295.そして、去りし後には
「……フィフス……!」
ハニーは歯をギリギリと食いしばりながら、目の前の人物をそう呼ぶ。
フィフス……どうやらそれが闖入者の名前らしいが。
「このまま何もせず撤退しろというの……!?」
「その通りだ。この世界にいてもこれ以上意味はない」
「そんなことはないでしょう。ホラ、目の前に敵がいるじゃない……王国に盾突く巡礼者どもが!」
ハニーはそう言ってオレたちの方を指差す。
フィフスと呼ばれた人物は、それを辿るようにゆっくりとこちらを振り向いた。
……僅かに黒い瞳と、水色っぽい髪の毛がフードの隙間から覗く。
男か女かも分からない……ただ、体つきはそこまで大きくなく、若い――オレたちとそう変わらない年齢のような印象を受けた。
「知っているよ。……だから?」
「コイツらを殺せば、いずれイース・ミュールもきちんと滅びるでしょう……この獣を倒せる者が現れない限り!」
「殺せなければ?」
「そ、それでも……幾らか戦力を削げば、獣に敵わなくなるに違いないわ。とにかくまだ、終わったわけじゃないでしょう」
ハニーはしばらく食い下がったが、
「巡礼は果たされる……悪いけど、これは天使との協定でもありオットーの意向でもあるんでね。得た情報を伝えるためにも、帰還してもらうよ」
にべもないフィフスの命令によって、それ以上反駁することが出来なくなった。
「ちょ、ちょっと待って! 君は何なのさ……!」
急に現れ、仲間同士で言い争っていたのだから、オレたちは成り行きがまるで分からない。
耐えかねたルカがフィフスに向かって問いを投げかけると、
「……千年王国のフィフスだ。すまないが、僕は彼女を連れて一足先にここから出て行かせてもらう」
「か、勝手なことを……!」
「いいじゃないか、敵が減るんだから。それとも僕たちをここで倒してみせるって……? 面白いね、ルカ君」
「え――」
突然名前を呼ばれ、驚愕するルカ。
何故フィフスという謎の闖入者は、ルカの名を知っているんだ……?
「フィフス――いや、そんな……」
「……こちらは、面白くない名前だろう?」
「君、は……」
ルカは声を震わせる。
……彼女もフィフスのことを何か知っている? いや、初めはそうとも思えなかったが……。
「まあ、エイヴスでの顛末は聞いているからね。君たちの情報は記憶している……ダイン=アグナス、イオナ=ピルグリム、ルカ=アクトン、エスカー=イリオット、そしてフェイ=マティア……合っているよね?」
一人一人名前を呼ばれると、息が詰まるような緊張が走った。
ただフィフスなる人物が喋るだけで、完全にあちらが場を支配したかのような空気になってしまう……。
「君たちのことを知った上で言わせてもらう。ここは大人しく従っておくべきだ。見逃すのは君たちじゃない、僕たちの方なんだから」
「……う……!」
冷たい目がこちらを見つめる。
それと同時に、全身が凍り付きそうなほどの恐怖、プレッシャーが襲った。
この感覚……まるでエイヴスでルマンちゃんがオレたちを脅したのと同じよう。
圧倒的なまでの力量差を知らしめる、恐ろしい気迫――!
「後は君たちが、この残念な獣に打ち勝てるかというところだけれど……まあ、何とかなるだろう。せいぜい頑張るといい」
「終末ノ獣で世界を滅ぼそうとしておきながら、急に全部ほっぽって後は頑張れってのは理解に苦しむねえ?」
「教えてあげる義理は無いよ、イリオット君。こちらにもこちらの事情がある、というだけさ」
「……あっそ」
イリオットとファミリーネームで呼ばれたことに、エスカーは何故か少しだけ動揺した気がする。
フィフス……オレたちのことを、実は名前以上に詳しく調べているんじゃないのか……?
