第5話 勝利……?
ヴァレンティアス様が連行されてから数十分後。わたしの部屋では戦争が始めっていた。
侍女たちの声が飛び交う。わたしは鏡の中に立ったまま、彼女らのされるがままになっていた。毎回思うのだけれど、どうしてこの人達はこんなにも手際がいいのだろう。夫を出し抜こうと奮闘するわたしもわたしだけれど、彼女らも彼女らだと思う。
髪が一瞬で編み込まれて、青銀の髪飾りが差し込まれる。藤色のドレスが身体に沿って整えられ、手袋がはめられ、真珠の耳飾りが揺れた。鏡の中の自分を見て、思わず息を呑む。馬車で一人で着替えるのとは大違いだ。ヴァル様に屋敷に連れ戻されたのは、案外良い手だったのかもしれない。
「御者には伝えてあります。裏門から出れば、旦那様が設置した監視と鉢合わせすることはありません」
「ありがとう、ミレイ!」
感激のまま侍女たちの手を握り、最後にミレイから扇を受け取った。
「成功したら、帰ってきてからお土産話をするわ」
「是非に。旦那様に捕まった場合は如何いたしましょう」
「……その時は一緒に謝ってちょうだい」
「遠慮します」
実はこのミレイ、何度かわたしを裏切っている。ヴァル様に買収されていることも多くあるのだ。だが今は確認する時間がない。わたしはドレスの裾を持ち上げて、裏階段を駆け下りた。胸が高まる。まるで、秘密の作戦を実行するスパイのようだ。
裏門の外には、黒塗りの馬車が停まっていた。御者のトマスが、帽子を脱いで一礼する。
「奥様、お待ちしておりました」
「ローゼンフェルト公爵邸へ、お願いね」
「かしこまりました」
わたしが馬車に乗り込むと、車輪が動き出す。座席にもたれて、大きく息を吐いた。
「ふぅ……」
成功した。今度こそ、成功した。ヴァル様は大量の仕事に埋もれているはずだから、わたしの動向を確認している暇もないはず。ここまで来れば、もう買ったも同然だ。
窓の外を流れる街の灯りが、夕闇の中で宝石のように瞬いている。わたしは扇を開き、にやりと笑った。
「ヴァル様。今回はわたしの勝ちよ」
高笑いをしたい気持ちになっていたその時、ふと気づく。……あれ? 馬車の進む方向が、なんだか違う気がする、と。ローゼンフェルト公爵邸へ向かうなら、南の大通りへ出るはずだ。しかし今、馬車は北へ進んでいる。わたしは首を傾げ、御者台に声をかけた。
「トマス?」
返事はない。聞こえなかったのだろうか。もう一度呼ぼうとして、馬車が大きく右に曲がった。窓の外に見えてきた建物に、わたしは言葉を失う。
大きな建物、掲げられた国旗、訓練場の灯り。そして、見覚えのありすぎる紋章。
「…………」
まさか。いや、そんな。わたしが慌てていると、馬車がゆっくりと停止して扉が開いた。わたしは恐る恐る外を覗き込む。そこに広がるのは、煌びやかな舞踏会の会場ではなかった。剣が重なる音が響く、騎士たちが行き交う建物。ここは、王国騎士団の第二支部——ヴァル様の仕事場だ。
「……あれ??」
わたしの口からは間抜けな声が漏れた。ここ、ここヴァル様の職場。ローゼンフェルト公爵邸じゃない。頭が真っ白になっている時、御者席からトマスが降りてきた。彼は申し訳なさそうに帽子を手に持っている。
「トマス、貴方……」
「大変申し訳ありません、奥様」
「これは、どういうことかしら」
トマスは気まずそうに視線を逸らした。
「旦那様から、奥様が外出なさる時にはこちらへお連れするように命じられておりまして」
「……買収されたのね。幾らで?」
理解はすぐに追いついた。使用人を味方につけることはヴァル様との勝負において最も重要な点である。
わたしの問いに、トマスはほんのりと頬を赤らめた。
「……王都一番人気のプリンを、一週間分」
「プリン!?」
思わず叫んでしまった。金貨でも宝石でもない。プリンである。そうだ、そうだった。トマスは大の甘党だった。わたしは高級紅茶を提示していたけれど、紅茶好きは違う御者だった……!
「面目ありません」
彼は妙にしょんぼりしている。その姿を見ていると責めきれない。いや、責めたいけれど。
すぐに屋敷に戻らなくてはいけないと考えたその時。
「不審車両の侵入を確認。これより身柄を拘束する」
身が引き締まるような女性の声が響いた。わたしは慌てて馬車から降りて、身の潔白を証明しようとする。
「待ってください。わたしは——」
「命令に従ってください。抵抗は無駄です」
冷ややかな眼差しを向けられ、わたしは言葉を飲む。容赦のない足取りで近づいてきたのは、屈強な女性騎士たちだった。彼女らは隙のない動きでわたしを囲み、気づいたら腕が背後へと取られていた。
「ちょっと、乱暴はしないでください。わたしはアークレイン侯爵様の——」
「承知の上です。閣下からの厳命により、黒塗りの馬車を確認次第、直ちに無力化して連行するように申し付かっています」
容赦なく手首が背中に回され、布によって幾重にも縛り上げられていく。強くは締められていないけれど、無駄のない手腕で両腕が固定され、身動きすら取れなくなった。
「抵抗はしないでください。……ふう、これでよし」
女性騎士は表情を一切変えることなく、縛られてしまったわたしを両脇からしっかりと固めた。
「夫人、おとなしくご同行を」
「……どうしてこんなに手慣れているのよ……っ」
がちがちに固められた状態で、わたしは半ば引きずられるように建物の中に連れて行かれた。すれ違う騎士たちがわたしを見るたびに一瞬ぎょっとし、すぐに真面目な顔で敬礼する。その視線が痛い。
「夫人、前を向いてください。危ないです」
「わたしは見世物じゃありません……!」
やがて、一つの部屋の前に辿り着く。女性騎士は扉を叩くこともせず、無言で扉を押し開けた。
「報告します。不審者を拘束、確保致しました」
部屋の中には、山積みの書類と地図が広がっていた。そしてその中央で、顔を上げたヴァル様が固まっている。わたしも固まっている。
女性騎士たちはそんなわたしたちを気にすることもなく、整然と敬礼した。
「閣下の御命令通り、夫人の身柄を確保しております」
ヴァル様の視線が、わたしの身体を見回す。夜会用の装いをしながら、両腕を後ろ手に縛り上げられた無様な姿。彼の青銀色の瞳が、深みを帯びて据わった。
「ご苦労。職務に戻ってくれ」
「はっ」
女性騎士たちは見事な敬礼を残し、さっと部屋から退出していく。扉が閉まり、わたしとヴァル様は二人きりで残された。わたしは気まずさと恥ずかしさから、彼の目を見ていられない。
「あ、あの……ヴァル様。これは……」
ヴァル様は音もなく椅子から立ち上がった。こちらへと歩み寄る様子は、まるで獲物を追い詰める猛獣のよう。
彼はわたしの目の前まで歩み寄ると、ぐっと顔を近づけ、くいっとわたしの顎に指を添えた。
「……やっぱり外出したんだね、ノーラ」
「仕方がないでしょう。どうしても行きたかったのですから……っ!」
開き直ってそう言うと、ヴァル様はふっと息を吐いた。
「まったく……。僕の可愛い妻は、どうしてこうも目を離すと別の男のところへ行きたがるのかな」
低く囁きながら、彼は拘束を解くこともなく、彼の唇をわたしの唇へと容赦なく重ねた。




