第8話 許可を得たい
数日後の午後。わたしは窓辺のソファで紅茶を飲みながら、平和というものの尊さをしみじみと噛みしめていた……と言いたいところだけれど、実のところ、全身を這うような気だるさは一日たりとも消えていなかった。表面上は穏やかな日常を取り戻しているように見えて、その実態はヴァレンティアス様による「休日は一日中一緒にいよう作戦」改め「妻を逃がさないための徹底監禁&溺愛生活」によって支配されていた。
朝から濃厚な口づけで目覚めさせられ、読書をしていれば背後から腕を回されて艶めかしく耳を攻められ、庭の散歩中ですら彼の手に腰をがっしりと捕らえられたままで、昼寝に至っては彼の腕の中で幾度もトロトロに溶かされるまで愛された。しかも、あれほど激しく愛された夜のあとも、彼は毎晩のように「足りない」と言い張ってわたしを限界まで狂わせようとしてくる。おかげで、夜毎に肌に残る痕と甘い余韻は増える一方であり、毎日抱かれているという実感がわたしの羞恥心を刺激してやまない。
——もちろん、あの日の激しいお仕置きの記憶とそれからの肉体の疲労から、流石のわたしにも学習能力というものがしっかりと備わっていた。もう当分、大っぴらに逃げようなんて無謀な真似はしない。……たぶん。
わたしが窓の外を見つめながら風に身を任せていた時、侍女のミレイが恭しく一枚の手紙を差し出してきた。
「王宮からのお手紙でございます」
「王宮? 差出人は?」
「リュシエンヌ王女殿下でございます」
「リュシー!」
わたしはすぐにそれを受け取って、封を切った。淡い金の縁取りがされた上質な便箋。流れるような美しい文字は、間違いなくわたしの大親友のものだ。
『ノーラへ。最近、まったくゆっくり話せていないわね! あの執着の塊みたいな夫についに監禁されちゃった? 今度こそ、彼に邪魔されない平和なお茶会をしましょう。明後日の午後、王宮に来て頂戴。薔薇のタルトを用意して待っているわ。元気な姿を見せて頂戴ね。リュシエンヌ』
わたしは手紙を胸に抱きしめて、ため息をついた。
「行きたい……!」
最後にリュシーと会ったのはいつだろう。親友とのお茶会。行きたいと思うに決まっている。
ヴァル様にばれないように、こっそりと向かえば今度こそ部屋から出してもらえなくなるかもしれない。ならば……。
「隠し事はしないわ。ちゃんとヴァル様に許可を取ってくる!」
◇ ◇ ◇
ヴァル様は書斎にいた。山積みの書類に目を通していた彼は、わたしが扉を開けるとゆっくりと顔を上げる。その青銀色の瞳は、わたしの姿を捉えた途端に蕩けるような甘い色を帯びた。
「どうしたの、ノーラ。そんなに慌てて。……もしかして、僕に会えなくて寂しくなったのかな?」
その甘い声は、毎夜耳元で囁かれる愛の言葉を思い出させ、頬に熱が集まる。昨夜も執拗に愛されてまだ身体は本調子ではないというのに、この男は平然としている。わたしは恥じらいを押し殺し、机の前まで駆け寄ると、持っていた手紙をぴしっと差し出した。
「リュシーからお茶会のお誘いがありました!」
ヴァル様は手紙を受け取り、目を通す。その間、わたしはそわそわと立ったまま、行儀よく待っていた。今回は、正々堂々と許可をもらいたい。内緒で行けば、またどんなお仕置きをされるか分かったものではないからだ。毎晩のように求められているのにこれ以上抱かれては、廃人になってしまうかもしれない。正面からお伺いを立てるのが、大人の対応というものである。
「王宮の、リュシエンヌ殿下の私室で、か。他に誰か来るのかい?」
「おそらく、二人だけです。女同士の秘密のお喋りですよ」
ヴァル様は腕を組み、わずかに目を細めて考え込んだ。わたしはごくりと息を呑んで彼の言葉を待つ。拒否されるだろうか。「王宮には男の騎士が多いから危険だ」といった理由をつけられるだろうか。
しかし意外にも、ヴァル様はふっと口元を緩め、頷いた。
「いいよ」
「本当ですか!?」
わたしは思わず両手を合わせた。ヴァル様は苦笑している。
「そんなに嬉しい?」
「嬉しいです! リュシーと久しぶりにゆっくりお話しできるのですから」
わたしは嬉しさのあまり、つい机に身を乗り出した。
