206.夜の探り合い②
アグナス家でのバーベキューパーティが盛況のまま終わり。
この日も各自順番に風呂へ入りつつ、遊びと歓談の夜を過ごす運びとなる。
イオナ=ピルグリムは風呂上がりの火照った体を冷ますため、一人庭へ出ていた。
賑やかな空気――それは以前の彼女にとって遠い憧れだったもの。
普通に話し、普通に笑う……年相応の少女として、等身大に楽しめることが、一つのささやかな望みだった。
「……いやあ、楽しいけど疲れますな」
などと彼女は独り言ちる。
楽しい、というのは偽りのない本心だ。
絶えることない談笑の中に、自分が混ざれていること。
この和やかさにいつまでも包まれていたい……そう思うのと同時に、心の隅の方では別の感情も浮かんでくる。
自分のような存在が、こんな眩しい場所にいて構わないのか――。
「悩み事かい、お姫様?」
背後から声を掛けられる。
期待していたのとは違い、声の主はもう一人の少年だった。
「ちょっと涼んでいただけですよ、狼さん」
「アハ、狼は酷いねえ」
少年――エスカー=イリオットは軽薄な笑みを浮かべる。
彼がいつも貼り付けている、仮面のような薄っぺらい笑顔。
「浮かない顔してるなと心配して、声を掛けただけなんだけど」
「だとしたらお風呂上がりから覗いてた? ……もしかしてお風呂中も?」
「偶然だって、偶然」
そうは言いつつも、本気で取り繕うとしているようには感じられない。
探りを入れようとしているのを、別に全力で隠すつもりはないのだろうとイオナは察する。
先日も、ダインと母親の会話を盗み聞きしていたようだ。
その一部始終を、イオナも把握はしていた。
「エスカーって、ホントに人のことを良く見てるし、良く心も読めるよね。誰かさんと違って」
「誰かさんも、気配りは出来るんだろうけどね? 自分の言動がどう影響するかまでは考えられないんだろうなあ」
エスカーは愉快そうに笑う。……どうやら彼のことについては本当に、面白い人間だと評価しているらしい。
そう評価されていることは、イオナも嬉しく思ったが。
「……で、その誰かさんからちょっと気になることを聞いてねえ」
「何?」
イオナは、話が本題に入ったことを理解し警戒する。
問われる内容を想定し、迂闊な返答をしないように。
「入学式の日。きみとリーダーは魔物に遭遇し、それを二人で倒すことに成功した」
「うん。それで校長先生には怒られちゃったけど」
「きみはそのとき、ブースターを所持していたそうだね? 支給前なのにも拘らず」
イオナは押し黙る。
それを肯定と見做し、エスカーは更に畳みかけた。
「リーダーもどうしてだろうと疑問に思い、きみに理由を訊ねたそうだが……きみはこう返答したという。特待生だから、と」
「……そうだね」
「フフ、それはおかしいでしょ。だって、たとえ特待生でもブースターなんて事前支給されるワケないんだから」
いずれ暴かれる嘘だと、イオナも分かってはいた。
暴くのが、エスカーのような人物であることも。
それでもイオナは、諦め混じりに一応の反論をする。
「どうして?」
「理由は察してるはずだよ? ――俺も特待生だからさ」
あのときは、ダインを納得させられればそれでいいと考えていた。
とにかく彼に一度、ブースターを使ってもらうことが重要だった。
ゆえに思い付いた咄嗟の嘘だったが……後から詮索する者が現れることまで、当時は想定していなかった。
事後どうしようかとは悩んだものの、苦労して隠し通すほどのことではないかと、結局隠ぺい工作まではしなかったのだ。
「つまり、入学式の日にきみがブースターを持ってたのはやっぱりおかしいことになる。きみがいつ、誰からブースターを貰ったのかが非常に気になるところでね」
「エスカーも知らない枠があるかもしれないよ? 素質があるから事前に配布されてるとか」
「それをかもしれない、という風に言っちゃうところがもう嘘っぽいでしょ。悪いけど、きみは嘘を吐くのに向いてない」
「……だよねえ」
ピシャリと断言され、イオナは素直に認めて苦笑する。
嘘を吐いたり、誰かと駆け引きしたり。……そんなことは苦手だし、本当はやりたくもない。
「元々きみのことは気になってたんだ。珍しい桃色の髪、イオナというその名前」
「気になってたなんて恥ずかしい台詞、よくサラリと言えるなあ」
「……きみ、本当に女神イオナと無関係なの? きみを巡っては、特異なことが多過ぎるんだよ」
イオナの冗談にも一切乗らず、エスカーは質問を重ねてきた。
彼女が抱える秘密の核心に迫る問いを。
――さて、どうしたものかな。
イオナは考える。どのカードを切るのが、この瞬間において一番正しいのか。
あくまでシラを切るべきか、それともある程度は開示しておくべきか。
或いは――。
「そうだなあ……じゃあ、一つだけ前置きしておくね」
「うん?」
「私は別に、みんなのことを信頼してないとか、そんなんじゃないんだよ。ただ、私の言動がどこまで影響を与えるのか、どうしても慎重に考えざるを得ないからさ」
「……なるほどね」
この台詞だけでも、遠回しながらエスカーの問いに肯定で返したようなものではある。
エスカーも、それを理解していつもの軽薄な表情を潜め、真剣な顔つきになった。
「だから、私自身の事情を簡単に語るわけにはいかないんだ。……特にさ」
イオナはそこで言葉を切り、エスカーの目を睨むようにして、告げる。
「自分の事情を語らないような人にはね」
「――へえ?」
そう切り返されることは予想外だったのか、エスカーは少し声を詰まらせた。
イオナは、そこが彼の隙であることを把握する。
「あなたが単なる好奇心だけで情報を集めてるとは思わない。だけどその理由を、私はあえては聞かないつもり」
「……フフ、勝手なことを言われても。きみにあるような深い事情が、俺にもあると決めつけないでほしいもんだねえ」
「――隔ての壁。苦労したでしょう」
今度こそ、エスカーは驚愕の表情とともに絶句した。
「繰り返すけれど、あなたの事情を私は聞かない」
言いながら、イオナはエスカーの隣をゆっくりと通り過ぎる。
「私たちの出会いにはきっと、沢山の意味や思惑がある。でもね、エスカー? 私は……信じてるんだ。このチームで良かったと思える日を」
だから、と彼女は続ける。
「エスカーも、心のどこかしらでいいから思っていてほしいんだよ。このチームが出来て良かったって」
「……良かった、ねえ」
イオナの背後で、溜め息を吐く声。
それから、彼は半ば独白のように呟いた。
「そう思う権利が、俺にあるのなら――ね」
自嘲気味の言葉。
その裏には、彼の秘められた胸の内が見え隠れしているようで。
イオナはあえて、それ以上は何も言わなかった。
彼女が去った後には、感情を失ったかのように佇む少年だけが、夜闇の中残されるのだった。




