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王都に魔獣が出たことは、家の近所でも話題になっていた。
夕方頃に事情聴取から解放されて家に帰ったら大家のおばちゃんが出迎えてくれて、王都はどんな様子だったのか魔獣を見たのか、死人が出たんだって? 魔獣を餌付けした北の王国の赤髪の女間者が連れ込んだんだって?!
と色々聞かれた。
私が王都に行くのを知っていたので心配してくれていたみたいだ。
それにしても噂というのは一気に広まる。
尾ひれがびっしりついて。
お願いだから餌付けと赤髪の部分だけはそれ以上広めてくれるな。
赤髪の女というのはあまりこの地域に多くなく、アルゲナス谷にも私しかいなかった。男もそれほどいない。
母は金髪なので、父親からの遺伝の可能性がある。
北の国々によくいる髪色だから、北の王国の間者だとかいう噂に変化してしまっているんだろう。
赤髪の女ってあの人じゃない? ほらあそこ!
などとあらぬ疑いをかけられるのだけは御免である。
その赤髪は私だから疑われても間違いじゃないんだけど、他の赤髪に迷惑だしとにかく色々よろしくない。
あと誰も死んでません。
あんまり広めてほしくないので誤魔化すよりはと、この近所を取りまとめている大家のおばちゃんにありのままの出来事を話してみた。
赤髪というのは私で、持っていたお菓子を食べられて、それを見ていた人が餌付けしていると勘違いしていただけで、事情聴取も受けてほんっとうに怖かったんです~と半べそをかきながら訴えた。
頑張っても涙は出なかったが、隠れてあくびをしたら涙目にはなった。
そしたら私の日頃の行いのおかげか卵を買ってあげたおかげか、その翌日には魔獣が人から食べ物を奪った、特に甘い食べ物が好きらしいという噂に変わっていた。
餌付けした赤髪の間者? から、お菓子を取られただけなのに勘違いされた可哀想な人爆誕。
この世界の動きはおばちゃん軍団が操作している。
役場に出勤すると地域課には列ができていて、ここの町に魔獣が来る可能性はあるのかないのか、避難所は作ったりしないのかと窓口の人間が詰め寄られていた。
確認された魔獣はあの個体だけだが、王都まで入られてしまったという事実に皆が動揺している。
もしかしたら他の個体も近くにいるんじゃないのかと騒いでいる人たちが役場の中にも外にもいた。
王都ではないけれど王都に近い町だからか、自分事のように感じている人がたくさんいるようだ。
国境からも遠いから戦火に巻き込まれることはないし、安全地帯だと思っていた場所に侵入経路不明の魔獣が登場したのだから、その不安は計り知れない。
「魔獣はもういないっていうのに、みんな心配性だわねぇ」
「防御壁を作れっていう要望が来るかもしれないわよ」
魔法課の扉を開けると、ハニーとミアが外に出かける準備をしていた。
作業机の上に、取っ手のついた寄せ木の杯が置いてある。私のお気に入りの器だ。
中に何か入っているのか、湯気が上がっている。
「おはよう~クララ」
「もう行くわね。帰りに買ってきてほしいものある?」
「羽筆三本くらいいるかも」
「了解。あなたが好きな苦~いお茶、入れといたから」
「ほんとだ~! ありがとう」
今日は私が留守番で、二人は新たに建設される宿や一軒家の工事現場へおまじないをかけに行く予定だった。
建設工事中に事故が起こらないよう、作業員に保護魔法をかけるのである。
神官にお祈りをお願いしているところも多いが、最近はこうして魔法課に頼んでくることが増えてきた気がする。少しでも安くやりたいのだろう。
魔力とは違う神聖力を持つと言われている神官は、祈りで治癒力を上げたり幸運を呼び寄せることができると言われている。
神聖力もまた世界樹から人間へ与えられた不思議な力だと言われており、世界樹を神と奉っている人たちの間では、神官は神の代弁者とも言われていた。
神聖力を持つ人間は、何かを強く願ったときに額にひし形の金の印が発現する。
幼い頃アルゲナス谷にいた友人は、私、もう我慢できない! と言って便所へ駆け込んだときにおでこから激しい光を放った。
神聖力を持っていることが発覚し、後日神殿送りに。親元から離れるときはむせび泣いていた。
元気にしているかな、マヤ。
アルゲナ王国の神殿は世界樹を神として崇めている。
他の国でも世界樹を神とした神殿があるようだった。
私も神官の祈りを目にしたことはある。
火災や事故などの不幸が続いていたという魔道具店が、神官を呼んで儀式を行っていたのを見た。役場で働き出したばかりのときだ。
金色の光が空から降り注ぎ対象者に祝福を与えているその姿は、確かに神が降臨しているようだと思った。
それから魔道具店は不幸に苛まれることなく、火災で負傷した店主も元気を取り戻し、売り上げも以前より上がっているらしいと小耳に挟んだ。
私も一回やってもらいたい。
だが神官もそれなりに気力を使うようなので、値段は高い。
魔道具店に祈りを捧げていた神官がハァハァ息切れしていたのを思い出す。
一回であれならそうとう高くないと割に合わなそうだ。
そんなお値段事情もあり、町起こしとして役場でも支援できたらとおまじない案件を受けてはいるが、保護魔法は一日しか保たないのでかけてもかけなくてもという気持ちはある。
まぁでも、やった、という事実が重要なんだろうけど。
ミアとハニーを見送って、書類仕事と向き合った。
今日も苦い茶をすする。うう~ん、苦い。
大家さんちのおばあちゃんみたいに、八十歳になっても腕立て伏せができるくらい飲まないと。
そうだ、月末近いから備品の発注もしておこう。
今月処理した対応済の報告書も地域課に持って行って、経理には新品の鎌を買ったと言っておかなきゃ。
ミアの作業机に報告書があったはずだから、ええと、どこだどこだ。
整理整頓が苦手なミアの机の上は、いつも色んなものが積み重なって山になっている。
課長だし忙しいから仕方がないよね~、という段階はとっくの昔に超えている。
せめて食べ物は置くなと言っているのに、食べかけのピケ(穀物をこねて焼いた硬くて味の薄い軽食)が重石のように報告書の束に置かれている。
ちょっ待っ、カビ……ミアァ!