「ありがとうございます、ヴァル様!」
勢いあまって、彼の頬にチュッと音を立てて口づけをしてしまった。ヴァル様の動きが、目に見えてぴたりと止まる。青銀色の瞳が見開かれているのを見たら、我に返った。しまった。嬉しすぎて、反射的にやってしまった。
わたしが慌てて身を引こうとすると、素早い動きでヴァル様が背後に回り、わたしの腰をがっちりと引き寄せる。
「っ……な、何ですか……!」
「ノーラ。今の、もう一回」
「やりません……!」
逃げようとするも彼の大きな身体に閉じ込められているため動けない。ヴァル様は喉の奥で低く笑った。どうやら彼、すこぶる機嫌がいい。毎日わたしにたっぷり愛を注いでいる自負があるからか、最近の彼は異常なほどに寛大だ。
「実は僕もね、その日はちょうど王宮へ行く予定があるんだ。王太子殿下との重要なお茶会ならぬ、軍議の打ち合わせさ」
なるほど。だから許可が出たのか。同じ王宮の敷地内にいるなら、この過保護すぎる夫としても、一定の安心感が得られるのだろう。
「では、行き帰りも一緒に行けますね」
「そうだね。できれば永遠に君を僕の視界から外したくないけれど」
さらりと恐ろしいことを言いつつ、ヴァル様は引き出しを開けて小さな小箱を取り出した。
「ただし、これをつけて出かけること」
パカッと開けられた箱の中には、銀細工の息を呑むほど美しいブローチが治められていた。中央には淡い青銀色の魔石が嵌め込まれ、蔓のような繊細な銀細工が絡み合っている。美術品のように美しいものだ。
「綺麗……」
「気に入ったかい? 位置追跡と生体反応を完全に網羅した特性の魔道具だよ」
「……はい?」
恐らくうっとりとしていたわたしの笑顔は一瞬でがちがちに凍り付いただろう。ヴァル様はこれ以上ないほど真面目な顔で、平然と言ってのける。
「これさえあれば、君が王宮のどの場所で、誰といて、どんな心拍数でいるかまで完璧に把握できる」
「ちょっと待ってください、それって——」
「安心できるだろう?」
「誰が変態夫の監視付きでお茶会を楽しめますか!?」
わたしは思わず机をバシッと叩いたが、ヴァル様はまったく悪びれないどころか愛おしそうに目を細めるだけだった。
「この前みたいに、僕の目を盗んで出て行かれたら、僕の精神衛生上よくないからね」
「今回は絶対に変なことをしません! 逃げません!」
「そうかい。でも君の言う『逃げない』という言葉への信頼度は限りなくゼロに近しいからね」
青銀色の瞳に宿る真剣な光に、わたしはぐっと言葉に詰まった。確かにわたしには多数の前科がある。わたしの存在を大切にしてくれている彼だけれど、わたしの言葉への信頼度は本当に小さいのだ。
わたしは激しく葛藤した。リュシーとのお茶会という素晴らしい時間を手に入れる代償として、この位置追跡ブローチ。……毎日あんな風に濃厚に愛されている身としては、これくらいの譲歩は必要なものなのだろうか。いや、感覚が麻痺してきている気がする。
「……分かりましたよ。つければいいのでしょう、つければ!」
観念して大きく息を吐き出すと、ヴァル様の表情がぱっと薔薇色のように明るくなった。心の底から嬉しそうだ。
彼は満足げに頷くと、わたしの胸元へとその銀細工のブローチを留める。整える彼の指が布越しにふわりと柔らかな膨らみをかすめると、わたしの身体はびくりと震えてしまった。
「……っ、変なところ、触らないでください……」
「これで安心だ。君の鼓動まで手に取るように分かる」
「わたしはまったく安らぎません!」
「では、ちゃんと動くか今すぐこの場で確認してみようか?」
「確認ってどういう——っ!?」
ヴァル様が手元に置いた小さな水晶板を起動させると、そこに淡い光の点がポッと浮かび上がった。わたしが警戒して一歩後ろに下がると、水晶板の上の光の点もぴょんと連動して動く。
「……すごい……じゃなくて、気味が悪いです!」
「便利だよね。君の居場所がいつでも僕の掌の上にあるなんて、最高に愛おしい」
「便利さの方向性がおかしいですからね!?」
文句を垂れるわたしをよそに、ヴァル様は満足げに美しすぎる微笑みを浮かべるのだった。




