152.その過去を紐解いて
アンナ=パニエにはある望みがあった。
「皆さん、こちらです」
アンドルー邸の使用人が、後に続く住民たちへ呼びかけている。
クレイス原生林へ踏み込んでからまだ十分ほど。しかしながら、蒼の遺跡への道はほとんど獣道といった有様だ。
最短ルートは、使用人たちの先導があっても一般人には中々進んでいけない険しさだった。
「大丈夫ですか……アンナさん」
学園の生徒、スキア=スティングがアンナを心配して声を掛けてくれる。
彼女は蒼の遺跡へ向かう者たちを護衛する、実質的な纏め役を務めてくれていた。
ダインたちより二つ上の三年生ではあるが、まだイマジネーターとしてベテランとは言えない年数。
それでも落ち着いて自らの役割を果たしている彼女に、アンナは感謝していた。
「ええ、大丈夫ですよ。これでも普段から体は動かしている方ですので」
アルカード星書院の司書は、基本的に院内で完結する仕事だ。
利用者数によって波はあるが、忙しいにしてもそこまで体力を使うわけではない。
なので体が鈍らぬよう、アンナは意識的に散歩をするようにしていた。
それも主には彼女の特権を利用した、異世界の散策である。
「エイヴスにも時折訪れていましてね。もちろんこういう獣道ではないですけれど、原生林の中を歩いたことも何度かあるんです」
「確か、星書院の職員にも転移の許可があるんでしたね」
異世界に不審な事態が発生した際、最速で様子を確認出来るのは星書院の職員だ。
なので職員も一人一人コネクタを所有しており、必要に応じて転移を行うことがあった。
アンナの場合は、その職権を自身の目的のため有効活用している形だ。
傍から見れば乱用気味にも思えるかもしれないが、彼女はその聡明さと洞察力から過去に異世界の異変を逸早く察知したこともあり、結果的に見回りのような機能を果たしてくれると期待され、認められているのだった。
そもそも、異世界を散策したいと思う職員が彼女以外にはほとんどいなかったのだが。
「良い機会なので聞いておきたいんですが……アンナさんは何故他国に興味をお持ちなんですか?」
エイヴスの人たちがいる手前、他国という言い回しをきちんと使ってスキアは訊ねてくる。
「そうねえ……私は昔から好奇心が強い方でしたから。たった一人の家族である母親に、いつも何で、どうしてと聞いてばかりで困らせる子どもでした」
「フフ……それは想像がつきません」
「こう見えて、結構物怖じしない性格なんですよ? なのでエルフが都会のヒトと距離をとることにも疑問を感じていました。里の族長には怒られたこともありましたっけ」
ロウディシアにあるエルフの里、名をルナマリー。
そこはこのエイヴスほどヒトとエルフ間に溝があるわけではないが、それでも安易な接触は避け、森の中で慎ましく暮らすという理念は共通していた。
エルフは自然とともに生きるもの。
幼い頃からそう教えられてきたアンナは、しかしその教えが何故なのかという疑問に明確な答えが無いのを、いつも不思議に思っていたのである。
「私の好奇心は、小さな里では満たされるはずもありませんでした。なので私は里を離れ、都会に転がり込んだんです。そこから偶然にもジャンヌさんと出会い、アルカード星書院の司書になることが出来たんですね」
「外の世界を沢山知ることが出来る……そんな天職を見つけられた、という感じですか」
「ええ、まさに。そしてこのエイヴスにも来られた……」
未知の世界を愛し、絶えぬ好奇心を向けるアンナ。
そんな彼女には、恩人のジャンヌ=リブラ以外には語っていない過去があった。
彼女がとりわけこのエイヴスをよく訪れる理由。
そこにはある事情が絡んでいたのである。
「皆さん、到着しました。ここが蒼の遺跡です」
使用人の男性が、前方を指差しながら伝える。
蒼の遺跡――水属性のマナが満ちる幻想的な建造物。
いずれは見てみたいと思っていたアンナも、流石に単身ではここまで来れなかったので、今日という日は彼女にとって僥倖だった。
「……素敵ですね」
「そうですね……このような仕掛けの施されたものがあるとは」
終末ノ獣に対抗するという特殊な目的のために創られた祭壇。
数多く異世界はあれど、ここまでの神秘性を持った建造物は中々お目に掛かれないだろう。
少なくとも、ルナマリーに留まって一生を終えるとすれば、絶対に見られなかった。
このような場所も、若きイマジネーターたちがあちこちの異世界へ旅する日常すらも。
「幸い、襲撃もありませんでしたね。では、入れるだけ中に入りましょうか」
集まったのは総勢五十人超。如何にその昔礼拝用に建てられた祭壇だとしても、全員は収容しきれない。
アンナやスキアの他、住民の半数ほどは中に入れたが、後は入口辺りで待機となった。
「内部はこんな感じになっているんですね……」
至る所に古代文字や魔術式が刻まれた内壁を見て、アンナも思わず息を呑む。
蒼の遺跡は外観ばかりが美しいわけではなかった。その内側に刻まれた無数の記号もまた、整然として美麗なものだと彼女には思えた。
――あの人が、これを造ったのね。
「……わあ。随分大勢で来たね」
住民たちの移動が大体終わったところで、奥の方から声が聞こえた。
そこには、いつの間に佇んでいたのか、小さな少女の姿が。
自らを天使と称する、ルマンという名の少女だった。
「そっか。ちょっとでもマナの足しになればってことだね……まあいいや」
「アトモス学園のスキアという者だ。貴方の言う通り、祈りで僅かでもマナが増加するようにと集まってもらった。大所帯になってすまない」
