135.襲い来たる悪夢
「――ハハハハハッ!!」
世界が、揺らぐ。
異形の化物……イレギュラーの亡骸が黒い粒子となって散り逝くのと同時に地面が揺れ始め、それは瞬く間に大地震となった。
響く轟音。立っていられないほどの振動に、住民たちは叫びながら座り込む、或いは転んでしまう。
「きゃあああっ!」
「た、助けてくれえ……っ!」
儀式の場は、瞬く間に阿鼻叫喚の様相を呈する。
「何なんだ、何が起こってるんだよ……ッ!」
つい今しがたまで平和そのものだったこの街が、一瞬で恐慌状態に陥ってしまう。
あまりにも突然の、そして想像を絶する展開に理解が追いつかない。
ただ――ただ一つだけハッキリしていることは。
「あの人も……千年王国の一員だったってことかよ……ッ!?」
ディオンさんは――ディオン=マナリーは高らかに嗤う。
混沌と化したこの儀式の場で、狂ったように嗤い続ける。
「あ――」
思わず天を仰いだ、そのとき。
視界に映る空の色に……オレは絶望的な既視感を覚えた。
「嘘、だろ……」
茜色だった空に、黒々とした暗雲が立ち込めていく。
その切れ間から覗く色はもはや朱ではなく……深紅。
どこまでも非現実的で、有り得てはならないような光景なのに。
オレはこの景色に見覚えがあった。
この景色に、囚われていた。
「悪夢の中の、世界じゃねえか――」
物心ついた頃から見ていた悪夢。
嫌になるほど繰り返されてきた夢の光景と、今眼前に広がるそれは酷似していて……。
「ダイン、イオナ!」
ルカの声。振り返ると、逃げ惑う群衆を掻き分け学園のメンツがこちらへやって来ている。
皆この事態を受け止め切れず焦燥気味ではあったものの、とにかく一所に集まろうとこちらへ来てくれたようだった。
「なあ、あれ――ディオンさんがやらかしたっちゅうことなんか!?」
「状況からして、だと思う……何でこんなことになってるのかは分からねえけど……!」
「――イレギュラーだよ……」
そのとき、イオナがぽつりと呟いた。
「確かに供物としてイレギュラーが使われてたが、アレがどう影響するんだ」
訳が分からないと声を荒げるバラン。
「イレギュラーの汚染されたマナが、トリガーになってるんだよ……!」
「何のだよ!」
「終末の――」
終末……その悲劇的な響きに、バランも思わず閉口する。
オレたちは今、その恐るべき終末の只中に放り込まれてしまった……。
「その終末とやら、止められないのでござるか……!?」
「あの、黒い粒子がマナなんですよね? あれが消えていくとまずいってことなんじゃ……!」
エレンちゃんの言葉にそうだねと頷いたイオナは、
「テスタマイザーに備わってる機能を……キャプチャ機能を使うしかない。間に合うかどうかは分からないけど……!」
「こんな状態だもの、とにかくやってみましょうよ!」
フェイの言う通りだ。状況が刻一刻と悪化していく中、打てる手を吟味している時間は無い。
僅かでも可能性があるのなら、とにかく行動に移すべきだ。
「あいつらの思うようにはさせねえ……!」
オレたちは急ぎ、祭壇前まで走っていく。
そして後もう少しで階段へ差し掛かる――というところで、奴らがとうとう姿を現した。
「ハハ、楽しかったか? 残念だが、ガキどもの遊ぶ時間はお終いだ」
「……千年王国……!」
魔法による能力強化か、或いはイマジネートの能力か。
中空から軽やかに着地し、オレたちとディオンの間に立ち塞がった者たち。
牢を破壊し、脱獄を果たした千年王国の四人組……!
「――氷刃」
有無を言わさぬエスカーの先制攻撃。
しかし、その刃は男の短刀で軽々と砕かれてしまう。
「チッ、可愛げのないヤツだ」
「どう考えてもあんたたちは敵でしょ? 攻撃しない理由がないものね」
「意気込みだけは褒めてやるがな」
男が嗤うと、傍らにいた女が右腕を横に振るう。
すると、忽ち凄まじい風が生じてオレたちに襲い掛かった。
「くっ……!?」
「……なるほどね、イマジネートか」
エスカーが冷静に分析する。
今のは魔法とは異なる力……そう、彼らが持つイマジネートの能力に違いない。
「ああ――イレギュラーのマナが、消えてく……」
イオナが悲痛な声を漏らした。
祭壇の方を見やると、既に黒々としたマナのほとんどは散り、微かな名残がある程度にまで消失していた。
……間に合わなかった、のか――?