「帰還するよ、ハニー」
「……フン、分かったわよ」
納得していないハニーも、フィフスの命令には逆らえない。
恨めしそうにこちらを一瞥したものの、すぐにフィフスとともに背を向けてしまった。
「いいの? このまま見逃して……」
フェイは苦い表情でそう言うが、彼女とて理解はしている。
まず、あのフィフスには勝てっこない……『あちらが見逃す』という言葉が本当なのだということを。
フィフスが懐から何かを取り出す。恐らくは、この世界から脱出するための道具だ。
オレたちは転移門にコネクタを接続することで移動するのだが……奴らにはそれが要らないということか。
ここまで来て、イース・ミュールを掻き回した王国の奴らを見送ることしか出来ないなんて。
その悔しさに、握り締めた拳から血が滲みそうになった――けれど。
「――ッあ!?」
転移しようとしていたハニーが、突然短い悲鳴を上げる。
その左肩の服が裂け、赤く血が滲んでいた。
何が起きたかを理解するのに少し時間が掛かったが――振り向いた先に、複数の人影があった。
「……タダで逃げようなんざ、許すわけがねえだろ?」
アルゴニオさんが、銃を構えて立っていた。
銃口からは、細く硝煙が昇っている。
彼の撃った銃弾が、ハニーの肩を掠めたのだ。
「この、海族風情が……ッ!」
「……駄目だよ。ここでの行いが帰ってきたと思っておくんだね」
既に転移術式の発動が始まってしまったのだろう、ハニーは反撃することも出来ず。
怒りに満ちた表情をアルゴニオさんに向けたまま――時空の歪みの中へと消えていった。
「皆、無事だったんですね!」
王国の二人が去ってから、オレはやって来た五人に声を掛ける。
アルゴニオさんのほかデイビスさん、セイルさんに先輩二人。多少の苦戦はあったようだが、それほどダメージはなさそうだ。
ユベールさんかシャーロットさんが回復手段を持っているんだろうな。
「おうとも。……ま、こっちのお二人さんがほとんどやってくれたわけだが」
「戦力的に見て当然のことですわ。……それより」
シャーロットさんは前方でゆっくりと動き始めている終末ノ獣を見ながら、
「よく分かりませんけれど、王国は獣を放って逃げたということですわね?」
「ええ……どうも想定外の何かがあった、みたいですけど」
それが何なのかは、結局オレたちには分からず。
王国にはディオンやハニーよりも明らかに強い奴がまだいるんだということだけを、見せつけられてしまった。
「ヘッ、ボコボコにしてやれなかったのは残念だが……一発お見舞いすることが出来たんだ、しゃーねえと思っておくか」
「また会ったら、次は腹に風穴開けてやんなきゃねえ」
……全く、この海族二人には敵わないな。
オレたちは恐ろしくて固まっちまったのに、あそこで躊躇いなく撃ち込めるんだから。
まあ、駆けつけたばかりでフィフスの強さを分かっていなかった、というのはあるだろうけれど。
「……とにかく、王国が退却した以上はもう、やるべきことは一つだけですね」
「はい。目の前にいる終末ノ獣を倒す……ただそれだけです」
セイルさんの言葉に、オレはそう請け合った。
倒すべき二つの敵のうち、一つは去り……残るは終末ノ獣、ただ一匹。
「フ……正真正銘、これが最後の戦いというわけだ。さあ皆……勇猛に戦い、盛大に勝利しようじゃないか……」
「そんで格好良く凱旋しなくちゃね!」
獣の動きに鈍重さが無くなっていく。
赤い瞳に煌々とした光が宿り……ゆっくりと、その目がこちらを見返した。
『……***……**……!』
その鳴き声は弱々しいが、明白な敵意を感じる。
百年以上もの長きに亘って封じられてきた恨みが、眼前にいるオレたちへと向けられているのかもしれない。
「……皆、準備はいいな?」
オレの言葉に、首を振る者などもちろんいない。
皆、さあやってやるぞという意志に溢れている。
「よし――やってやろうぜ!」
イース・ミュールに災厄をもたらす終末ノ獣。
オレたちが必ず……その災厄に終止符を打つ。




