289.世界を愛した天使
どこまでも続きそうな下り階段を、オレたちはただ進んでいく。
やがて平らな床面が見えたところで、目の前には重厚な扉が待ち構えていた。
特に鍵は掛かっておらず、オレは取手を掴んで扉を押し開ける。
すると、中にはとても広い空間が作られていたのだった。
「おお……」
地下をくり抜くようにして、この秘密の造船所は設えられたのだろう。
崩落しないようほとんどの壁や天井はコンクリートのような素材で固められているが、一部は土壁が露出している。
この規模が、百年祭記念の船が大きなプロジェクトだったことを物語っていた。
「ねえ、あれ!」
入るなり、ルカが前方を指差す。
そこには一隻の大きな船が、静かに佇んでいた。
アルゴニオ海族団の船や、オレたちが乗っていた海軍の船と比べても一回りほどサイズが大きい。
三十人程度は乗りこめそうなレベルの船だ。
「これがパレス号……か」
百年以上前に造られたものとはいえ、素体は木材などではなく鉄製でしっかりしている。
停滞能力が影響したおかげか、いや当時の職人の技術もあるだろうが、船は見た感じ腐食もしていない。
船体の下に二本のレーンがあって、その先には水場がある。どうやら奥の壁が開くか何かして、そこから船が出ていける構造になっているようだった。
「当の本人はいなくなっちゃったけど、まあ無事発見出来たことだし。さっさと船を出したいところだね」
エスカーの言葉に皆頷き、船を出すためにどうすればいいのかと、造船所内を調べ始める。
電気は通っていないので、ここもイオナの光魔法が頼りだ。上空で光の球をふわふわ漂わせられるのは便利でありがたい。
「船をレーンで滑らせるのはこのスイッチだと思います!」
隅の方で声を上げたのはリースさんだ。近づいてそのスイッチを確認すると、なるほど簡易的なイラストのようなものが描かれている。
レーンの上に乗った斜め向きの船。これだけ分かりやすいものなら間違いないだろう。
「壁を開けんのはどうせこれだろ」
反対側ではアルゴニオさんのそんな声が聞こえ、同時にカチリとボタンが押される音も響いた。
止める間もなく勝手に押されてしまったわけだが、幸いにして彼の予想通り、カモフラージュされた扉が開いて外へと繋がった。
「ふう……良かった」
胸を撫で下ろしたのはセイルさんだ。
もしパレス号が目の前で損壊するようなことがあれば、特に彼は胸の痛む思いだろうものな。
船を操るのはデイビスさんに決まった。この旅が終わってアルゴニオ海族団が船を使えるようになるなら、慣れておきたいとの申し出ゆえだ。
現金なものだが、オレたちも特に異存があるわけじゃない。第五大陸からここまで来るのも穏やかな船旅だったし、腕は信頼していた。
「では、行きますよ」
セイルさんがスイッチを押すと、ガタリと音が鳴ってレーンが傾く。
船はゆっくりとその上を滑り、水面へ着地した。
オレたちはすぐにパレス号へ乗り込む。船内の構造は現代の船とほとんど違いがないし、広々としている。
入口には親切に図面もあって、どこが何の部屋なのかが簡単に確認出来た。
『よおし、出航だあ!』
伝声管からデイビスさんの声が響き、船が駆動を始める。
狭く暗い洞窟をゆっくり抜け出して――パレス号は百余年の時を超え、外の世界へと繰り出したのだった。
『いいね、コイツは操縦し易い。オマケにスピードもかなり出そうだ』
操舵し甲斐のある船に、デイビスさんはすっかり興奮している様子。
嬉しそうな声を聞くと、不思議とこちらも嬉しくなるものだ。
オレたちは早速甲板に上がり、辺りを見回す。そして、
「問題なく船を出せたし、まずはパレスちゃんを捕まえなきゃな――」
オレがそう言いかけたところで、突然奇妙な感覚が全身を襲った。
世界が凍り付いたような感覚――いや、これは……。
「何、これ」
隣でイオナも困惑の表情を浮かべている。
どうやら全員が同じ現象に襲われているようだ。
「まさか、これは……」
セイルさんはどうも勘付いたらしい。
世界が凍り付く……この時間が止まったような感覚。
今この場所が、アリアーナ大陸の北側にあることから推測すると。
「パレスちゃんの、停滞能力……!?」
ルカが大声で言ったそれが、どうやら正解のように思える。
しかし、ここまで効力がハッキリ感じられるなんて、まるでこの船に直接停滞をかけられているかのようだ……。
「これが古代都市へ向けられたものだとしたら……」
「相当な魔力をつぎ込んでるってことになるねえ」
エスカーは平然と答えたが、それが意味するのは、パレスちゃんが膨大な魔力を消費しているということ。
如何に天使という規格外の存在だとしても、これまで装置による継続的な魔力消費に苦しんできた彼女が、ここに至って大量の魔力を注げるだろうか?