「――感謝しているよ、アトモス学園の諸君」
「……ディオンさん……!」
祭事が始まる前までとはまるで雰囲気の違うディオン=マナリー。
見下すような笑みを張り付けたその顔を、イオナは悔しげに睨みつける。
「おかげでイレギュラーの定数は満たされたようだ。全ては我々の目論見通りに進み、結実した」
この状況は、全てこいつらの……千年王国の意図するところだったというのか。
オレたちはただ、掌で踊らされていただけだったと……。
「ディオン、本当にお前は……」
「……ああ、アンドルー」
アンドルーさんがこちらへやって来ていた。
住民の避難はテルさんに頼み、長年連れ添ってきたディオンとの対話をすべく残ったようだ。
「君は父親と違い、中々手強かったな。私の意見を聞き入れないこともしばしばだった。それは褒めておくとしよう」
「何故、こんなことを? やはりこの四人が語ったのと同じ、世界の支配だとでも言うのか……!?」
「正確には、支配というのは少し意味合いが異なるがね」
ディオンはその口調すら激変し、尊大な態度で以てアンドルーさんへ答を返す。
「世界はいずれ滅びを迎える……その最後の審判の時、我々が選ばれし生還者となるために、人々は淘汰されねばならないのだよ」
「淘汰、だと……?」
分からなくて当然か、とでも言う風にディオンは鼻で嗤う。
「我々千年王国はまさに、滅びを乗り越え千年を超えて続く国を築かんとしている。そしてそのためには、術を持たぬ小国には消えてもらうほかないのだ」
「な……何やそれ、要は自国の存続のために他国を攻め滅ぼすってことやん! 身勝手とちゃうか……!?」
「どうとでも言うがいい。世界の理を知らぬ者にしか、綺麗事は述べられぬだろうからな」
話している間にも、地震は一層その強さを増していく。
悪夢のような事象が展開される中、ここから先に待ち受けるのは何なのか。
地上が毒に汚染され、海が赤く染まり、隕石が降り注ぐ……もしもそんなことになるのだとしたら、このエイヴスは本当に滅んでしまいかねない。
そんな超常的現象、オレたちには止めようがない……!
「皆さん!」
牢からこちらへ向かってきていたメルシオネ教官が到着した。
脱獄した四人に守られるような恰好のディオンを一目見て、彼は瞬時に状況を理解する。
「彼が……」
「学園も所詮はこの程度か。いや、様子見のつもりだったか……いずれにせよ、時は満ちた。これより始まるはエイヴスの終末……」
恍惚とした表情で、ディオンは空を見上げ、手を掲げる。
その直後、一際大きな揺れがエイヴス全土を襲った。
「うおお……ッ」
「こんなの、街が壊れちゃうわ……!」
フェイの懸念は即座に現実のものとなり、下層の方からガラガラという崩壊音が聞こえてきた。
下の方にある簡素な建物ほど、この地震に耐えきれずあっさりと崩れてしまっているのだ。
祭のために皆出払っていて、建物内にほぼ人がいないのは救いか……いや、そんなの些末な問題だ。
終末などと大仰な名称を冠する現象が、これで終わるはずもないのだろうから……。
「さあ、見るがいい」
大地が、慟哭する。
ディオンの背後……それまでどこまでも原生林が広がっていたはずの場所が、隆起していく。
馬鹿な――と声を上げることすら出来ない。
目の前の非現実的な光景を、呆然と見つめることしか出来ない。
やがて……隆起した大地は、巨大な山岳を形成する。
エイヴスという大陸の中心部、そこに突如として山が生まれたのだ。
その山は赤く、鳴動している。
あれは炎――灼熱の炎を纏いし火山……。
「あ――」
……そして。
火山の山頂から姿を現したるモノ。
見る者全てを恐怖に陥れる歪み切った存在。
オレたちがこれまで必死に戦ってきたイレギュラー……そいつらとは一線を画すレベルの、巨大で醜悪なバケモノが這い出てくる。
バケモノは、翼を持っていた。
腐り果てたように外皮の垂れ下がる、赤黒い翼を。
その翼がバサリと広がると、火口のマグマが跳ね上がり、火花を散らす。
それから覚醒を誇示するかのように、天を仰ぎ――悍ましい咆哮を轟かせる。
「これが星の終わりをもたらすもの――終末ノ獣だ」
ディオンは誇らしげに、その怪物の名を口にしたのだった。