魔法使いという生き物は、基本だらしのない人間の集まりだ。
杖をひと振りすればなんでもできてしまう器用な人は、特にその傾向が強い。
幼い頃ラビエルの部屋に二回くらい入ったことがあるが、部屋中に本が散らばっていてそれを拾おうともしていなかった。
さすがに足の踏み場を確保したかったので一冊拾ったら「お前……手で? ブッフ」と笑われた。
魔法に胡坐をかいて片付けようともしない奴に笑われたこの気持ち、お分かりいただけるだろうか。もう一生行かない。
母も掃除は自分でやらず、人形にやらせている。
そしてミアも、これはさすがに……と周りが思う頃に魔法で一気に片付ける。
魔法を使えるなら存分に使っていただいて構わないが、それはそれとして人前ではせめて片づけておけ。
――パラリ。
紙の山を漁っていると、新聞の切り取りのようなものが床に落ちた。記事?
拾い上げて、うーんと唸る。
この間ミアの家で夕飯を食べたときに彼女に見せられた記事と同じものだ。
【次なる大魔導師、ミシェル・コンタスティとは】と書いてある。
私は椅子に座って記事を眺めた。
紙の中の絵姿と目が合う。
ミシェル・コンタスティについて、私は知らないことが多い。
人となりはまだまだつかめていないし、なんで私を助けてくれたのかも今ひとつ分からない。
医務室でなんで私を助けたのか聞いてみても、目の前で死にそうな人を放っておけなかったからと返されたが、それにしたって核の共有はやりすぎだ。
外交官が住んでいるナイル王国は、貴族が多い。アルゲナより国土も広く、豊かな印象だ。
コンタスティ外交官は伯爵で、アルゲナとの国境に領地を持っている。
父親はまた違う爵位をもっているらしいが、伯爵や領地は譲り受けたものではないと言っていた。
『外交官を目指したのは、何かきっかけが?』
『きっかけ……麗しい女王陛下に、運命感じちゃったからかな』
『なるほど一目惚れですね』
『はは、そうかもね』
令息としての暮らしに不便はなく親の爵位をそのまま継ぐつもりだったようだが、外交官を目指したのは女王を守りたいと強く思ってしまったからなのだと、いつものヘラヘラした余裕綽々な態度とは違う意思の固い瞳で語っていた。
女王はアルゲナの王様と同じく、親戚筋に一族が殺されてしまっている。他国の噂はよく耳に入ってくるが、この件も真相は定かではないものの知ってはいた。年若い女性が君主になったのだと、谷でも話題になった。
叔父と祖母の裏切り……がどうのこうのだったような。
外交官になろうと決意したのは、王位を争う過程で親兄弟を殺され酷く憔悴した彼女を、社交界で見かけたのがきっかけだったのだという。他国の姫や王子に親族間の争い事で意地悪なことを言われていたり、とにかく目も当てられないくらいの誹謗中傷に晒されていたのだと。
臣下に囲まれて笑顔一つない孤独に満ちた女王を、どうにか救ってあげたかったのだと。
それが十五歳の頃だったというから、今のティティ・デ・ナイル女王が二十八歳ということは、つまり何歳?
まぁそこはいいか。
ナイルの女王に謀反を隔てた親戚と貴族一味は全員処刑されているので、今女王の近くに残っている人たちはほとんど女王の味方なのだそうだ。
確かに、そうでなければあの芝居臭い戦争や二国の一体化、王都はアルゲナになり住まう城もアルゲナで、という案を通すはずがない。
女王が二国の君主となるのが一番説得の材料にはなったと思うけど、承認会議のときのおじいちゃん大臣たちが孫の晴れ姿を楽しみにしているような光景を思い出すと、味方というより家族なのかなと感じた。
金髪に桃色の瞳、真っ白い肌に華奢な手足。
立派な成人女性だけれどお人形のような人。
あの可憐な見た目で魔法を使いこなし戦場ど真ん中で王様に口付けをしてしまうのだから、その魅力はまだまだ計り知れない。
コンタスティ外交官が惚れ込んで助けたいとなったのも分かる気がする。
オルグ国王陛下も二十八歳でまだまだ若い。
黒髪の、まさに戦神のような人だ。
戦場では先陣を切って突撃していくので毎度こちらはハラハラしているが、今後は女王のためにも身を切るような戦い方はしないでほしいと願うばかりだ。
願わくば、かわいいお世継ぎが生まれますように。
【ミシェル氏は貴族令嬢たちの憧れの的であり、彼を手に入れたい紳士淑女で溢れている】
そういえば昨日は、魔獣を倒してから集まってきた女性たちに手を振り返して、爽やかな笑顔を撒き散らしていた。自分の顔面が良いことを分かっている振る舞いである。
社交界がなんぼのものか知らないが、貴族界隈では有名な人であることは間違いない。
むしろ有名というより筆頭魔法使いは貴族内だけでなく隣国中に存在が認知されているわけで、それを全く知らなかった私。
そんな無知さで今後この命を懸けた魔法を背負って過ごすのはいただけない。
ちゃんともっと、色々調べないと。
「ポーキンス、いるかね?」
記事を見てボーっとしていたら声を掛けられた。
魔法課の扉を開けて顔を見せたのは、外務大臣だった。