そんなことをしてしまうのは、危うい行為な気がする。
もし分かってやっているのなら、それは……。
「急いでパレス様を止めなければ……!」
……だが、セイルさんの言葉も虚しく。
時は既に遅かったということが、すぐに分かる。
何故なら、慌てるオレたちの前に。
もうほとんど実体を失ってしまった彼女の姿が現れたからだった。
「……パレス、ちゃん?」
驚愕したままイオナが恐る恐る声を掛ける。
すると、パレスちゃん自身も多少驚いたような表情になって、
「……おや……はは。こんなことも起きるものか」
誰にともなくそう呟いた。
「パレスちゃん! いきなりオレたちを引き剥がして一人になったと思ったら、何でそんな姿になってんだよ……!?」
「混乱するのも当然だね……でも、そうなってもらえるタイミングでなければ、きっと私は止められていただろう」
「パレス様、貴方は……」
悲痛な顔をしたままセイルさんが言うのを、パレスちゃんは慈しむように見つめ、
「今しがた起きたことで、何となく理解はしてくれたかな。……すまない、セイル。私がこの世界に出来る精一杯のことを、させてもらった」
「謝らないでください、それではまるで」
「まるで、ではないよ。私はこのまま消える」
一番聞きたくなかったであろう答えを、けれどパレスちゃんは淡々と告げた。
「正確に言えば、私が能力を発動した時点で消えているはずだった。私自身というマナを注ぎ込んだために、経路上にいる君たちのところへ残滓のようなものが現れた……というところだろうね」
「そんな――」
だから彼女は、こんな儚い姿で。
今この場所に佇んでいる……。
「獣が完全な状態になってしまっては、恐らく今の君たちに勝ち目はない。だから、これが必要だと初めから考えていた。元より、私の身体はもう限界に近かったしね」
「……やっぱり、魔力がほとんど残ってなかったわけだ」
エスカーはパレスちゃんの状態に薄々気付いていたらしい。
それでも、彼女が自己犠牲に至るとまでは思っていなかったのだろうが。
「世界を護りたいと言っておきながら、そうして君たちを呼んでおきながら、先に退場してしまうことは謝らせてもらうよ。セイル、君を残していってしまうことも。……その上で、どうか重ねてお願いだ」
パレスちゃんはニコリと、切なげに微笑んで、
「この世界に平和をもたらしてくれ、子羊たち」
「……ああ。最初から、それは変わらねえよ」
オレの迷いない返答を聞いて、パレスちゃんは安心したようだった。
「フ……ありがとう。それにしても、本当に面白い者たちの集まりなことだ。それでこそ、巡礼の旅に相応しいのだろうね」
「誉め言葉なのか何なのか……」
「褒めているとも。……っと、そろそろ時間のようだ」
見ると、パレスちゃんの姿は先ほどまでより薄くなっている。
その表情を窺うのも難しいほどだ。
「パレス様……ありがとう、ございました」
「こちらこそ、今日までありがとう……セイル。辛い思いをさせてしまったが、君の未来が輝かしいことを祈っている」
「はい……必ず、貴方の愛したこの世界を、護り抜きます」
「ん。頼んだよ」
涙を拭い、セイルさんは消えていく彼女を最後まで見届けようとする。
「それじゃあ皆、さよならだ。……長かった私の道のりも、これで終わる」
パレスちゃんは最期の瞬間、クスリと笑った。
「楽になれるんだもの、喜ばなくちゃね。何たって私は『怠惰』の天使なんだから――」
そして彼女は、オレたちに笑顔を遺したまま……逝ってしまったのだった。
「……パレス、様……」
彼女のいた虚空を見つめ、セイルさんは力なく呟く。
部下を喪い、敬愛する女神を喪い……彼にとってこの旅は、喪失の連続で。
その胸の内がどれだけ痛んでいるか……想像するだけで、オレも胸が締め付けられる思いだった。
「女神サマが……消えちまったってのかよ……」
あまり交流は出来ていなかったアルゴニオさんだけれど、そんな彼にとっても女神というのは大きな存在だ。
この世界で国王と同じかそれ以上に偉い存在が今、目の前で消滅したのだから、驚き呆けるのも当然のことだった。
喪ったものの大きさに、しばらくの間船上にはただただ沈黙が流れた。
「……すみません、皆さん。パレス様がいなくなってしまった以上、指揮をとるべきなのは私以外にいませんね」
沈黙を破り、そう告げたのはセイルさんだ。
「セイルさん……」
「大丈夫です。私は……あの方の愛したこの世界を護らなくてはなりませんから。やるべきことを、やらなくては」
彼はこちらを振り返ると、
「そのためにも、どうぞ最後までよろしくお願いします。流石に、一人の力では限界がありますからね」
「……ええ、こちらこそ」
喪失の夜。
船は闇を裂くようにして、北へ進んでいく。
目指すは終点の地……かつて栄華を極めた古代都市。
幾つもの悲しみを乗り越えて、せめて最後は望む結末を迎えられるようにと、オレたちは祈る。




