148.今、手を取り合う時
「……俄かには信じられないな」
アンドルー邸の食堂にて。
メルシオネ教官の報告を聞き終えたアンドルーさんが、初めに呟いたのがそんな言葉だった。
「ルマンという天使と、蒼の遺跡に仕込まれた魔術式……。この恐ろしき事態が、予定されていた人類への試練だとは。単にディオンら千年王国の者たちが引き起こした災害としか考えていなかったが……」
「我々も、そのような背景があるというのは流石に予想していませんでした。しかし、事実として天使が我々の前に現れたからには、信じるほかないのでしょう。その強大な力も見せつけられましたし」
「……天使ルマン、か。今も信仰を続ける豊饒の女神が、斯様な存在だったというのは驚きだ。儀式が持つ本来の意味も、豊饒祈願とは別物だったのだな」
そして、その本来の目的すら、ディオン=マナリーは祭壇を新設することによってすり替えてしまった。
五十年前から、豊饒祈願の儀式は形骸化したイベントになってしまっていたのだ。
「ただ、神に等しい存在の所業だとしても、この国は我々人が築き上げてきた大切な宝。それを脅かすものに対しては断固として立ち向かわなくてはならない。人を量る試練? 関係がない……民を、国を傷つける者に、我々は屈さないというだけだ」
「……アンドルーさん」
握り込んだ拳と、鋭い眼差し。
静かに語りながらも、彼の内に熱いものが滾っていることは容易に分かる。
彼が、ここに生きる者たちが守り続けてきた世界、エイヴス。
いかに神――いや天使の采配と言えども、傷つけられることへの怒りを感じるのは当然というものだ。
「儂らとて、その気持ちは同じだ。特に里は二度の襲撃で再建が困難なほど崩壊し、今はアーテミーの者に食料も寝床も頼らざるを得ない状況……。これほどの屈辱、晴らさねば気が済まぬというもの」
同席しているマレー族長もまた、怒りを露わにする。
共通の敵を前に、アーテミーの長とアンパッサの長は気持ちを一つにしていた。
「他に手立てが浮かばない以上、蒼の遺跡を武器として用いるのが唯一の突破口だと我々は考えています。天使ルマン曰く、起動の手順が古代文字で記されているため、解読出来る人物を要請しているところですが……準備が整い次第、攻撃を開始しようかと」
「うむ……何かこちらで出来ることはないだろうか? この国の問題を、ロウディシアの者たちだけに任せたくはないのでね」
それは申し訳ないというだけではなく、自分たちとて一矢報いたいという気持ちもあるのに違いない。
だから、その申し出を遠慮するのはかえって失礼というものだ。
「街の防衛はしていただくとして……そうですね。他に協力出来ることと言うと」
エイヴスに生きる民たちに出来ること。
たとえ一人一人が戦う術を持っていなくとも、力になれることがあるならば……。
「……すみません」
そこでイオナが遠慮がちに口を開く。
「蒼の遺跡は、ディオンさんが儀式場所を移転した五十年の間に幾らかマナを失っていると、ルマンちゃんが話してました。最大までマナを貯められれば、あと二割は終末ノ獣の力を削れるとも。……だったら、昔行っていたのと同じ方法で、そのマナを少しでも貯めるのはどうでしょう? たった一日の祈りが、どれくらいのマナを生むのかは分かりませんけど……」
かつて、人とエルフが袂を分かつより前に行われていた祈り。
二つの種族が隔てなく、遺跡の中で豊饒を願っていた時代のように。
……なるほど、それなら誰にでも力になれる。
イオナの言うように、それでどこまで結果が変わるかは何とも言えないけれども。
「あ、えと。そんなことしてられないって気持ちも分かりますし、他の方法があれば全然いいんですけどね」
場が静まり返ったのを感じ、イオナはすぐに弁解のような言葉を付け足す。
しかし、アンドルーさんやマレー族長が黙り込んだのは、決してネガティブな意味合いではなかった。
「いいや……むしろ、とても良い案だと思う。実際の効果のほどは分からないにしても、気持ちの面で非常に意義がある」
「……そうだな。アーテミーもアンパッサもなく、全ての民が今回のことに憤りを感じておろう。ゆえに、その憤りを消化できる明確なものがあり、そこへ向けて気持ちを一つに出来ることで……折れそうな心も強くまとめられるはずだ」
水のマナを蓄積する主目的も重要だが、この苦境で弱っている人の心を奮い立たせることにも意義がある。
二人はイオナの提案を、前向きに受け止めているようだった。
「その案、是非とも乗らせてほしい……住民の意思を聞いてからにはなるが。私の考えでは恐らく、否定する者はそういないだろう」
「エルフとて同じだ。……ふん、今こそ真に手を取り合う時……ということなのかもしれぬな」
「……ええ。この国を、終わらせないためにも」
アンドルーさんとマレー族長は静かに、どちらともなくそっと手を差し出し、握手を交わす。
それが自然に出来たということが、互いの気持ちが同調している証のように感じられたのだった。
「――おや、失礼。通信が」
