93.エイヴスの歴史
北西に暗き影……争いの芽となり得るもの。
その予言は、確かにエルフとの諍いを暗示しているようにも思える。
エイヴスの北西に広がるのはクレイス原生林。そしてその奥地にて、エルフは外部の者を寄せ付けずに生きているのだから……。
「……あの、すみません」
そこでおずおずと手を挙げたのは、イオナだった。
メルシオネ教官から事前に、気になることがあれば質問すればいいとは言われていたが、実際にするのは躊躇ってしまうものだ。
それを怖気づかずに出来たのは勇気あるチャレンジと言えた。
「アンドルーさんも仰っていたように、他国の私たちにはエイヴスの文化がよく分かっていなくて。エルフとヒトの問題は、かなり長期に亘る根深いものなんですか?」
ロウディシアにも、種族の違いによる分断は存在する。
しかし、この世界の問題を全く同質なものと捉えるのは浅慮だ。
違う世界なら、違う世界の背景がある。
問題がそこに起因しているのなら、知っておくのも悪いことではない。
「私も時折エイヴスには来ていますし、地理や土地柄など表面上のことは知っているつもりですが、その歴史を深く見聞したことはないですね。仮にバランくん――見習いの子たちがエルフの方々に捕えられているなら、エルフ側の事情を知っておいた方が交渉でプラスに働きそうです。事前知識として、ぜひとも教えていただきたいものですが」
メルシオネ教官もイオナの意見に賛同する。
もちろんアンドルーさんに時間があれば、という補足はしつつ。
「私の方はちょうど手が空いているから、お話するのに問題はない。……少々長くなるが、構わないかな?」
「ええ、こちらからのお願いですし」
アンドルーさんは頷き、エイヴスの歴史――ヒトとエルフの歴史を語り始める。
「エルフとヒトの対立構造はアーテミーの成立時点から既に存在するようで、実に二百年以上も続く問題ということになる。二種族間には基本的な価値観の違いがどうしてもあってね……エルフは自然を愛し、その長い寿命の中で自然に寄り添って穏やかに過ごそうとする無欲な種族。対してヒトは、エルフよりも短い寿命の中で豊かな、恵まれた生活を追求する欲の強い種族だ。そのどちらが良いかという問題ではなく、ただ信条の問題として、エルフとヒトはその違いから積極的な交流を行わずに長い時を重ねた」
自然を愛するエルフには、技術発展のため自然を乱すヒトが疎ましく思えただろう。
繁栄を愛するヒトには、いつまでも進歩せず批判ばかりのエルフが疎ましく思えただろう。
根本的な考えが異なる種族では、歩み寄る第一歩というのがきっと、果てしなく遠い。
「ヒトはこのアーテミーで、エルフはクレイス原生林の奥地に存在するアンパッサという里でそれぞれ暮らしていた。しかし、あるときエルフの中にも技術の進歩に興味を持つ者が出てきたようだ。そうした者たちは里を離れ、ヒトと交流する道を選び始めた。当然ヒトを良しとしない里のエルフには、もう同じ一族ではないと絶縁されてしまったようだが」
「とすると、住処を追われたそのエルフたちはアーテミーに住み始めた?」
「そうだ。アーテミーへやって来たエルフたちは積極的にヒトと交流し、時には結婚し、子を成すようにもなった。後に彼らは融和派と呼ばれるようになり、対してヒトとの交流を頑なに拒む森のエルフは古典派と呼ばれるようになったのだよ」
さっき古典派、とアンドルーさんが口にしていたのはこのことだったわけだ。
融和派と古典派か。異種族へ歩み寄ることによって、同種族内で新たな対立が出来てしまったのは悲しいことだが。
「ヒトの方にも、エルフを肯定する人とそうでない人がいたんじゃないんですか?」
オレも勇気を出して質問をしてみる。アンドルーさんはそうだね、と相槌を打ってから、
「ヒトの方も始めは肯定派、否定派とあったものだが、早々に割り切ってしまった。交流をするエルフとは交流し、そうでないなら近づかない、それだけだとね。だから現在でも、街に住むエルフが差別されるなどということはない。融和派という呼び名の通り、この街の民として当たり前のように生活することが出来ているよ」
「それは良かったです。確かに、街の中で険悪な雰囲気はまるで感じませんでした」
アーテミーに住むエルフは皆、問題なく受け入れられている。その点はホッとするところだ。
「一方で、古典派はヒトとの交流を拒み続けた。更に言えば、融和派のエルフがアーテミーに暮らし始めたことで、拒絶の対象が里以外の全ての人間となった。彼らは外から訪れる者には容赦なく攻撃するようになり、断絶はより深まった……」
容赦なく攻撃する……か。
そのスタンスが現在でも続いているなら、バランたちが無闇に足を踏み入れた結果として襲われたというのは、十分あり得る話だ。
「我々アーテミーの民は、君たちが異国から遥々やって来ていることを理解しているし、資源の取引や魔物の討伐など行ってくれる友好国だと感謝もしている。しかし、古典派のエルフはそんな事情を知らない者がほとんどだ。怪しい侵入者がいれば、どのような者であろうと弓を向けることだろう」
「……そうなると、対話自体がかなりハードルの高いことなのでは?」
メルシオネ教官が眉をしかめて言う。
話し合いに持ち込めるならまだ余地はあるのだが、何も聞き入れてもらえないならどうしようもない。
最悪、バレないように忍び込んで……ということすら検討しないといけなくなりそうだが。
「難しいのは事実だ。ただ、ある時期から古典派との繋がりを作ることが出来てね。何を隠そう、相談役である顧問魔術師は古典派エルフを統率していたリーダーの血筋なんだ」
「え? じゃあヒトを拒んでいた派閥のトップが、突然意見を翻したんですか?」
魔術師の意外な素性に、驚いたルカがそう訊ねる。
「少し事情は複雑なんだが、顧問魔術師の制度は先代……私の父が作ってね。当初就任したのは融和派のアッシュ=マナリーというエルフだった。彼には兄がいたものの、そちらは古典派のリーダー的存在であり、兄弟は袂を別つことになったんだ。ところが五十年ほど前、リーダーの息子だという男がアーテミーにやって来た。それが今の顧問魔術師、ディオン=マナリーだった」
五十年前というと、かなり昔のことではある。
ただ、ヒトとエルフが入り混じるこの世界では、オレが思うよりも短い時間なのかもしれない。
「ディオンは古典派の父からその思想を強く叩き込まれたようだが、それがかえって彼に疑問を抱かせた。彼自身、技術というものに興味を持っていたこともあり、いつしか父親への反抗心を募らせていったんだね。そして父親の死後、彼は意を決して里を飛び出した。アーテミーを、そしてそこに暮らすヒトを知るために……」
父親が古典派を仕切っていた人物なら、その息子も跡継ぎとして期待されていたはずだ。
その期待の眼差しを裏切ることになるわけだから、ディオンさんの行動はとても勇気のいることだっただろう。
それでも彼は、知りたいと願った。
だから勇気を振り絞り、里を飛び出した……と。
「アーテミーへやって来たディオンを父は歓迎したし、当時の顧問魔術師も当然に喜んで迎え入れた。やがて意気投合した彼らは、ちょうどアッシュ氏が高齢だったこともあり、次期顧問魔術師をディオンにすることを決定したんだ」
いやはや、数奇な人生というか何と言うか。
ディオンさんのそれは、見事なまでの転身だった。




