136.終わりをもたらすモノ
「終末の……獣……?」
何なんだ、そいつは。
そんな存在が、有り得ていいのか。
千年王国の奴らが生み出したイレギュラーでさえ、あんなにも強敵だったのに。
オレたちが今目にしている怪物は、明らかにそれを凌駕している……!
「嘘でしょ、あんな魔物……」
エレンちゃんは青褪めた顔で呟く。
あんなものに人間が太刀打ち出来るはずもない。そう思っているのは瞭然だった。
……正直なところ、オレもそんな感想しか浮かんでこない。
まさに終末そのものが魔物の姿形となったモノ……それに対抗することなど、オレたちに、いや人類に可能なのだろうか?
『*****――ッ!!』
終末ノ獣が再び咆哮を轟かせた。
周囲の空気がビリビリと震える感覚――気のせいではない、確かに震えているのだ。
あの距離からでも、獣の叫びが空気を震わせている……。
「さあ獣よ、その力を見せてみろッ!!」
ディオンの命令に呼応するかのように、終末ノ獣はこちらをギロリと睨みつけた。
出現した火山からここまではかなりの距離があるものの、すぐそばで射竦められたような恐怖が全身を駆け抜ける。
そして、獣が動く。
赤き泥のような翼を羽ばたかせて飛翔し、火山の上空で留まる。
そしてばくりと口が開かれると、喉の奥が赤黒い光を放ち始め――。
「――いけません、退避しなければ!」
メルシオネ教官が必死の形相で叫ぶ。
あの怪物が何をしようとしているかは察知出来る。教官が焦るのも当然のことだ。
けれど、だからといってどこに逃げれば無事で済むと言うのか……!
「こちら、とにかく低い位置に!」
教官は祭壇の下、階段の中途まで下がって身を伏せるよう指示を出す。
迷っている暇もなく、オレたちはすぐさま教官に従い傾斜で身を隠した。
……そうだ、比較的安全な場所はここしかないだろう。駄目だ、教官のようにもっと冷静でいなくてはいけないのに……!
『****!!』
声が聞こえた一瞬の後。
凄まじい風と熱気が、オレたちに襲い掛かった。
ああ、それはまさしく地獄の業火。
とてつもない威力の炎を、獣はその口から吐き出しているのだ――!
「ひい……ッ!」
エレンちゃんが頭を押さえながら悲鳴を上げる。
滅茶苦茶だ……あんなに和やかだった祭がまさか、あっという間に恐怖と混沌の支配する場に変貌してしまうなんて。
このときほど、あの悪夢が恋しいと思ったことはなかった。
これが現実でなく悪夢であればいいのにと、そんなことを思ってしまっていた。
「危ないっ!」
火炎ブレスの勢いは凄まじく、炎上したまま吹き飛ばされた木々がいくつもこちらへ向かってくる。
ルカが注意を促し、イオナとフェイ、それにエレンちゃんが防御魔法を展開する。それで辛くも危機を凌いだ。
「ああ……森が――」
呆然と、アンドルーさんは声を漏らした。
エイヴスの美しい原生林が、豊かな自然が……瞬く間に失われていく絶望。
この国を治める者として、それは我が身を燃やし尽くされるのと同義なのに違いない。
その目に、光るものが一筋流れているのが見えた。
「収まった、か……?」
熱気が退き、サラルが慎重に身を起こす。
オレたちも周囲を見回しながら、ゆっくりと祭壇の方まで再度上っていった。
「……こいつは……とんでもないね……」
「そんな……酷すぎるよ、こんなの……!」
エスカーも普段のニヒルさは影を潜め、呆然とその惨状を見つめる。
対してルカは、悲痛な声を上げながら地団太を踏んでいた。
……獣の一息。
ただそれだけで、エイヴスは火の海に包まれていた。
原生林はバチバチと音を立てて燃え、やがて木々は一つ、また一つと崩れていく。
後ろを見やれば木造の建物も、同じような末路を辿っていた。
火の勢いは衰えることなく、エイヴスの全てを呑み込もうと猛っている――。
「フハハ……素晴らしい威力ではないか。なるほど終末ノ獣と称されるに相応しい……」
祭壇に立つディオンは、何と無傷だった。
防御魔法か何かを使ったのだろうが……あれを難なくやり過ごせるだけの力を隠していた、ということなのか。
あの男は、千年王国の野望を成就するために、あらゆることをひた隠しにしてこれまで生きてきたと……。
「ディオンさん……いえ、ディオン=マナリー。あのイレギュラーは一体、何なのですか……!」
「おや、アトモス学園ともあろうものがあれを知らぬとは。ふむ……思えばこの程度の戦力、あくまでも偵察だったということかな」
「くっ……」
オレたちの力をこの程度と評されるのは悔しいが、終末ノ獣が吐いたブレスへの対応だけでも王国の奴らとの差は想像出来てしまう。
ああ、きっとそうに違いない。
急ごしらえで結成されたオレたち対策チームは、少なくとも現状は偵察部隊のようにしか機能していないのだ。
真にワールドスクリプトへ危機が迫ったとき、オレたちのように生徒ばかりの部隊では、どうにも対処出来るはずがない……!
