10
休みの日に王都の街を歩いていたら、魔獣に遭遇した。
魔獣だ。魔獣である。
知り合いに遭遇したのではなく、魔獣。
口から牙がむき出た、毛の生えた大きな蛇。頭が二つある。
シャーシャー言っている。
「……」
周りが悲鳴を上げて一目散に逃げるなか、私は買ったばかりの焼き菓子を咀嚼しながら一人魔獣と対峙していた。
六日ぶりの休日。
最近は泥臭い仕事ばかりで身体が悲鳴を上げていた。
徴兵は別として、役場に勤めるまでは魔法使いになれば魔法も使えるし体力仕事とは無縁なものであると思っていた。
ところが魔法を使える場所、使えない場所が仕事によってはあり、便利なはずなのに安全上の理由でやむを得ず手作業しなくてはいけないなど、世の中の安全管理における魔法についての扱いを完全に理解してはいなかった。
この前の川岸での作業もそうだ。
やろうと思えば一掃できる雑草を地道に処理した。
鎌に魔法をかけて手伝ってもらったけど、補助のような役割でしか魔法を使えなかった。私の力量では無理だった。
外交官やラビエル、三大魔法使いたちであれば、うまいこと雑草だけを消滅させるなどの芸当はできたかもしれない。
ああいうのが何件か続いた週の休日は、街に出て買い食いすることに決めている。今日は南街の菓子店。
お気に入りの青緑色の服を着て、鎖骨までしか伸びていない髪の毛も櫛で綺麗にとかして、口紅を塗って、自分史上最大のお洒落を施しめかし込む。
私がこういう格好をするときは、大抵食べ物を両手いっぱいに持って帰ってくることを知っている近所のおばちゃん。
出かけ際「ついでに卵も買ってきてちょうだいよ」とからかうように言われた。
この近所のおばちゃんは貸家の大家さんで、隣の大きい家に住んでいる。
いつも野菜をくれたりお世話になっているから、本気じゃないだろうけど卵でも買っていこうかな。
そう思っていた矢先のことだった。
「シャー!」
「……」
なんっっでこんなところにいるの!
もはや口の中は焼き菓子の味がしない。
私は倒そうと思って一人ここにとどまっているわけではなかった。
わ~おいしいお菓子~少し苦味があって好みだな~モグモグと麻袋の中身に夢中になっていたら、反対方向から走ってくる人に気がついた。
そしたらもう目の前にいた。どうもこんにちは状態だ。
突然の出来事に動けていないだけだった。
「あの子、一人で魔獣に立ち向かっているぞ!」
飲食店に隠れている男性が、すげぇぜあの子! 菓子食ってる! とガヤを飛ばしてくる。
違うんです! 気づかなかっただけなんです!
どうやら私は、魔獣を前に菓子を頬張る余裕のあるなんか強ェ女だと認識されたらしい。
遠巻きに見ている人たちが、はやく憲兵か騎士を呼べと叫んでいた。
王都は壁に囲まれている。検問所もある。
みんなそこを通って王都へやって来るのだ。
魔獣が遠くから来たなら道すがら見かける人はいただろうに、私が気づかなかっただけかもしれないが、ここに来るまで誰も騒いでいなかった。
……空から降ってきたとか。でもこの魔獣は羽がないし空を飛べないはず。
それより何度も言うが、ここは王都だ。
山間部や森の中、魔獣を兵器として飼っている国ならまだしも、アルゲナの王都に現れるなんて聞いたことがない。
北や東の敵国の間者が、こっそり引き入れた可能性もなくないだろう。
私自身、魔獣は何回か倒したことがある。
北や東の王国が魔獣を操り、戦争に持ち込んで来ることがあるのだ。
戦ったのはその時で、他の魔法使いと協力して完膚なきまで叩きのめした。
アルゲナにいる魔獣は山や森に住んでいて、人間がちょっかいをかけない限り襲ってくることはない。
だからわざわざ国をあげて討伐へ向かうこともない。
アルゲナの一部の民が神と崇めている竜も、魔獣の仲間である。
魔獣は姿形が恐ろしいからといって忌み嫌われている存在ではなく、祟らぬ神にさわりなし、というような扱いだ。災害は自ら招かない。
魔獣に土地柄があるのかは定かではないが、アルゲナ内の魔獣は比較的大人しい部類だと思う。蛇型や狼型に鳥型。
種類に限らず単純な力はどの生き物よりも強く、言うなれば生きる兵器。
人間や動物を捕食するが、山や森にいる動植物だけで十分なのか、わざわざ人里に降りてこない。
全くないわけではなくたまに降りてくる時もあるが、単純に散歩しているだけだったりする。
他国に生息している魔獣もアルゲナと同じかもしれないが、戦争でよく操られている魔獣は【魔昌石】という魔獣にとっては麻薬のような石を埋め込まれ狂騒化され、見境なく暴れるように仕向けられてしまっている暴走魔獣だ。
手のつけようがなく、そういう魔獣は殺してしまうしか止める方法はない。
魔昌石は鉱山から採れる石で、青い色をしている。人間に害はない。
