178.動き出した計画
イレギュラー対策チームがエイヴスの危機を救ったその日の夜。
アトモス学園B棟にある校長室では、この部屋の主コーネリア=セントリオと、客人ジャンヌ=リブラの二人が話し込んでいた。
午後に行われた報告とは違い、二人ともアルコールを飲みながらの砕けた場ではあったが、繰り広げられる会話はむしろ今の方が重く、そして秘密めいたものに相違なかった。
「……しかし、最初から危ない綱渡りでしたねえ」
コーネリアは呟き、デスクにグラスを置く。
満たされた酒の中に浮かぶロックアイスが、カチリと音を立てた。
「物事は最初が一番不安なものさ。実際、上手く機能してくれるか分からないものばかりだったのだし」
「まあ、結果としちゃあジャンヌさんの見込み通りだったわけですが」
その言葉に、ジャンヌはそうでもないと否定で返す。
「五里霧中もいいところだよ。千年王国や天使の計画など、把握出来ていたとは到底言えない。預言に沿って巡礼の旅を始めたのだから、あちらも動き出すというくらいは分かっていたけれども」
「そりゃあ、行動の詳細まで推察出来るわけもないでしょう。そんなことが出来たらもう、代行者の預言以上ですよ」
「それはそうなんだが」
もう少し楽をさせてあげたかったなと、ジャンヌは反省の言葉を口にする。
「やはりどうしても、彼の負担は大きくなるからねえ……悩ましいところだ」
「仕方ありませんよ。それがつまり、子羊の役目なわけですから」
「彼からすれば、否応なしに背負わされた――ね」
ジャンヌが言うのに、コーネリアは閉口せざるを得なかった。
軽率な言葉選びだったという後悔とともに。
「ああ、別にたしなめているわけじゃない。これは私たちの業なのだし」
「それこそ仕方ありません。人類が未来を掴むために、やるしかないことだ」
「……そうだね」
ジャンヌは重々しく頷く。
「……それにしても。いのちの書とはまた、懐かしい言葉が使われたものだな」
「ジャンヌさん、知ってるんですか?」
「とっくの昔に意味を失くした言葉さ……彼らが使った意味としては、昼に話した解釈で間違いないだろう。問題は」
誰がその言葉を使ったのかだ、とジャンヌは言う。
「ふう、あちら側の接続者なんだろうけど。まったく面倒なことだねえ」
「……要はジャンヌさんと同じ?」
「残念ながらね」
そう答えてジャンヌは苦笑した。
「七人の接続者、七人の天使。七つの遺産と七つの巡礼……ああ、それに代行者も七代目か。いやあ、つくづく七に縁がある」
「と言っても、それ自体は偶然でしょう」
「まあね。でも遥か昔は七を神秘数だとか言って、不思議な力が宿ると信じられていたものさ」
彼女の語る遥か昔とは一体いつのことなのか。
コーネリアはあえて考えないようにしていた。考えたところで、自分とは縁のない時代のことに違いないからだ。
「その力が、私たちの背中を押すものであれば嬉しいのだけども」
ジャンヌが酒を一口煽ったところで、扉がノックされる音が響いた。
不意の来訪者の正体を確かめるべく、コーネリアは扉を開く。
「……ああ、お前さんか。どうした」
真剣な表情で扉の前に立っていたのは、教官の一人であるメルシオネ=ゴードンだった。
「その――少しばかり、お話がありまして」
「ま、入んな。先客がいるけどな」
「構いません。むしろ、都合が良いので」
コーネリアはメルシオネを室内に迎え入れ、空いているソファに座るよう促す。
メルシオネは先客であるジャンヌに一礼しつつ、ソファに腰を下ろした。
「……で? 話ってのは」
問いを投げかけたコーネリアだが、彼には大体の予想がついていた。
あの報告では言えなかったことがある。だから、二人だけになったこの場を訪ねてきたのだ。
「他でもない、今回の事件についてです」
座ってから俯いていたメルシオネは、ゆっくりと顔を上げ話し始める。
「私は対策チームの先導役を任され、エイヴスに向かいました。イレギュラーについては何度か戦闘経験もあったので、正直なところ上手くやる自信はあったんです」
しかし、とメルシオネは首を振る。
「私たちを待っていたのは、予想外の連続でした。千年王国という謎の組織に、伝説上の存在とされていたはずの天使、果ては恐るべき終末ノ獣と……あまりのスケールの大きさに、私は先導する立場でありながら絶望的なまでの力不足を痛感させられた……」
彼の表情からも、そして握り締める拳からも、苦しい心境が伺える。
「そして何より辛かったのは、私が生徒たちとほとんど変わらない立場でしかなかったことです。千年王国も天使も終末ノ獣も、全て通信で説明を聞いて初めて得られた情報でした」
「……ああ。それら全部が、ごく一部にしか周知されていない裏情報ってヤツだからな」
「つまり私はこれまで、それを知る側の人間ではなかった」
教官として生徒の命を預かり任務を遂行する、責任ある立場だと自負していた彼。
だが、そんな彼もまた先の任務においては生徒たち同様、襲い掛かる数々の困難を前にして右往左往しながら、必死にもがき続けることしか出来なかった。
イレギュラー、千年王国、そして終末ノ獣。それら全て、手を下したのはメルシオネではない。ディオンについては自滅に近い終わり方だったが、専ら活躍していたのはやはり対策チームのリーダー、ダイン=アグナスで。
らしいところの一つも見せることの出来なかった自分に……その力不足を見越してか事前に十分な情報を与えなかった彼らに、メルシオネは大きなショックを受けていたのだった。
「……私は、戦闘指導の教官として相応しいのでしょうか。才ある若者たちが増えていく中で、私の力がどこまで支えになるのか分からなくなるのです。そもそも私がこの学園に招かれたのも、成り行きのようなものですし……」
