308.後日、教会の一室で
「――と言った次第で、式典は終了いたしました」
やや硬い表情のまま、アディ=メイルはイース・ミュールでの長い旅について語り終えた。
セント・ロウディシア特別区に建つセラフィス教会の総本山。
その一室で、アディはとある人物に調査報告を行っているのだった。
「乾杯した後、世界を救った英雄ということで、代表してダインくんが呼ばれましてね。彼、慌てながらも無難なスピーチはしてましたけど……」
当時の場面を思い出すと、ようやくアディの表情が少し緩む。
それを見て、聞き手である人物も安心したように笑みを綻ばせた。
「あ……失礼しました。余計なお話でしたね」
「いいえ、余計なことなど何もありませんよ」
穏やかで、包み込むような優しい声。
アディの前で、窓辺に立ち夕焼けに色付く街を見下ろしているこの人物こそ、教会における最高位……教皇と呼ばれるトエル=ラ=セラフィスその人であった。
外見は三十代前後。深い青の長髪、その片側は結ばれ前側に垂れており、白い肌ゆえに一層映えている。
まぶたはほとんど開かれていないが、その奥の瞳は淡いエメラルドグリーンの輝きを湛えていた。
教皇だけが身に付けることを許されるローブに身を包み、慈愛に満ちた微笑を浮かべる彼は。
どこかこの世のものでないような、神秘的な雰囲気を纏っていると、アディは感じているのだった。
「とても興味深い話でした。イース・ミュールが滅亡の災禍に呑まれず済んだこと、安堵しています。巡礼の旅に出た者たちが、今回も無事であったことも」
「彼ら、凄いですね。僕よりも下の子たちが、二度も異世界を救っているというのは……少し羨ましくなってしまうくらいの、偉業ですよ」
「その偉業を必ずや遂げねばならぬという責任もまた、彼らは負っているのですがね」
即座にそう指摘され、アディはハッとさせられる。
自身が同じ立場だったら、羨ましいという言葉を投げかけられ、どう思うだろうか。
じゃあ代わってくれないかと言いたくなるやもしれない。
彼らが背負っているのは、世界を『救わなければならない』という重圧……。
「……僕はまだまだですね」
「そんなことはありません。アディ、貴方も責任ある務めを果たしてくれました。感謝しています」
「そ、そんな……感謝なんて、畏れ多い」
アディは驚き、小刻みに首を振る。
よもや、組織の末端に近い自分がトップの人物から感謝されるなんて。
いや――そんなことを言ってしまえば、自分がこの仕事を任されたこともまた有り得ないことなのだが。
「……あの、お借りした権能なんですが。お返しするべきでは」
「いえ、権能についてはしばらく貴方に貸与します。現状、貴方が持っておくのが一番相応しいと思っていますからね」
「そう、ですか……?」
教皇の意向なので、もちろんアディは否定することなど出来ない。
しかし、特別な力を本当に自分が持ったままでいいのかという思いはやはりある。
トエル=ラ=セラフィスが持つ特別な力――権能の貸与。アディは任務にあたり、その内の『博愛』を与えられていた。
癒しの力はエレンたちとともに戦うにあたって役立ったが……もっと他に、必要とする者はいるのではないか。
自分より大変な仕事をこなしている教役者は何人もいるはずだが。
「この権能は、相応しい人物こそ力を最大限に発揮出来るものなのです。自分のような者が、という迷いはあるでしょうが、気にしなくて良いのですよ。私が適切だと判断しているのです、それなら仕方ないとでも思っていてください」
「ええと――それは流石に。あ、ありがとうございます」
心を見透かされたような教皇の言葉に、アディはただ感謝を述べるしかなかった。
「それで――やはり、なのですね?」
「……はい。ご指示の通り、イース・ミュールでの調査中は常に気にかけていたのですが……教皇様の仰っていた通りのことが」
「……そうですか」
教皇の顔から既に笑みは消えており、彼は物憂げに溜め息を一つ吐く。
「確実ではありませんでしたが……動きがあった以上、認めねばなりませんね」
「でも……本当に……?」
縋るように問うアディに、教皇は緩々と首を振る。
事実を前に、感情だけで考えてはいけないのだと。
「彼に貸与している権能は『正義』……その天秤は、自身と他者の力を量ることを可能にします」
「対象に触れることで……でしたね」
「ええ。他にも幾つか能力はありますが、彼にとって有益だったのはそこでしょう」
その有益性を鑑み、あえて教皇は権能を与えていた。
一つの昏い真実を明るみにするために。
「信頼を得るために、彼は多くの努力をしてきました。教会への貢献がどれほどか、貴方も良く知るところですね」
「はい。北にある孤児院の創設を主導したとも聞いています。エレンちゃんのお母さんも、よく巡回をしていたとか」
「そうして慕われ、今の階位に就き、様々な情報を得られるようになるに至って……行動を起こしたのでしょう」
道のりは決して短いものではなかったはずだ。
しかし、彼は耐え抜いた……恐らくはそれこそが、自身の『正義』だったために。
「ゆえに私は、貴方を遣わせました。異世界調査の経験を積むというのは自然な話であり、かつ彼にとって貴方は無害に等しい存在でしたから」
「あはは……貴重な経験でした。本当に」
イース・ミュール滞在二日目の深夜。
ちょうどダイン一行が、第二大陸ウルラで一泊していた時点のことだ。
アディは自身が催眠の魔法をかけられていることを察知した。
それをやり過ごした彼は、密かに魔法をかけた人物を尾行した……。
「博愛の能力を貸与されたことを知られない。まさにそこが大事でしたね……おかげで僕は、その現場を押さえることが出来ました」
「貴方を行動不能にしたと思い込んだ彼は、その夜に動いたのですね」
「港からは離れた場所で、接触を確認しました。千年王国のハニー=デポルと」
「自身の得た情報を渡すために……」
尾行など当然したことのないアディは、肝が冷える思いだったが。
何とかそれをやり遂げた……相手が油断していたところが大きいだろう。
自分は信頼されている、それがあちらの認識であり。
教皇は上手くその隙を突いたのである。
「……処罰、するんですか」
「いえ……まだこちらが知っていることを明かすつもりはありません」
教皇は毅然とした態度で語る。
「今はただ、彼が背信者であると認定するのみです。――ニオ=ハンニス大司教を」
……その名前を教皇が口にしたとき、アディは胸の痛む思いに駆られたのだった。




