59.異世界コリンシア
自分の体が、吹き荒ぶ風の只中へ落とされたような感覚。
攪拌され、収縮し、また散り散りにされて。
肉体という概念とは何なのかと考えさせられる、奇妙な感覚だった。
視界は眩しく、或いは暗く……幾度も明滅を繰り返しながら、少しずつ何かが形作られていく。
緑――これは、木々の色だろうか。
やがて、何重にもブレて見えていた世界が一つに集束していく。
そこに待っていた風景は、果たして森の中なのであった。
「ってて……」
初めての転移。乗り物酔いのような気持ち悪さと、軽い頭痛を感じてしまった。
周りを見ると、結構な生徒たちがオレと同じような状態に陥っているらしい。
平気そうにしているのはイオナ、エスカー、フェイ……って、オレのチーム結構平然としているヤツが多いな。
「遅れずに付いてきてくれましたね。流石は皆さんです」
前方にメルシオネ教官が立っていた。当然ではあるけれど、彼もケロリとしている。
場数を踏めば、オレも転移酔いをすることはなくなるのだろうか。
「メルシオネ教官、ここは……?」
「はい。基本的にワールドスクリプトの転移先には、オリーブ丘陵で見たような活動拠点を造っています。いつでも退避出来る安全な場所が無くては、異世界で安心して活動出来ませんからね」
エレンちゃんの質問に、メルシオネ教官はそう答えた。
……なるほど、周囲をぐるりと見回してみると、森の中かなりの面積を切り拓いて作った拠点であることが伺える。
五、六人ぐらいで寝泊まり出来そうな木造のコテージが四つ、煉瓦造りの窯が数基並んだ調理場も造られ、近くには湧き水なのだろう、透き通って底まで見える水場もある。周辺はとても水質が良いらしく、調理場の真横には井戸まで掘られていた。
「新たに発見された異世界だとこういう風にはいきませんが、アルカード星書院に既に収蔵されているワールドスクリプトについては、規模に差こそあれ転移先に拠点があるものと考えてくれて大丈夫です」
「こういう場所があるってだけでも確かに安心やなあ……」
エステルちゃんがしみじみとそう呟いた。
実際、ここが何もない大自然の中だったとすると、不安になることは間違いないだろうからな。
「ちなみに拠点を造るのには他にも、帰還地点である場所を分かりやすくするというのと、帰還時に使うゲートを保護するという意味合いもあります。後ろを見て貰えればほら、そこに同じものが設置されているでしょう?」
その言葉に促されて後ろを振り向くと、そこには星書院でオレたちが接続したあの本と同じものが浮かんでいた。
地面には、星書院のものと同じ台座もある。つまり、帰るときにはまたこのゲートにコネクターを接続するわけだ。
「保護って……これ、壊されたりするんですか?」
エレンちゃんが不安げな表情で訊ねると、
「余程のことがない限り、この転移門が壊されることはありません。外部からの干渉を拒絶する障壁が生じていますからね。悪魔級――いえ、魔王級の魔物でも現れない限りは帰れなくなることを懸念する必要は無いでしょう」
とは言え、完全に破壊されないというわけでもないらしい。魔王級の魔物、か。危険度の少ないワールドスクリプトで発生することはほとんど考えられないのだろうけど、翻って言えばランクが上がるほどに拠点防衛の重要度も上がるということだ。
「もちろん、ワールドスクリプトを持ち出そうなんてことも出来ませんよ。人間による接触も弾かれてしまいますから」
まあ、それは説明するまでもないこととは思うが。……悪戯心でそれを取ってしまおうなんてヤツ、いるのかな。
イマジネーターの長い歴史の中、そういう悪ガキの一人か二人はいたのかもしれないが。
「こちらの異世界……コリンシアは、危険度ランクが『平和』と定義されていて、住民たちも寛容な方ばかりなのでイマジネーターの訓練を許してもらっています。危険度ランクとは魔物ランクと同様、議会・学園・請負人ギルド・そして教会の協議によって決定されたもので、七つの段階に分けられています」
教官の説明によれば、危険度ランクとは以下の七つ。
平和……魔物自体がほとんど出現せず、出現したとしても問題なく対処出来る。
注意……時折強力な魔物が出現する。適宜対処出来る者を必要とする。
警戒……強力な魔物が頻出する。常時対処出来る者を必要とする。
危険……強力な魔物が跋扈、悪魔級の魔物も出現。世界に何らかの異常が発生している事を疑う事態。
厄災……悪魔級の魔物が跋扈、魔王級の魔物が存在する危険。異常発生の可能性が高い。
冥府……魔王級の魔物が跋扈。明らかな異常事態。存続のためには緊急で対処する必要あり。
終局……既に生命活動の希望無き世界。ほどなく世界としての寿命が尽きる。
一目瞭然ではあるが、下に行くほど危険度ランクが高く、魔物も強くなる。
ただし終局世界については生命に必要なマナが枯渇するために、魔物すらも存在しなくなるのだとか。
ちなみに、何度か話題には上っているが、魔物の強さは以下のようなカテゴライズらしい。
無害……敵意もしくは害が無い。
低級……敵意あり。ただし一般人でもある程度の力があれば退治可能。
中級……有害。イマジネーターやコンストラクターによる退治を要する。
上級……危険。熟練のイマジネーター、コンストラクターによる退治を要する。