弁明をするように、メルシオネは自身の過去を持ち出す。
彼はイマジネーターとしてアトモス学園を卒業してから、一度はコンストラクターの道を選んでいた。
実のところ、能力としては綺麗過ぎる――つまり型にはまった彼のイマジネートは伸びしろが見えず、であれば能力だけに頼らない戦いをせねばと考えコンストラクターギルドの門を叩いたのだ。
しかし、コンストラクターとして活動する中で彼はギルドの怪しい取引現場を目撃してしまい、幸い見つかることはなかったものの、ギルドに疑念を持つようになる。
そこへ学園の教官という選択肢を与えてきたのが、目の前にいるコーネリアその人なのだった。
「お前にしては、随分と弱気になったな」
「それほどに、今回の一件は堪えたということです。教官という役回りは自分に合っていそうだ、そんな思いから誘いをお受けしましたが……本当は大人しく、実家の鍛冶屋を手伝うべきだったのかもしれません」
彼の実家……ゴードン家は代々鍛冶屋を営んでいて、上に二人いる兄たちは父親とともにそこで働いているという。
店は問題なく回っているそうなので、彼の言葉が本意でないのは明白だが……そう口にするほどダメージが大きいという証左なのだ。
「……フ。お前がそこまで本心を晒してくれるなら、こっちもちゃんと話さねえと駄目だろうな。尤も、最初からそのつもりではあるが」
落ち込んでいるメルシオネとは対照的に、コーネリアは笑みを浮かべている。
それはまるで、我が子の成長を喜ぶ親の表情にもどこか似ていた。
「今回の任務について、情報を制限したことは素直に謝罪する。ただ、先刻話した理由もあるんでな、おいそれと提供出来るモンでもなかった」
「私が言うのも何だが、コーネリア君はきみのことをちゃんと評価している……だからこそ、エイヴスへの派遣を決めたんだからね」
ジャンヌの言葉に、メルシオネはどういうことかと怪訝そうな顔をした。
「メルシオネ、この前話したことを覚えてるか? 何かがありそうだっつうお前の予感に俺は、問題はいずれ向こうからやってくると返した」
「……そうでしたね」
「そしてエイヴスを皮切りに始まろうとしているのが、まさに俺の話した問題なのさ」
一度グラスを傾け、コーネリアは続ける。
「これは今だけの問題でもねえし、散発的なもんでもねえ。全ては一繋がりで、決着がつくまで続いていく……それがどんな決着でも、な」
「……仰っていることがよく」
「預言なのさ。《《この世界全ての終焉》》が預言され……俺たち人類はそれに、抗わないといけねえ」
「世界全ての終焉、ですって……?」
メルシオネは、自身の声が震えているのに気付いた。
エイヴスだけではない……別の世界や、ワールドスクリプトだけなく他ならぬ自分たちの世界ロウディシアすらも。
終焉を迎える預言があるというのかと、彼は恐怖していた。
「お前は決して力不足じゃねえ。ただよ、世界が終わるなんて大それた話なんだ、ほんの一握りの人間にしか知らされていないのも理解出来るだろう」
「……では、校長はルマンという天使と話していたとき、分かっていたんですね。世界の淘汰どころか、全ての滅びが危惧されていることを」
「ま、俺も知らないままの方が良かったとたまに思うけどな」
コーネリアはそう呟いて溜め息交じりに笑う。
「その上で、これはあいつらだけじゃなくお前にとっての試練でもあった。学園を卒業し、一人前になったイマジネーターとしてどこまでやれるのかという」
「私への、試練……」
「何せ、俺たちがやろうとしていることは決して後戻りの出来ねえ計画だからよ」
懺悔にも似たその言葉に、メルシオネは思わずごくりと唾を呑んだ。
教官という立場に不安を覚え、それを吐露しに来ただけだったのに。
自身が彼らに試されていて、その先にのっぴきならない理由があることを突然告げられたのだ。
頭の整理が追いつかないながらも、彼は待った。
きっとこの二人は元より、自分がここを訪れることを見越し、その話を切り出すつもりだったのだろうから。
「メルシオネ。俺たちはお前を信頼し、これから先に起きるだろう数々の困難に、あいつらとともに立ち向かってほしいと考えている」
「うん。もちろん彼らがその道を選び取ったように、きみにも選択権があるけれど……さて、きみはどうしたい?」
委ねられる。
イマジネーターとして、大事な分岐点はいつも自身が選び取ってきた。
それは優しさでもあり、また同時に厳しさでもあることをメルシオネは十分理解している。
殊更に今回の選択は、自身の人生を左右しかねない大きな決断になるだろう。
生半可な気持ちで決められないのは明白だったが――それでもメルシオネは、答えに迷うことはなかった。
「私は――戦いたい。いえ、強くなって護りたいのです……一人でも多くの人を。まだまだ未熟だとは痛感していますが……暖かなその信頼に、どうか応えさせてください」
「……ハッ、いい答えだ」
頭を下げたメルシオネに、コーネリアはそう返して笑った。
「うん、流石はコーネリア君の下で育った若者だねえ。私も信頼がおけるよ」
「俺じゃなくともコイツはしっかりやれてますよ。ま、それより話を進めましょうや」
そうだね、と請け合って、ジャンヌはメルシオネの方へ向き直る。
「では、メルシオネ君。これからきみに、世界が向き合わなければならない試練と真実について伝える。そしてその試練を乗り越えるべく、我々が準備してきた計画――」
彼女は鋭い眼差しでメルシオネを見つめると、その名称を告げた。
「――ダインスレイヴ計画についても、ね」




