第10話:水面のこちら側で
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私が愛鈴ちゃんを最初に見たのは、小学一年生の入学式だった。
体育館の前の方に、綺麗な黒髪の子が立っていた。
背筋が伸びていて、緊張した顔はしていなくて、周りをきょろきょろと見渡していた。
そのうち隣の子に話しかけて、すぐにクスクスと笑い出した。
(すごい子だな...)
自分とは住む世界が違う、キラキラした女の子だと思っていた。
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愛鈴ちゃんとは一年の頃からずっと同じクラスだった。
愛鈴ちゃんはいつも誰かと一緒にいる。
男の子も女の子も関係なく、自然と人が集まってくる。
私はその輪の外から、ただ彼女を眺めていた。
私は友達を作るのが苦手だ。何を話せばいいかわからない。
でも、別に一人がそんなに嫌いなわけじゃない。
むしろ他人に気を使うくらいなら、
一人でいたほうが楽かもしれないと自分に言い聞かせていた。
でも、なぜか愛鈴ちゃんのことだけは、よく目で追っていた。
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四年生になり、その理由が少しだけわかってきた。
おそらく私は愛鈴ちゃんが好きなんだと思う。
でも、クラスの子たちが「好き」と言う時とは、なんか違う気がする。
男の子への「好き」とも、お友達への「好き」とも違う。
私には愛鈴ちゃんへの好きがどう違うのか上手く言葉にできなかった。
ただ、愛鈴ちゃんが笑うのを見るだけで、胸のあたりがぎゅっとなる。
歩く姿を見るだけで綺麗だと見惚れてしまう。
声を聞くだけで...。
そういうことが、ずっと続いていた。
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ある日の昼休み、いつも通りクラスのこと話している愛鈴ちゃんを眺めていると、
愛鈴ちゃんが突然私のところに向かってきた。
「ねぇ、牧瀬さんって」
名前を呼ばれただけで、びくっとした。
「よく私のこと見てるよね?」
頭の中が真っ白になった。
見てたのがバレてた!恥ずかしくて、消えてしまいたかった。
「別に嫌とは言ってないわよ?」
愛鈴ちゃんがそう言ったことで、少し息ができた。
その後のことは動揺のあまり覚えていないが、
愛鈴ちゃんは「また話しかけてもいい?」と言って去っていった。
背中を見送りながら、私はずっと心臓がうるさかった。
また来てくれるんだ。
この鼓動が動揺なのか嬉しさなのか、はたまた恥ずかしさなのか、
この時の私にはわからなかった。
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五年生の夏、プールの授業が始まった。
私はプールの授業が嫌いだった。
プールというよりは水着になることが嫌だったのだ。
元々私は周りの子に比べて成長が早かったらしく、
四年生になったくらいから胸が大きくなり始めていた。
5年生となった今ではおそらく学年で一番大きいだろう。
最初のうちは姿勢や腕で隠せていたが、今はどうしても隠しきれない。
更衣室で着替える時、誰にも見られないように一番早く着替えるが、プールサイドに出たら全部見えてしまうので結局一番最後まで教室に残っていた。
プールに出てくると、反対側にいる男子たちがこっちを見て笑っているのがわかった。
声は届かなかったけど、なんとなく何を言っているかは想像できた。
私は腕を交差させて、なるべく胸が見えないよう隠して俯いた。
その時、近くから声がした。
「ねぇ、豊ちゃん。ちょっとこっち来て」
愛鈴ちゃんだった。
なんだろうと思いつつ、用具入れに向かっていく愛鈴ちゃんを見て、
この場から離れたかった私は彼女についていくことにした。
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用具入れの陰に入って、ふたりになった。
「腕、離してみて」
突然のことで一瞬何を言っているのかわからなかったが、
胸に被せた腕のことだろう。
「……やだ」
彼女に対して否定的なことを言いたくはなかったが、羞恥心が優ってしまった。
「誰も見てないわよ」
見られていなくても、先ほどまで見られていた感覚が残っていて、私の身体を縛り付けていた。
「……だって、みんな笑うから」
自分でも自意識過剰な言い訳だとは思ってる。自分で自分が情けない...
そんな私に、男の子が笑ったのは照れ隠しだと、愛鈴ちゃんは言った。
私の胸がおかしいんじゃないと。
本当にそうなのかな、とは思った。
でも愛鈴ちゃんが言うなら、そうなのかもしれない。
愛鈴ちゃんの言葉は、いつもそういう人を動かす力がある。
「豊ちゃんの胸、触ってみてもいい?」
意味がわからなくて固まった。
私の胸を、触る...?愛鈴ちゃんが...?
「私のも触っていいから」
その言葉を聞いた瞬間、おそるおそる私の腕が勝手に下りた。
私の胸のことはどうでも良くなってしまい、
愛鈴ちゃんの胸を触れるということに意識が全て向いてしまったのだ。
そして私は言ってしまった。
「……愛鈴ちゃんなら、いいよ」
愛鈴ちゃんの前に胸を差し出すと、彼女の手がゆっくりと向かってきて、私の胸に触れた。
愛鈴ちゃんの手が触れた瞬間、身体中に電流が走ったように震え、頭の中が変な感じになった。
恥ずかしいのか、嬉しいのか、くすぐったいのか、よくわからなかった。
でも一つだけ言えるのは、嫌じゃなかった。全然、嫌じゃなかった。むしろ...
しばらく私の胸を触っていた愛鈴ちゃんが手を離して、「それも含めて豊ちゃんよ」と言った。
その声が、やわらかかった。
でも私は身体に彼女の手の余韻が熱く残っており、心臓は破裂しそうなほど振動していた。
今度は私の番だ。触りたかった。お願いする前から、ずっとそう思っていた。
「いい? 私も...」
声がほとんど出なかった。でも絞り出して言った。
「もちろん。言ったじゃない、触りっこだって」
そう言って愛鈴ちゃんが私の前に胸を向けてくれた。
私は荒い息を懸命に抑えて、彼女の胸にそっと触れた。
柔らかかった。私のより小さいけど、でも確かにあって、温かくて...
気づいたら、夢中になっていた。止められなかった。
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「豊ちゃん?」
愛鈴ちゃんに名前を呼ばれて、ハッとした。
自分が何をしていたか思い出し、顔が燃えるように熱くなる。
「ご、ごめんなさい……!」
慌てて手を引いたら目から涙が溢れた。
どうして泣いているのか、自分でもよくわからない。
「大丈夫?」
愛鈴ちゃんがそう言って私の頭を撫でてくる。
小さくて柔らかな女の子らしい手が、頭に触れとても気持ちいい。
「豊ちゃんって前髪もう少し切ったほうが可愛いと思うな」
前髪を掻き分けて愛鈴ちゃんはそう言った。彼女の真っ直ぐな目が私を覗いてくる。
「...っ!」
何か言わなちゃ、そう思った瞬間、遠くから先生の声が聞こえてきた。
「もう授業終わりみたいね。行きましょ」
愛鈴ちゃんに手を引かれて立ち上がりみんなの元へ戻っていく。
私は愛鈴ちゃんの隣を歩きながら、ずっと鳴り止まない心臓の鼓動を手で押さえつけていた。
(私、愛鈴ちゃんに恋してるんだ...)
前よりずっと、はっきりとそう思った。
女の子が女の子を好きになるのが変だなんて、もう思ってはいなかった。
だってこれが、私の中にずっとあった想いだから。




