32.アンチエイジングをしよう!
これまでにもヒトが若返る光景を何度か見てはきましたが、恐らく今回のは皇帝さんだけの特別仕様ということなのでしょう。一瞬で子供になるということはなくゆっくりと、しかし確実に変貌を遂げていきました。
「お、おおっ……この活力は、まさに若き日の……!」
枯れ木のようだった手足も、ひどく曲がっていた背筋も、抜け落ちた髪や歯もすべては元通り。皇帝さんの全身は見る見るうちに分厚い筋肉に覆われ、ほとんど禿げ上がっていた頭部からは燃え盛る炎を彷彿とさせるような色合いの長髪が生えてきました。
老人姿の時の着物ではサイズが合わなくなったせいか、上半身をはだけている格好になっておりますが、それがより一層これまでとの違いを際立たせているともいえるでしょうか。
『ふむ、肉体年齢としては二十代の半ばから三十程度といったところだな。適当に若返らせてみたが、不服であれば幾らか歳を増やすか減らすかしてやるぞ?』
「否、文句の付けようも御座いませぬ! 神の御力、しかと受け取りましたとも!」
さっきまでの弱々しい老体と同一人物とは思えない偉丈夫ぶり。
それを誰よりも実感しているのが、他でもない皇帝さんご自身に違いありません。
「これならば十五年などと悠長なことは言わぬ。朕が世界全てを掌中に収めるに十年もかからぬわ! はは、はっははは! 皇子達よ、臣下の者共よ、心せよ。我が帝国の真なる栄華はこれより始まるのだ!」
若返れて嬉しいのは当然ですが、ちょっと気分がハイになりすぎてはいませんかね。過剰にテンションが上がり過ぎて視野が狭まっているというか、そのせいで大事なことを忘れているというか。
それと、せっかく喜んでいるところに水を差すのも気が引けるので黙っていましたが、帝国の栄華とか世界制覇とか、わたしの想像通りなら多分それ無理だと思うんですよね。
『くくっ、気に入ったようで何よりだ。ところで皇帝よ、よもや約束を忘れてはおるまいな?』
「約束……ええ、無論に御座います。朕が最も愛する一人を贄として捧げるというお話でしたな。誠に心が痛みまするが、きっとその者も帝国の栄華のための礎となれるなら喜んで身を捧げましょうぞ」
『くく、かかかっ! そうかそうか、薫陶が行き届いておるようで何よりよな』
皇帝さんってば、まだ気付いてないみたいですね。
まあ、わたしが気付いたのもラメンティア様の近くで数日を過ごして、その性格を多少なりとも把握していたからこそ。会ったばかりの彼に同様の理解を求めるのは酷というものでしょうが。
『では、約定を果たしてもらうぞ』
ラメンティア様のツノが鈍色の光を放ちました。
それでもう全部おしまい。
「おや……な、これは!? 神よ、これは如何なる仕儀か!?」
健康的な偉丈夫となった皇帝さん。
その姿でいられたのは、ほんの数分のことでした。
分厚い筋肉は次第に萎みはじめ、背丈もどんどん縮んで子供の姿に。
それだけならここ数日で帝国軍の兵隊さんにやったのと変わりませんが、なにしろ今回は皇帝さんだけの特別仕様。幼児と言える段階すら通り越して、もう生後一年にも満たないであろう赤ん坊の姿になってしまいました。
ですが、より問題なのは肉体ではなく精神面のほうでしょう。
「やめっ、やめろ!? 朕が、朕が消える……!?」
『安心せよ、贄とはいえ命までは取らぬ。貴様が最も愛する者、すなわち貴様自身を構成する記憶や人格の全てを無垢な赤子同然に漂白する程度で勘弁してやろう』
「嫌だ……戻してくれ、戻し……」
記憶や人格の漂白というのがどんな感覚かは分かりませんが、肉体的には生きていたとしても中身が綺麗さっぱり洗われてしまったのなら、本人の主観としては死んだも同然かもしれません。
抵抗の声もすぐに聞こえなくなってきて、後に残されたのは……。
「だぅ? きゃいっ」
『くくく、なかなか可愛らしいではないか』
身も心も完全に無垢な赤ん坊になってしまった皇帝さんは、先程までのようなギラついた野望や傲慢さといったものは一切皆無。どこからどう見ても、無力で愛らしい赤ちゃんでしかありません。
『まったく、この赤子が人生の筋道次第であのような老怪に成り果てるとは、これだから人間とは面白いものよ。なぁ、そなたもそう思うだろう?』
「きゃっ、きゃっ」
『そうかそうか、うむ、何言ってるか全く分からんな!』
この赤ちゃんが最初から再び人生をやり直すにあたり、どのような生き方を選ぶのかは分かりませんが……願わくば、今度こそは自分以上に愛する誰かを見つけて、それを犠牲にするのではなく守るような生き方をしてほしいものですね。