悪魔級……災害レベル。熟練のイマジネーター、コンストラクターによる討伐が急務。
魔王級……世界を滅ぼし得る存在。全戦闘力を以ての討伐が絶対。
オレたちが昨日苦戦したファットラットでさえランク付けは低級だというので、悪魔級や魔王級というのは想像を絶する強さなのだろう。
今の状態で仮に出会おうものなら、全力で逃走を図ったとしても果たして何秒命があるのかというところ。逃げ切るのは多分、不可能だ。
「……それで教官。俺たちはこのコリンシアという世界で何をすればいいんだ?」
早く本題に入ってほしそうなバランが問いかけ、メルシオネ教官はそうですね、と言ってから、
「コリンシアのカテゴリは『平和』ですが、やはり魔物が出現する場合はあります。周期的には年に一度くらいなので、その度に討伐の依頼が学園に入ってくるのですね」
「それは、コリンシア側から?」
「ええ、コリンシアの村から直々に。文明の発展がロウディシアよりも遅く、一番大きな人の集まり、そして政治的な決定権を持つのがコリントスという村なのです」
村レベルの集まりが、この世界で一番影響力のある場所なのか。ロウディシアとは大違いだ。
まあ、本の中の世界というくらいだから、ロウディシアよりも広い、或いは発展した世界というのは滅多にないか、或いは存在すらしないんじゃないだろうか。あったとしたら、現実世界のアイデンティティが脅かされることになるだろうし。
「上位世界にあたるロウディシアは基本的に、異世界側からの要望が無い限りは接触を最低限としています。異世界の文化に大きく影響を与えてしまうと、その世界がロウディシアに依存することになりかねませんから。ギブアンドテイク、という良好な関係を維持したいのが我々の考えです」
ただ、とメルシオネ教官は付け加える。
「たとえ友好世界だとしても、危険と判断した魔物が出現した場合にはロウディシア側の判断で異常を正す措置もとります。放置しておくと、いずれはロウディシアにも必ず悪影響が出ますからね。こうした緊急出動による魔物討伐については、さながら本の誤植を直すような処置であることから『校正』と呼んでいます。ワールドスクリプトの校正を開始します、というような号令で危険な地に旅立ったりするのですね」
昔を懐かしむように――或いは最近のことなのかも――メルシオネ教官は告げた。
校正、か。本の誤植を直すようなという表現は面白いが、イマジネーターにとって校正とは命懸けの作業であるというわけだな。
「まあ、今回はそのような事案ではありませんのでこの辺りにして。……我々に入ってきている依頼は、ブラッドベア十体の討伐です。『平和』ランクに出現した魔物としては最上位のレベルでしょうね。この実地訓練では、各チームに一体ずつブラッドベアを討伐してもらおうと思っています。余りが一体出ますが、それは私が対処しますので」
各チーム……つまり新入生九チームで一体ずつ、計九体のブラッドベアを倒すのが今回の目標か。しかし、チームで倒すものを一人で対処しておくとさらっと言われると、力の差を思い知らされる。
「魔物一体の討伐なら簡単では、と思うかもしれませんが、今回は討伐を含め異世界での活動そのものが訓練ですので、ちょっとした課題も加えさせていただこうかと」
「課題?」
ルカが首を傾げる。
魔物の討伐に条件でも付けるんだろうか。昨日のファットラットのように、ボス級じゃないとダメとか。
「本日、皆さんへの昼食は用意していません。それがどういうことか分かりますね? つまり、皆さんはこの世界で食料を確保して昼食を作らなければ食事が出来ないのです。食糧確保と自炊、サバイバルにおいて重要なこれを、課題として皆さんにこなしてもらいます。もちろん評点にも影響しますから、昼食は必要ないなどと言わないように」
――そうきたか。
昼食をどうするのか、というのは薄々気になっていたことだ。それを訓練に絡めてくるとは。
立派な調理場があるし、オレたちのチームなら料理も問題無さそうに思えるが……重要なのは、異世界で食べられるものを確保出来るかどうか、だな。
テスタマイザーの機能や、オペレーターからの情報を駆使して探すのが必須になるだろう。
「ブラッドベアを捜索しつつ食料を確保し、正午にはここへ戻って昼食を作る。そして午後からはまたブラッドベアの討伐にかかる……そんな流れですね。なお、午前中でブラッドベアを倒すことが出来た場合は午後から自由時間とします。帰還していただいても、コリンシアを散策していただいても構いません。ただ、現地の住民に会いに行くのは控えてくださいね」
接触を最低限にしていると言ってたし、それは当然の忠告だな。進んで会いに行こうとは、オレは思わないが。
しかし、午前中に終われば午後は自由時間か。もしそうなったらどうしようかな。……なってから考えた方がいいか。
「ふん……さっさと終わらせて帰るとしよう」
バランはまた強気な発言をしている。彼の実力で言えば余裕で倒せるかもしれないけれど、見つけられるかどうかも重要なポイントだ。
いつまでも見つからない、なんてことにならなければいいな……オレたちも。
「では、ワールドスクリプトでの実地訓練を開始します。皆さん、頑張ってください」
掛け声とともに、オレたちはチームでまとまって拠点を出発する。
ブラッドベア討伐、そして食料確保の二大目標達成を目指す訓練のスタートだ。




