異国の朝
こんにちはー!ピーナッツです。ぜひ楽しんで読んでいってください!行ってらっしゃい!
肺に吸い込む空気が、酷く冷たい。
意識が浮上する感覚は、深い泥沼から這い上がるような鈍重なものだった。まぶたを持ち上げると、そこには見知らぬ木造の天井があった。昨日まで見ていた、血と硝煙に煙る戦場の空ではない。古ぼけた梁が剥き出しになった、どこか屋根裏部屋のような狭い一室。
「……ここ、は……」
掠れた声が、喉の奥でひしゃげた。
口の中は乾ききっていて、鉄錆の味が微かに残っている。僕は恐る恐る体を動かそうとしたが、その動作だけで神経が引き裂かれるような激痛が走った。右肩から指先にかけて、まるで熱した鉄棒を突き刺されたかのような感覚が残っている。
布団を捲ると、そこには簡素な麻の寝間着が着せられていた。戦場で着ていた、泥と血に汚れた鎧の断片はどこにもない。誰かが僕を拭い、この場所へ運んでくれたのだ。
部屋を見回す。調度品はほとんどない。小さな木の机に、飲みかけの水が入った素焼きのコップ。そして、昨日まで戦場を駆け巡っていた僕の存在を証明するものなど、何一つとして残されていなかった。
(……助けてくれた、少女は)
あの時、泥の中で僕を抱きしめた熱い体温を思い出す。
冷徹な指揮官の瞳とは違う、必死に僕の鼓動を確認しようとしていた震える指先。僕を人間として見てくれた、あの少女。彼女はどこへ行ったのだろう。
僕は壁に背を預け、ふらつく体を引きずって座り込んだ。
壁の向こう側からは、木製の車輪が石畳を叩く音や、遠くで家畜を追う人の声が聞こえる。この世界における「日常」が、そこにはあった。だが、それらすべてが、今の僕にはあまりに遠く、異質なものに思えた。ここは戦場ではない。僕の知る場所ではない。どこかも分からぬ、閉ざされた異国。
その時、静かに扉が開き、重厚な蝶番が軋んだ音を立てた。
入ってきたのは、騎士の鎧を脱ぎ捨て、質素な亜麻の服を纏った初老の男だった。僕の顔を見ると、男は驚いたように目を見開き、すぐに深刻な表情に切り替わった。
「目覚めたか……。死の淵を三度往復するほどの傷だ。回復魔法も受け付けないその肉体で、今日まで息を繋いでいるとはな。お前も、並外れた悪運の持ち主のようだ」
男の言葉には、戦場の軍人のような蔑みはなかったが、どこか達観したような響きがあった。
「……あなたは、誰だ。ここは、どこなんだ」
問いかける僕の声は、自分のものではないように聞こえた。男は深く溜息をつき、部屋の隅にある椅子を引き寄せた。
「ここは『聖王国ルミナリア』の辺境にある、仮設の避難所だ。お前は昨夜、あの戦場から運び込まれた。瀕死の状態でな」
ルミナリア。その名を聞いても、僕の記憶のどこにも引っかからない。かつての日常も、そこにあるはずだった世界も、今の僕にとっては遠い夢の中の記憶だ。僕はただ、この巨大で残酷な世界という牢獄に投げ込まれた、迷子に過ぎない。
「……あの子は? 僕を助けてくれた、少女はどこへ行った!」
僕が声を荒らげると、男は静かに僕を見つめた。
「あの子は、お前をここに運び込むと、すぐに王国の直轄病院へ行く手配を済ませて出ていった。お前の体は『因果の先出し』という呪われたスキルによって、細胞のレベルから崩壊しかけている。自分一人ではお前の命を繋ぎ止められないと、悟ったのさ」
呪われたスキル。その言葉が、心臓を針で刺すように痛んだ。
僕の能力は、誰かに感謝されるものではない。誰かを守るための力だと言い聞かせてきたが、結局は自分自身を削り、周囲を恐れさせるだけの凶器なのか。
「あの子は……お前に執着していた。戦場で見捨てられなかったのだろう。だが、今の病院は王族や高位の貴族のためにある。あそこへ運ぶには、身分証明と莫大な治療費が必要だ。あの子は、その交渉のために一人で王都へ向かった」
少女の背中を想像する。
泥だらけの戦場で、必死に僕を運んでくれた少女。彼女には、何の縁もないはずの僕を助ける理由などないはずだ。それなのに、なぜ彼女はこれほどまでにして僕に手を貸すのか。
「お前もすぐに移送だ。病院へ行かねば、その傷は明日の朝までもたないだろう。……礼を言うなら、生き延びてからにしろ」
男が僕の体を支え、無理やり立ち上がらせる。
ふらつく足で立ち上がった瞬間、世界がぐらりと揺れた。
外に出ると、目の前には目も眩むような鮮やかな青空が広がっていた。街は活気に満ちているが、僕にとってはすべてが疎外感に満ちた未知の場所だ。
自分を焼くような痛みの中で、僕はただ一つ、彼女が去った背中を追いかけたいという衝動に駆られていた。
彼女の名前も知らない。顔すら、朦朧とした意識の中で見た記憶しかない。
それでも、彼女の体温だけが、今の僕の唯一の支えだった。
冷たい病院の荷台に乗せられ、街の喧騒が遠ざかっていく。
これから始まる治療の日々が、どのような地獄の始まりなのかを、この時の僕はまだ知る由もなかった。僕の体は、因果をねじ曲げた代償として、少しずつ自分自身を削り落としていく。
次に目覚める時、僕はまだ、僕でいられるのだろうか。
そんな不安だけが、病院へ向かう道中、僕の意識を塗りつぶしていった。
読んでいただきありがとうございました♪また帰ってきてください。それじゃあまた次の物語で!see you again!