魔獣は世界樹から生まれ、死んだ魔獣は世界樹へと吸収される。魔法学校で教えてもらった、魔獣の仕組み。
絶命した魔獣は死体が残らない。
血しか残らず、死体はその場で灰となり消え去る。
吸収されるから死体が残らないのかと思っていたが、なんで魔獣なんか生み出すんだろうと今でも不思議でならない。
吐いて吸収して、まるで息をするみたいに。
最初からいなかったように。
魔昌石とどのような関係があるのかは解明されていないが、魔獣を戦争に使おうとする人間にはいつか天罰が下ればいいと思っている。
とりあえず、シャーッと威嚇してくる魔獣をどうしようか考える。
これは双頭蛇という魔獣だ。
個体差はあるが、この魔獣は動かない獲物には興味がない。
だから私も下手に動かないでいるが、逃げ惑っていた人々を追いかけて襲ったりしなかった様子を見るに、ただ散歩をしているだけの可能性がある。……わざわざ王都まで。
倒すべきか否か。
隣国筆頭魔法使いの命をここで散らすわけにはいかない。
うっかり死んじゃうのだけは駄目だ。死ぬんだったら外交官にもせめて猶予くらい与えてからじゃないと。いや死ぬつもりはないけど。
魔法で拘束したりなんなりしたいが、魔獣を一人で捕縛したことがない。
戦場では幸いなことにいつも救いの手があった。誰かが足止めをしてくれて、その隙に攻撃。
だから倒したことはあっても、一人きりという状態ではなかった。私の母でさえ、魔獣に突撃してこいなどという無茶振りはなかった。
それに街中での魔法での戦闘は禁止されている。
じゃあ魔獣が出た場合は? 危険に陥ったときでも禁止なの?
法律はそこまで整備されていない。
魔獣がクンクンと匂いを嗅ぐような仕草をしだす。
右を向いて左を向いて、私をジッと見た。
手に持っていた焼き菓子に蛇の舌が伸びてきて、巻き取られる。
「お、おい! あの女餌付けしているぞ!」
あああ! 餌付けじゃないんです!
こら蛇お前おいしそうにムシャムシャするな!
「焼き菓子か。ちょうど甘いものが食べたかったんだよね」
耳元で囁かれる低い声。
私の腕にある麻布袋から小さな焼き菓子をつまみ、隣で食べる男。
焼き菓子に合うような、紅茶色の長い髪。
「魔獣はおやすみ」
ミシェル・コンタスティが双頭蛇の鼻先に人差し指を当てて、ひょいと下に向ける。
すると魔獣はビタンッと音を立てて地面へ叩き潰された。
潰されたと言っても原型はとどめており、気絶させられたようだった。
杖なしで……一撃で?!
しかも呪文も唱えていなかった。
魔法使いにとって杖は必須道具だ。
杖があるから魔力を安定させたまま外へ放出することができる。杖がなかったらあっちこっちに魔力が散らばって魔法にならない。
ただし魔力量が多く、杖なしで魔力を身体の中で丁寧に練り上げて正確に放出できる人間が世の中にはいる。
今のところ私が知っているのは、三大魔法使いとアルゲナの大魔道師の四人だけだ。
もしやこの人もその類いなのか。
「街に魔獣ね。もうすぐ兵がやってくるから、事情を説明して帰るといい」
胸元がくつろいだ薄手のシャツに、足元まで覆うような黒い格式張った外套を羽織っている次期大魔道師。
どことなくちぐはぐなコンタスティ外交官の服装を不思議に思いつつ、いつの間に?! と外交官が現れてから口をパクパクしっぱなしだった私は我に返った。
見たのは承認会議ぶりだ。
「ありがとうございます! あの、でも事情って、何がなんだかでよく分からなくて。コンタスティ外交官はなぜここにいらっしゃるのですか」
「アルゲナ城でのアビル大魔道師からの引き継ぎが始まったんだ、昨日からね。そりゃあもう大変さ」
片目を瞑って、周りに集まる野次馬に手を振っている。女性たちが黄色い悲鳴を上げていた。いちいちチャラつくな。
話を聞くと、二年かけての引き継ぎらしい。
役場の引き継ぎとはわけが違った。
「王都に魔獣が出たって通報で城は大騒ぎだよ。しかも赤髪の女の子が餌付けをしてるって」
「してないです!」
誰だ通報したやつ!
コンタスティ外交官は城での騒ぎに気がついて、一目散に転移魔法で飛んできたのだと言った。
赤髪の子が一人で魔獣に絡んでいると聞いて気になったらしい。
核の共有をかけた相手が、まさか魔獣相手に無謀なことはしていないだろうな……と。
来たら見事的中でびっくりしたと。
「勝手に食べられたんです! 私が食べようと思ってたのに!」
「冗談冗談」
その後魔道騎士や憲兵が到着し、私は事情聴取を受けた。
いつの間にか魔獣がいて突っ立っていただけの女からたいして情報など取れるはずがなく、せめて捕縛しろやとあの場でお菓子を食べていたことをただただ怒られただけだった。
ミシェル・コンタスティはそれを見て笑っていた。
帰れと思った。




