230.海族たちの伝承
「……うん、特に事故もなく平和で何よりだ」
海軍詰所の会議室。オレたちはこの場所に案内され、海軍大将セイル=ヤーヴィンさんからの報告を聞いていた。
パレスちゃんに付き合わされる形ではあったけれど、軍の仕事内容を聞けるのは悪いことではないし、大人しく同席させていただいたのだ。
振り回される展開に調子は狂ってしまうものの、オレたちの目的がイレギュラー問題の解決であることは変わらない。
この世界の情報を少しでも集めることは、有意義なことだ。
「ガジェミア付近は魔物も凶暴だからね、物資の輸送は気を付け過ぎるくらいがいい。あちらも早く浄水設備を整えたいところではあるけれど……」
「焦らずやっていきましょう。作業自体は順調ですから」
ガジェミア大陸は確か三番目の大陸だったか。パレスちゃんはさっき、北にある大陸ほど人が住みにくくなると話していたっけ。
大陸の開拓が済んでいないというのも理由だろうが、魔物が凶暴という話が出たし、他にも事情がありそうだ。
「あの、ところでパレス様。彼らのことですが……」
セイルさんは躊躇いがちに切り出す。
「既に事情はご存知なのですか?」
「いや、案内ついでに話す方が理解しやすいと考えてね。それで私が直々に回っていたんだ」
「なるほど、そうでしたか」
合点がいったとセイルさんは頷く。
「実験が成功したのであれば、貴方がたは異世界からの来訪者なのでしょう。横暴かと思われるかもしれませんが、どうかこの世界の平和を護るため、力をお貸しいただきたい」
「我々も、平和を護りたいという気持ちには共感します。しかしまだ、イース・ミュールと呼ばれるこの世界の問題を把握してはおりませんのでな。まずは一通りの説明を終えてから、判断させていただきたいものです」
「ええ、それはもちろん」
重要な部分は全てニオさんが受け答えしてくれるのでありがたい。
ロウディシアを代表するような意思決定は、今のところ大人の判断に任せておきたいところだ。
「……でも、ここまでの話だと将来の課題とかはあるにしても、危急存亡って感じはしないんだけど?」
きっと皆我慢していたのだが、待ちきれなくなったルカがとうとう口にした。
そう……危急存亡と言うからには世界が滅びかねない危機が予見されているはず。
今のところ、その問題の影も形も見えてこない。
「ごめんよ、別に意地悪しているわけじゃあないんだ。これから語るイース・ミュールの危機は、私たちが共に生きる大海と密接に関係したものでね。どうしても、海族や海軍といった枠組みについて前置きしておきたかったんだよ」
「海と密接に関係している……ですか」
さっきまで眺めていた海は、とても綺麗で凪いでいて、危険性があるようには感じられなかった。
それはもちろん首都近海だけで、北上するほど状況は変わってくるのかもしれないが……果たして世界の命運を左右するほどの事態なのか。
「我らが管理監督する海族の活動には、大きく分けて二種類の事業があります。一つは大陸間での貿易で、海族たちのうち八割方がこちらをメインに取り扱っています。そして残りの二割ほどがもう一つ……開拓を目的とした事業なのです」
「開拓、というと」
「そのままの意味さ。この広き海を冒険し、新たな島へ辿り着いて開拓していく……彼らはそれを生業としているんだ」
物資の運搬という日常的な業務を担うのではなく、それこそ未来を拓くため新天地を目指す者たち。
安定した収入とは縁遠いが、新たな大陸への航路を確立したりその地を開墾出来たときには、高額の褒賞が与えられ、功績を讃えられるという。
開拓稼業には、まさに海族たちの夢と希望が詰まっているわけだ。
「そんな彼らの間には、実しやかに囁かれる伝承があってね。曰く、世界の果てにはかつて栄華を極めた古代文明の遺構が沈んでいる――と」
「……古代文明?」
突然そんなワードがぶち込まれたので、オレは驚いて聞き返してしまう。
「ほう……伝承とは心を掻き立てる響きだね……」
「ユベールさんの感想は置いといて。……そんなものが本当にあるんですか?」
「正確にはあった、だろうね。残念ながら首都ゼフ・ミュールの建立から今日に至るまで、世界の果てに辿り着いたなんて者はいない。この大陸を含め、イース・ミュールには計六つの大陸があるとは言ったけれど、足を踏み入れることが出来たのは五番目までなんだ」
「でも、噂はある……」
「時折流れ着く遺物が、その存在を仄めかせているのさ」
そう言うとパレスちゃんは、会議室の壁面を手で示す。
今になって気付いたが……なるほど、風化した武器のようなものが飾られていた。
「あれは銃なんだが、今私たちが使っているものとほとんど変わらない構造をしている。あれが発見されたのは七、八年も前のことで当時からあのように風化していたし、同様の事例は度々発生しているんだ。だから少なくとも、今の私たちと同レベルの文明がかつて存在した……と推測されているんだよ」
今と同じ技術水準の物が、風化した状態で発見される。
確かにそれは、遥か昔に優れた文明があったことの証左と考えるのが自然か。
「そしてこの沈没した古代都市には、歴史的価値のある品だけでなく、純粋に価値ある物も眠っているはずだと、海族たちは信じているのです」
「金銀財宝、みたいな話か」
エスカーがなるほどと口角を吊り上げるのに、セイルさんはその通りだと頷いた。
資本的にも、技術的にも優れた文明。もしその都市から何かを引き揚げられたら、一攫千金も夢じゃないと海族たちも思っているのだろう。
だが、そんな優れた文明だというのなら何故……。
「そんな優れた文明が何故、滅んだのか。ふふふ、君たちは今そう考えたことだろう」
――おっと、術中にはまったらしい。
ニヤリと口角を上げてパレスちゃんが言うのに、オレはしてやられたと苦笑するしかなかった。
「その背景にはもう一つ、別の伝承があるんだ。古代文明は赤い海に呑まれて消えた……というね」
「赤い海……」
またも突拍子もない言葉が飛び出したため、オウム返しをするアディさん。
彼が呟かなければ、オレが代わりに口を開いていたことだろうな。
「ああ。ここから望む海はどこまでも青いし、赤い海とはどういうことだと首を傾げてしまうものだが、何十年も前からその伝承は海族たちの間でずっと伝わっている。理由は一切の不明だが、とにかく海が赤く染まった時、古代の都市は水底へと沈んでしまったそうなんだよ」
「……もしかして」
そこまで聞いて、黙りこくっていたエスカーが初めて口を開く。
長々と続けられていた説明と、現在進行形らしい世界の危機。
この二つの繋がりが何となく見えてきたようだ。
「伝承が現実のものになろうとしている……貴方たちはそう考えているんだね?」
「ふふ、ようやく辿り着けたようだ。まさしく君の言う通り、これまではただの噂でしかなかった赤い海の伝承が今、私たちに牙を剥こうとしているのさ……」
笑顔を保ったまま、オレたちにそう告げたパレスちゃん。
しかしその目は決して笑っておらず。
むしろ、迫りくる伝承への畏れに震えているようにも感じられるのだった。