「まあいい、教えてやろう。アレは……終末ノ獣こそはイレギュラーの最上位存在。世界に歪んだマナが満ちたとき、あの獣は産み落とされる。そしてそれは、世界が滅ぶことと同義なのだよ。感じただろう? あの炎の一息で。もはやこの世界を救う術などありはしないと……」
「そんなの、やってみなくちゃ分からねえだろ……!」
「強がるのは構わないが、事実アレに人間如きが抗うことなど不可能だと思うがね。……そら、また来るぞ」
「なっ……!」
ディオンたちに気を取られていたが、火山上空にいる終末ノ獣は、再び動きを見せていた。
まるで鈍ってしまった体の感覚を取り戻すように、不規則に空を飛び回った後、獣はこちら側へ近づいてくる。
接近されてようやくその大きさが推測出来たが……終末ノ獣は、ゆうに二十メートルを超える巨躯を誇っているのだった。
「またブレスが――いえ、これは……!?」
メルシオネ教官はすぐに異変を察知する。
終末ノ獣はブレスを吐こうとしているのではなかった……空中にいながら翼を畳み、体を丸め込んでいる。
そうすることで、エネルギーを蓄えているように見えた。
……そして、次の瞬間。
「な、何だあっ!?」
テッドくんが目を丸くして叫ぶ。
終末ノ獣が丸めた体を大の字に開いた瞬間、眩しい閃光が生じたかと思うと、無数の炎の塊が全方位に放たれたのだ。
もうその数がいくらあるのか、数えることすら出来ない。数多の火の玉が空を駆け、地上へと墜落していく――!
『……聞こえますか、皆さん!』
「マル……!?」
学園側からの緊急通信だ。
突然のことだったのでまともな応答が出来なかったが、名前を呼んだので繋がったのを察してくれたらしい。
『先ほど全ての機能が復旧しまして、そちらの状況をデータ上で追っているんですが……一体何が起きてるんです!? マナの数値が異様に膨れ上がっていますよ……!?』
「経緯を説明してる余裕が無え! とにかく終末ノ獣っていうヤバいイレギュラーが現れたんだ……!」
『終末ノ獣……!? それは一体、いえ――それよりまずいです!』
「もう十分まずいんだが!」
『とんでもない量のイレギュラー反応が……《《落ちて来てる》》んですよ!』
「は――」
――落ちて来ている、だって?
弾かれるように頭上を見上げる。
エイヴス全土に墜落していく火の玉……まさか、これら全てが?
「嘘だろ……!?」
「あの全てがイレギュラー……ということですか……!」
流石のメルシオネ教官も理解の範疇を超えた展開に、苦虫を噛み潰したような顔になっている。
終末ノ獣そのものが最強クラスのバケモノだというのに、そいつが更にイレギュラーを大量に産み出してくるとは……。
『***……ッ!』
獣の叫びが空より響く。
自身の眷属のようなイレギュラーを地上へ産み落としたそいつは、しばらくこちらを見つめたまま空中に留まっていたが、やがてくるりと身を翻した。
……襲ってこない?
「……目覚めたばかりでエネルギーが不足しているか。まあ、仕方あるまい。いずれにせよ、これでエイヴスが滅びを迎えるのは時間の問題だ」
「いかがいたしますか、ディオン様」
「我々も終末ノ獣の完全な制御は出来ん。ただ、獣があの火山を根城とするなら向かうほかないだろう」
「畏まりました」
これまでリーダーだと思われていた皮肉屋の男だったが、ディオンに対してはへりくだった言葉遣いでやりとりをする。
それがまた、ディオンこそ彼らを纏め上げる真のリーダーだというこの上ない証拠となり、胸を締め付けられた。
「では諸君、終末までのそう長くない時間、せいぜい足掻いて見せてくれたまえ……」
「ま、待て――」
制止も虚しく、ディオンたちはふわりと宙に体を浮かせると、そのまま火山の方へ飛んでいってしまった。
……オレたちには五人を止めることも、追うことすらも出来なかった。
「……畜生ッ!」
「ダイン……」
イオナがそっとオレの肩に手を置いてくれる。
彼女自身も焦燥感に苛まれているだろうに。
駄目だ。悔しい気持ちは分かるが、こういう状況でこそ落ち着かなければ……!
「……ある意味では助かったと言えます。終末ノ獣とやらも千年王国も、ここを離れてくれたわけですから」
「でも、教官」
「ええ、最悪の事態が非常に悪い事態になったくらいのものでしょう。……マルさん、聞こえますか?」
『はい、聞こえています。出現したイレギュラーの捕捉ですね?』
「話が早くて助かります。なるべく急ぎで、全員のマップに共有していただければ」
『あァ、全力でやってるとこだぜ』
割り込んできたのはアーロンさんのようだ。
あちらもあちらで、結構な人数を割いてこちらの対応にあたってくれているらしいな……本当に助かる。
「貴方がたは、もしや……」
「ええ、もちろん。今から住民たちの救助をしつつ、産み落とされた異常個体の討伐にあたります」
「……すまない、感謝する……!」
アンドルーさんは涙ながらに言い、メルシオネ教官の手を握り締めた。
どうか頼むと、その思いを込めて。
「皆さん、チームごとに分かれて対応を! ……必ず、このエイヴスを未曾有の災厄から護り抜くのです」
「――はい!」
仕組まれた儀式の果て、何もかもが変わってしまった世界。
悪夢に落ちたようなこのエイヴスだけれど――それでもまだ、滅びるなんて決まっちゃいないはず。
絶望するにはまだ早い。
オレたちに出来る全力で、この世界を護り抜くんだ……!




