいいけど、今日は先に約束してたからごめんね。また今度一緒にしましょ」
そう言って私は鞄を持った。
(これまで二人にかかりっきりだったし、たまには引いてみるのも手よね)
いつでも手が届くと思わせると、飽きられる。
少しだけ手の届かないところに置いてみせると、人は案外気になり始めるものだ。
廊下に出ると、後ろからイツキくんの「つまんねーの」という声と、シンくんの静かな気配が続いてきた。
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豊と二人で歩いて帰りながら、私は隣を歩く豊を横目で見た。
いつもひとりで帰っていたはずの子が、隣にいる。
豊は最初ずっと黙っていたけれど、家が近づくにつれて少しずつ話し始めた。
最近読んでいる本の話、帰り道で見かけた野良猫の話——静かで控えめな話し方だったが、話題は止まらなかった。
(この子、話し始めると止まらなくなるタイプかしら?)
一人でいることに慣れすぎて、おしゃべりする機会が少なかっただけなのだろう。
「着いたわ。ここよ」
うちの玄関を開けると、豊がきょろきょろと周りを見渡した。
「……大きくて広いね」
「そうかしら」
「うん、なんか愛鈴ちゃんちって感じがする」
「あはは、それどんな感じよ」
「……上品でいい香りがして落ち着く感じ」
私は笑って、豊を部屋に案内した。
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部屋に入ると、豊は辺りを眺め始めた。
棚に並んだ小物を見たり、窓から外を見たり。
私はその間に鏡を正面に向けて、化粧品の入ったポーチを出した。
「座って。まず自分の顔をちゃんと見てみましょ」
豊は少し躊躇いながら鏡の前に腰を下ろした。
「ちゃんと自分の顔、見たことある?」
「……あんまり」
「じゃあ、見てみて?」
豊が恐る恐る鏡を見た。しばらく、そのままでいた。
「……」
「どう?」
「……なんか、こわい」
「自分の顔が?」
「うん。自分の顔好きじゃないし...」
「私から見たら、素材はかなりいいと思うわよ」
豊が目を丸くしてこちらを見た。
「……ほんとに?」
「本当に。だから声をかけたの」
豊がまた鏡に向き直った。今度は少しだけ、真剣な顔で。
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まずは眉の話をした。
整えるだけで顔の印象が変わること、毛の流れに沿ってぼかすだけでいいこと。
次に、リップクリームとほんのり色のつくグロスを試してみた。
豊は鏡を食い入るように見て、小さく「……すごい」とつぶやいた。
髪のアレンジに移ると、豊はさらに目を丸くした。
後ろで束ねてやると、首筋が出て輪郭が際立つ。
横から見ると、耳のかたちも綺麗だった。
「……え?」
「どう?」
「……自分じゃないみたい」
「いい意味で、でしょ」
「……うん。なんか、別人みたい」
(この子、本当に化けるわね)
大したことは何もしていない。
髪をまとめて眉を少し整えさせただけだ。それなのにこれだけ変わる。
(これからが楽しみね)
次は緩めのハーフアップを試した。
前髪を少し残したまま上半分だけ束ねると、さっきとはまた違う雰囲気になった。
豊はそのたびに鏡の前で固まり、「……かわいい」「……ほんとに私?」とぽつりぽつりとつぶやいた。
その横顔を見ながら、
私はひそかに次の手を考え始めていた。
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しばらく豊の髪型を変えて楽しんでいると、玄関が開く音がした。
「ただいまー」
お母さんの声だ。
買い物袋のがさがさという音がして、しばらくしてから部屋のドアをノックする音がした。
「愛鈴、入るわよ」
「どうぞ〜」
ドアが開いて、お母さんが顔を出した。
我が母ながら、背が高くて、スタイルのいい人だ。
服飾関係の仕事をしているから、いつも洗練された雰囲気がある。
部屋の様子を見渡してから豊に気づいた瞬間、表情がぱっと明るくなった。
「まあ、お友達?」
「うん。豊ちゃん。クラスメイト」
「は、はじめまして。牧瀬です」と豊がぺこっとお辞儀をした。
「まあ可愛い子ね。よく来てくれたわね」
お母さんが化粧品やポーチの並んだ鏡台を見て、「メイクの練習してたの?」と聞いた。
「そう。豊ちゃん、素材がいいのに全然磨いてなかったから。お母さんにも見てもらおうと思って」
豊がこちらをちらっと見た。
「ふふ、じゃあちゃんと見てあげるわね」
お母さんが豊の前に腰を下ろして、顔をじっくりと眺めた。
それから立ち上がって、全体のシルエットを見渡した。
「骨格がしっかりしてて綺麗だわ。プロポーションもいいじゃない」
豊が少し身体を縮めた。
「お母さん、服のこともアドバイスしてあげてくれない?豊ちゃん、なかなか合う服が見つからないって」
私がそう言うと、豊がびくっとこちらを見た。
「ええ、もちろん」お母さんが豊に向き直った。
「体型に合ったサイズって、最初は難しいのよ。私もね、豊ちゃんくらいの頃から大きくて苦労したから」
豊がお母さんのシルエットをちらりと見た。
「下着からちゃんと合わせると全然違うんだけど、私仕事でいろんなお店を知ってるから、ちゃんと相談に乗ってもらえるところに連れて行ってあげられるわ。豊ちゃんのお母さん、一緒に行けたりしない?」
豊がしばらく黙った。
「……お母さんは、あんまり、おっきくないから」
「そっか」お母さんがやさしい顔でうなずいた。
「じゃあ相談しにくかったわね」
豊はうつむいて、小さく「……うん」と言った。
「なら、今度の週末に私と愛鈴と三人で行かない?下着も服も、一緒に選んであげるわ」
豊はしばらく黙っていた。
目が、じわりと潤んでいた。
「……いいんですか?」
「もちろん。愛鈴の友達だもの」
「......はいっ、お願いします」
豊はうつむいて、また小さくうなずいた。
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豊が帰ったあと、私は部屋の鏡の前にひとりで座った。
今日だけで豊はずいぶん変わった。髪をまとめて眉を少し整えて、グロスを塗っただけで。
週末のショッピングが終わったらーー服が変わり、下着が変わり、姿勢が変わったら。
(クラスのみんなは、どんな顔をするのかしら)
鏡の中の自分が、にやりと笑っていた。