「気にしないよ。マナの動きで魔物とかが寄って来ちゃうかもしれないけど、そこは対処してね」
「ああ、承知した」
……天使ルマン。
アンナは出発前、コーネリア校長から少しだけ説明を受けていた。
それは人に試練を与える存在。人類の夜明けへの道を示す存在……。
セラフィス教会の教えは熟知していたものの、天使が本当にいるとまでは思ってもみなかった。
長い時を生きるのは、多くのものを知る機会に恵まれることだと、彼女はまた一つ喜びを嚙みしめていた。
「それで……古代文字を読めるのは」
「私です。どうぞよろしくお願いしますね、ルマンさん」
アンナが名乗り出たとき、ルマンは彼女を見て少し意外そうな顔をした。
それからしばらくアンナを見つめたままでいたルマンは、ぽつりと一言、
「へえ。もしかして、貴方……」
と、誰にともなく呟いた。
「面白い偶然、かな?」
「……そうかもしれませんね」
二人のやり取りを疑問に思ったスキアが、
「アンナさん、彼女に会ったことが?」
そう訊ねるのに、アンナは緩々と首を振って、
「いいえ。あの子に会うのはこれが初めてです」
と、それについては否定する。
「けれど……そうですね。ちょっとした縁はあるのかも」
「ん。……長いこと生きてると、そういうこともあるもんだね」
お互い明確な答えはあえて出さなかったものの、その縁がどういう者なのかは理解し合えているようだった。
スキアや他の者たちには当然、知る由も無かったが。
「ま、貴方なら問題ないか。遺跡に仕込まれた術式の起動には、刻まれた古代文字の解読が必要だけど……いけるよね」
「やってみないことには何とも言えませんけれど……きっと大丈夫でしょう」
自分ならやれるだろう。
この場所に来て、天使ルマンと邂逅して。
アンナは成功の確信が強まるのを感じていた。
「じゃあ、早速始める?」
「その前に一つだけお聞きしたいことがあるんですけど、構いませんかしら」
「何かな」
「この地に終末ノ獣を呼んだのはディオン=マナリーという方で間違いありませんでしたね」
「うん。結構忍耐力のある人だったな……こちらの都合とはいえ、五十年かけて条件を整えたし」
五十年……エルフが長命だとしても、決して短い期間ではない。
時の流れ自体は誰にも平等だ。その長きに亘って、ディオン=マナリーというエルフはエイヴスを滅ぼす計画を進め続けた……。
「彼は一度として、自身の気持ちを見つめ直すことは無かったのでしょうか。それだけの長い時間がありながら」
「さあ……でも、ここまで来たってことはよっぽど疎ましかったんじゃない? それか、馬鹿らしかったか」
「……そうですか」
天使の言葉は恐らく正しいのだろう。
五十年を費やし、遂にエイヴスを滅ぼさんと牙を剥いたのだから。
……悲しい人だ、とアンナは思う。
今回の事件で革新派と名付けられた、外の世界へと居場所を求めた者たちこそが全ての始まりだった。
「分かりました……始めましょう」
アンナが告げ、ルマンは頷く。
そこに暗黙の了解があったかのように。
スキアも、アンドルー邸の使用人たちも、そしてもちろんエイヴスに住まう人たちも。
今は二人の行いに何も手出しをすることは出来なかった。
「――ふう……」
ルマンが静かに目を閉じ、意識を集中させる。
すると、その体から薄っすらと魔力のオーラが放たれ始めた。
彼女が遺跡から取り込んだ――捕食したマナが、還元されているのだ。
「――読めるね?」
「ええ……読めます」
あえて記された古代文字を。
過去から現在に向けて遺されたメッセージを、彼女は紐解いていく。
そう――他でもないあの人が、遺したはずのメッセージを。
――やっぱり、そうなのよね。
施された術式の起動方法以外にも、端の方に刻まれた言葉がある。
偉大なる魔法使いが、ただ一人の女性に宛てた言葉。
『いつか、世界全てを呑み込む大いなる災厄が訪れる。この世界の未来については、貴方に託そう――スレイマン=ヘリング』
掠れてはいるものの、多少前後の文章から当てはめれば十分に判読出来るレベルだった。
アンナはスレイマンが刻んだメッセージを彼女の代わりに受け取る。
彼に焦がれ、追い続け、けれども叶うことの無かった彼女の代わりに。
――天使は面白い偶然と言ったけれど……。
或いは、これは必然なのかもしれないとアンナは思う。
異世界を渡り歩くことが出来た、稀有な人間。
その偉業を真似ようとし、頑なな者たちは新天地を求めた。
しかし、天才を完璧に模倣出来る者はいなかった。
ある時一団は術式において事故を起こし、散り散りになった……。
「……魔法の起動まで、行えますか?」
「大丈夫。ありがとうね、スキアさん」
「いえ……」
差し出がましかったかと、スキアはすぐに引っ込む。
そんな彼女には申し訳なかったが……アンナはこの全てを、自分が果たすべき使命だと考えていた。
自身に流れる血が、そうあるべきだと訴えていた。
――流石の魔術師さんも、愛というものの深奥は理解出来なかったんでしょうね。
革新派が新天地に光を見出そうとしたとき。
その思想に何ら共感のない女性も一人、一団の中に身を投じた。
彼女には、彼女だけが抱く想いがあった。
それゆえに、彼女は世界を渡る必要があった……。
「さあ……起動して。今こそ託された思いに、応える時なのだから――」
母はもう、この世の人ではないけれど。
自分になら、代役を引き受ける権利がある。
そんな思いゆえに、アンナ=パニエはこの舞台に上がった。
そして今、託された仕掛けは確かに、エイヴスを救うために起動する――。




