259.その効能がゆえ
エスカーが取り出し、会議室の机上に置いてみせた果実。
それはイース・ミュールの人々にとっては日常的なもの――ヤーシャルの実であった。
「……ええと。このヤーシャルの実が、私たちの力が強くならない原因……?」
あまりにも想定の範囲外だったためだろう、リースさんはキョトンとした様子で聞き返す。
海軍の人たちは当然の反応だが、オレたちだって同じだ。
万能の果実だと教わったはずの果実が……世界の人々に悪影響を与えている?
突如降りかかった混乱の中において。
説明者であるマルとエスカーを除き、冷静なのはたった一人しかいなかった。
この世界の天使――パレスちゃんただ一人。
『順序立てて説明しましょう。まず、このイース・ミュールという世界では、海水の成分が人体にとって有害であることが分かっており、ヤーシャルの実はその毒素を取り除く作用があると、パレスさんは仰っていました』
「僕たちの認識とも、齟齬はありませんが……」
ベルクさんが呟くような声で言う。
『こちらで海水の成分を調べたわけではありませんが、推測は十分に可能でした。人体にとって有害かつ、魔物にとっては有益な成分……そこにはマナが絡んでいるのではないか』
「マナ……」
マルはこくりと頷いて、
『結論から言うと、イース・ミュールの海水……そこに含まれる何らかの成分は、どういうわけかマナを刺激・増幅させる作用があるようです。微量であればさほど人体に影響は及ぼさないでしょう。ただ、継続的に摂取してしまうと体内のマナが高まってしまい』
「ボン! ……となる危険性があるわけだねえ」
わざと驚かせるように、エスカーは大きな声を上げた。
その嫌な狙いの通り、リースさんやベルクさんはぴくりと体を震わせていた。
『一方で、そもそもがマナの変異体である魔物にとっては、エネルギーを増幅させるようなものですから、プラスの影響しか及ぼさないというわけです』
人体には有害で、魔物にとっては有益。
そこにそういうカラクリがあったとは……。
『もちろん、この作用に耐えうる人間はいるでしょう。ですが全員が生き残り、免疫を獲得するような保証はありません。人類が存続していくためには、やはり海水の毒素をどうにかする必要がある。ヤーシャルの実は、その解決策としては確かに替えの利かない、有用なものだったでしょう』
ただ、とマルは否定の言葉を差し挟む。
『正確に言えばヤーシャルの実は毒素を取り除いているのではなかった。正反対の効能によって、結果的に毒素を打ち消すような働きをしていたのです』
「正反対の……?」
……マナの刺激・増幅と正反対の効能があるということは、つまり。
ヤーシャルの実は、マナの流れを抑えるような働きを持っている……?
『もうお分かりでしょうが、ヤーシャルの実の成分はマナの停滞・離散。接種することによってマナが体内で活動するのを抑制、かつ体外へ散らしてしまう効果があるのです。こちらも微量であればさほど影響はないものの、継続的に摂取した場合はマナを蓄積するのが難しくなってしまうでしょう』
「……つまり、イース・ミュールの人たちが強くなれないのは」
「そのヤーシャル成分を摂取し続けているから、マナを活用出来ない肉体になってるってことだねえ」
平然と答えるエスカー。
しかし、その解答はイース・ミュールの人々にとって……あまりに衝撃的な事実だった。
「そんな……じゃあ、私たちってヤーシャルの実を食べてる限り、強くなれないの?」
「いや、リース。それだけじゃなく、自分たちはただ水を飲んでいるだけでも強くなれないということだ」
そう、海水をヤーシャルの実でろ過し、生活水として利用するのが当たり前の構造になっているこの世界では。
ただ水を飲んだり、料理に使ったりして摂取しているだけで、マナを操れない体になってしまうのだ……。
「なるほどね? 私とユベールが魔力のコントロールに微妙な違和感を抱いていたのは、そういうことだったと」
「謎が解けて、気分が晴れたよ……今なら良いフレーズを閃きそうだ……」
……ユベールさんらしい感想だが、真剣な話の最中なので閃いても何も言わないでほしい。
「強くなりたければ、ヤーシャルの成分を体に入れちゃダメってことっすよね」
「でもそのために別な方法で海水をろ過しても、毒素を処理出来ないから命を落とす危険性がある……」
カールさんとベルクさんが、分かりやすくそのジレンマを挙げてくれる。
命を落とすリスクと、強くなれないリスク。
この二つを天秤にかけた時、全人類という観点からみれば選ぶべきリスクは決まったようなものだ。
「命を守るためには、マナを抑制するリスクをとるしかなかった――」