テスタマイザーからの通知で、メルシオネ教官はそう断ると慌てて席を立ち、部屋の隅で通信を受ける。
そして二言三言会話をした後、ゆっくりこちらへ戻って来た。
「校長からです。この場で共有しても良いということなので」
教官はそう言い、全員に見えるよう空間への画面表示を行う。
『報告中に失礼。俺はコーネリア=セントリオ、こいつらの監督者に当たるモンです。既にお聞きとは思いますが、遺跡の機構を動かすのに古代文字の解読が必要とのことだったんで、こちらで解読可能な人員を探しててましてね。つい先ほど、その人員を派遣出来る算段がついたんで報告させてもらった次第です』
画面に校長の姿が表示されるや否や、彼はアンドルーさんたちに向け的確に説明を行う。
……しかし、あれからまだ三十分と経っていない。もう人員を確保出来たんだな。
『ただ、もう時間も遅いですからね。そちらの意向を伺ってからどう動こうか決めようかと』
「……時間、か」
忘れていた、という風にアンドルーさんは柱時計へ目を向ける。
時刻は夜の九時を回ったところ。普通なら、ここから行動を開始するのは勧められない時間だ。
「正直なところ、時間は惜しい。ディオンら千年王国の者があの獣を利用し、いつまた街を襲うかも分からないのでね。……ただ、話を聞く限りは数時間で事態が大きく動くこともなさそうだ。先ほど決定した方針には住民の協力も不可欠なこともある。一度休息の時間をとった方が良いかもしれないな」
「楽観は出来ませんが、私も同意見です。先頭に立ってくれているこの子たちの体力も、教官として心配ですし……万全の状態で戦うためにも、休息は挟むべきかと」
アンドルーさんに続いて、メルシオネ教官も休息が必要だと声を揃える。
こんな状況だからこそ休むべき……か。必死にもがいてばかりで失念していたが、言われてみれば疲労が蓄積しているのは事実だ。
意識すると体のあちこちが痛むし、眠気だって多少は襲ってくる。それに……お腹も空いていた。
「夜に行動するのもやり辛いところが多いだろう……ここは翌朝に作戦決行とするのはどうかな?」
「その辺りが妥当だと思います。具体的に、午前七時としておきますか」
「ああ。その予定で住民たちにも働きかけよう」
話はトントンと進み、作戦開始の明確な日時が決まった。
聞いていたコーネリア校長も、メルシオネ教官の手腕に満足げで、
『よし。そんじゃ、こちらも人員を派遣するのは明朝としますよ。正直、今から向かってもらうのは忍びなかったところですし。七時前に拠点へ転移してもらうんで、そこから合流して作戦を進めていってもらえれば』
「大変助かるよ。我が国の問題だというのに、ほとんど頼り切りになってしまって申し訳ない』
『なに、友好国の危機なんです。水臭いことは言わんでくださいよ。困った時には手を差し伸べる、それが隣人というものだ』
コーネリア校長はそう言って笑う。
その言葉は、アンドルーさんとマレー族長の心には殊更深く響いたように見えた。
「……あのさ」
場が良い雰囲気になったところで、ふいに発言したのはテッドくん。
何だろうとみなが振り返ったところで、彼は頬をポリポリと掻きながら、
「教官も言ってくれたけど、体力回復のために休憩は大事だよなって。……つまり、何が言いたいかと言うとだなあ……」
流石にこういう場で奔放には振る舞いにくいのだろう、欲求と遠慮の間で葛藤するようなしどろもどろの台詞のあと、彼の本心をストレートに伝えたのは言葉ではなく音だった。
「……へへ」
テッドくんのお腹が盛大に空腹を訴える。
どんな緊急時でも、それは止めようのない生理現象だ。
『すみませんね、一端の戦士とはいえ、こいつらもまだ十五、六歳くらいの子どもらです。決戦の前に、しっかり食ってしっかり寝かせてやってほしい。最大限の力で戦えるように』
「もちろんだ。最前線で脅威に立ち向かってくれる者たちに、それくらいの場は提供しなければ申し訳が立たない。……そこを遠慮されては、それこそ水臭いというものだからね」
『はは、違いない。……じゃあ、こちらはこちらで動きますんで、よろしくお願いしますよ』
「うむ……こちらこそ、どうかよろしく頼む」
そこで、コーネリア校長の通信は切れた。
テッドくんのハプニングがきっかけではあるけれど、校長らしい、生徒への気遣いで最後は締めくくられた。
「そちらの監督者の方と話したのは初めてだったが、良い人のようだね」
「ありがとうございます。まあ、人使いは荒いですが」
アンドルーさんが校長を評価するのに、メルシオネ教官はそう返して笑う。
「フフ。……では、任された身としてしっかり務めを果たすとしよう。まずは食事だ、みなはここでゆっくりと待っていてほしい」
すっくと立ち上がると、アンドルーさんはオレたちにそう告げ食堂を出ていった。
こんなときだけれど……いや、だからこそか。食事が運ばれてくるのが待ち遠しくなるな。
「おっし……明日に備えて沢山食うぞ!」
テッドくんの宣言が緊張を解してくれるようで、オレたちはくすりと笑う。
そして遅くなってしまった夕食を、今か今かと待ちわびるのだった。