これが、イース・ミュールに住まう者たちの……その弱さの真実だった。
少なくとも、皆が毒素によって命を落とすことだけは無いように……強さを放棄する道が選ばれたのだ。
「……で。イース・ミュールの天使として、君はこの事実を当然知っていたんだよね? パレスちゃん」
突き刺すような鋭い指摘が、エスカーからパレスちゃんに飛ぶ。
それまで沈黙を保っていた彼女は、やがて観念したように答えた。
「……そうだ。知っていたというより、私がこの仕組みを造り上げたと言ってもいいだろう」
「パレス様……」
どうしてそんなことを、とは誰も言えない。
何故なら、理由は明白なのだ。パレスちゃんの思いは一貫している――ただ、イース・ミュールの人たちを護りたい、と。
「体内のマナを活発化させてしまう毒素。古き災厄を生き延びた者たちにとって、しかし残されたその毒は致命的だった。私はこれをどうにか出来ないものかと悩み、ヤーシャルの実というものに光明を見出したんだ。人類がここから生きてゆくためには、毒を以て毒を制するしかないのだと」
「そして海水の毒素を中和出来るよう、ヤーシャルの実を使った浄水設備を開発、浸透させた。食用としての利用法も広め、常日頃から実の成分を摂取することで、万が一にもマナの活発化で人死にが起きないようにした……というわけだね」
エスカーの言葉に、パレスちゃんは弱々しく頷く。
それは自らの罪状を認めるような、苦しげなものだった。
「……でも、ヤーシャルの実にそんな効果があるなんてよく調べられたね?」
パレスちゃんへ向いた矛先を逸らすように、ルカがそんなことを訊ねる。
『ええ。ヤーシャルの実について調べてほしいとエスカーさんに頼まれまして、トーマスさんと二人でロウディシアや異世界に同様のものがあるかどうか確認をしていたところ、ベルガルマでも似た果実が栽培されていることが分かったんです』
『……どうも、紹介を受けた裏方のトーマスだ。ベルガルマではエシュルと呼ばれているらしいその果実は、成分を抽出し、健康を害さない程度に摂取することで体型を維持するなど、サプリ的な用途で使われているようだね』
名前を出されて渋々かもしれないが、久々にトーマスさんが通信に参加してくる。……しかし、サプリ的な用途か。
マナの抑制作用は身体の成長などにも影響してくるため、他のワールドスクリプトでは太らないように成分を摂取する、なんて使われ方がされているらしい。
同じ効能の果実でも、利用法に差があり過ぎるな。イース・ミュールには毒という避け得ない事情があるため、仕方ないのだけれども。
「万能を謳われると、かえって粗を探したくなるのが悪い癖でねえ。結果としてこの答えに行き着いたというわけだ」
つくづく天邪鬼な性格だ。そしてそれが、問題を探る上で有用なのは確かで。
「どうも天使サマはこの事情を秘めておきたそうだったから、こちらもしばらく寝かしておいた。けど、先輩方が異常に気付いてしまったし、セイルさんの特殊性も話題に上ったし、そろそろ疑問点を解消してサッパリした方がいいだろうとね」
「私の特殊性……ああ、そうか……」
エスカーに言われてセイルさんは納得する。
昼食後に明かしてくれた、セイルさんの過去。
彼が北の大陸から流れ着いた孤児である事実と、戦闘面における彼の強さ。その点と点もまた、ヤーシャルの実の真相によって繋がるわけだ。
「記憶を失うまでの私は、ヤーシャルの実が無い大陸で育った。恐らくマナを活発化させる水にも常人以上の免疫がある。だからこそ、私は他の者たちに比べて戦闘能力が高い……そういうことなのですね」
「ご明察。それが答えなんだと思うよ」
ヤーシャルの成分を蓄えることなく、毒素のある水を利用しながら育った幼少期。
北の大陸ならばきっと、魔物と戦うこともあっただろう。頑強な肉体に成長したのも、今なら理解出来る。
彼の強さは、得るべくして得られたものなのだ。
「しかしパレスちゃん。海水の毒素とヤーシャルの実の効能については分かったけど、まだ君に聞かなきゃいけないことがある。多分、これは俺たち全員が疑問には思っていたことのはずだ」
「……エスカー、それはもしかして」
その疑問は事実、ルカを始め他の面々も抱いていたことのようだ。
さっきパレスちゃん自身も仄めかした、歴史に関する一つの疑問点。
「エイヴスの天使ルマンちゃんは、遥か昔から世界を見守っていたそうだ。天使とは人々を導く存在……恐らくは世界が誕生したときか生じる者なんじゃないのか。だとすれば、君は知っていることになる。何故イース・ミュールの古代文明が滅びることになったのか――」




