Ch3- Scammer./詐欺師(1)
エイミーは深く息を吸い、背筋を伸ばすと、席から立ち上がった。
さて、やるしかない。
ろくに持ち合わせていない自信をどうにかそれらしく見せかけ、落ち着いた足取りを装いながら、クロウのテーブルへ向かった。近づいてくる気配に気づいたのか、クロウの肩がかすかに強張った。次いで、あの疑り深い目がこちらを向く。エイミーが少なくとも三本の記事で「ギャグみたいな厨二病」とこき下ろした、例の眼差しだ。今となっては、彼をそんなふうに評するのも妙な気分だった。彼はもう紙の上のキャラクターではなく、目の前にいる生身の人間なのだから。……かなり厨二っぽい、生身の人間ではあるけれど。
いつもどおりやろう、エイミー。良くも悪くも、演じるのは昔から得意だったでしょ……。
「すみません」
震えを喉の奥で押し殺し、エイミーはできるだけ落ち着いた調子で言った。
「その制服、アカデミーのものですよね。私……アルカナム・アカデミーへの入学を希望しているのですが、道に迷ってしまったみたいで」
クロウが顔を上げた。暗い瞳がエイミーを捉え、ほんのわずかに見開かれる。漫画のお約束が、リアルタイムで目の前に展開されているようだった。主人公が、謎めいた新キャラの登場に気づく場面。妙なきらめきと、意味深な沈黙つきで。
神様。私、ぶっ壊すって誓ったものに、自分でなっちゃってる……。
「君は……アカデミーを受けるのか?」
クロウの声は、漫画を読んで想像していたよりも低かった。
「はい」
「受付は2時間以内に締め切られるが……ここからだとかなり距離がある。一人では間に合わない」
エイミーは窓の外へ目を向けた。空はすでに、少しずつ夕方の色を帯びはじめている。
「それなら、急いだほうがよさそうですね」
クロウは目を細めた。
「……俺もこれから、2年の始業式に向かうところだ。案内する」
待って、何? 成功したの? そんなあっさり?
「えっと……助かります」
クロウは短くうなずくと、残っていた茶を一息に飲み干して立ち上がった。思っていたよりも背が高い。エイミーより、少なくとも頭ひとつ分はある。
「クロウだ」
「エイミーです」
反射的に名乗ってから、エイミーは内心で頭を抱えた。もっと謎めいた名前にすればよかった。カサンドラとか、そういうやつ。
「……よろしく」
クロウの視線が、エイミーの隣に浮かぶ本へ移る。彼はまた目を細めた。
「それ……アーティファクトか?」
明らかに興味を引かれている。
「こんなタイプは見たことがない」
しまった。序盤の主人公って、魔法道具オタクみたいな性格だったの忘れてた。
「そうです」
「どこで手に入れたんだ?」
「この近くです」
[うまい回避ですね]
本が横から口を挟んだ。
一拍、沈黙があった。やがてクロウは、これ以上踏み込むなという線引きを読み取ったのか、ゆっくりとうなずいた。
「受付に間に合わせるなら、もう出たほうがいい」
クロウはテーブルに硬貨を数枚置くと、エイミーがついてくるのを待たずに扉へ向かった。エイミーは慌てて後を追い、カウンターの老婦人へ小さく手を振る。老婦人は、やわらかく微笑み返してくれた。
外はまだ明るかったが、太陽は少し傾いていた。歩き出すと、夕方のぬくもりが肌を包んだ。
「ところで」
しばらく黙って歩いたあと、クロウが口を開いた。
「なんであの茶館にいたんだ? ……入学希望者が受付締切の数時間前に、ああいう場所で時間を潰しているのは不自然だ」
エイミーは一瞬、答えを探した。もっともらしい理由で曖昧に逃げるか。それとも、ここで存在しない予見者設定の種をまくか。いや、これはむしろ絶好の機会だ。
「待っていたんです」
エイミーはそう答えた。
クロウが横目でエイミーを見た。明らかに、続きを待っている。
「何を?」
エイミーは鼻から短く息を吐き、少しだけ顎を上げた。深遠で運命的な何かを考えている――そう見えればいい。
「兆しを」
クロウの表情が、疑念から困惑へ変わる。
「兆し?」
彼は繰り返した。
「運命……みたいなものか?」
エイミーは肩をすくめた。
「そんなところです」
うわ、無理。今すぐ消えたい……!
クロウの視線は、まだエイミーから離れなかった。エイミーを観察し、今の言葉をどう受け取るべきか量っているのだ。きつい。ものすごくきつい。
「それは……見つかったのか?」
その声は、慎重なまでに感情を抑えていた。
エイミーは少しだけ顔を向け、彼と目を合わせた。
「あなたが現れたでしょう?」
[今まで聞いた中で、最悪の口説き文句ですね]
本を睨みつけたい衝動を押し殺し、エイミーはクロウへ視線を戻した。
クロウは虚を突かれたようにまばたきをした。足取りが一瞬だけ鈍り、すぐに何事もなかったように前を向く。
「……そうか」
返ってきた声には、警戒が残っていた。それでもエイミーは、彼の指先が体の脇で小さく動いたのを見逃さなかった。あれは頭の中で何かを整理しているときの癖だ。
エイミーは、にやけそうになる口元をどうにか押さえた。恥ずかしさで今すぐ地面に沈みたい気分ではある。けれど少なくとも、クロウの興味は引けた。つまり、この会話は本文に載るはず……だよね?
街の奥へ進むにつれ、石畳の道は人で混み合ってきた。猫耳の少女、人間にしか見えない少年、そのほかさまざまな種族の若者たちが、クロウと同じ制服を着て同じ方向へ向かっている。拍子抜けするほど平和な光景だった。
二人は並木道を進んだ。遠くには、アカデミーがそびえ立っている。青空を背に、高い尖塔ときらめく結界が浮かび上がっていた。城をこれでもかと盛ったような外観だ。
「その本」
不意に、クロウが言った。
「君と意思疎通しているんだな」
エイミーの体がこわばった。表情だけは崩さずに済んだ、と思う。けれど、動揺を完全には隠せなかったらしい。ほんの少し表に出ただけでも、クロウは気づいたようだった。
「そこから弱い信号を感じる。途切れ途切れだが」
クロウの視線が浮かぶ本へ動く。
「少し前に、俺にも似たようなことがあった」
たぶん、意思を持つ剣のことだろう。
前の編で、クロウはやたら強い剣を手に入れていた。その剣にも自我があり、会話までできる。ただし、血筋か何かの都合で声を聞けるのはクロウだけ。だから彼は、そのことを誰にも明かしていなかった。
それにしても、いきなり見抜かれるとは思わなかった。まあ、ほかの人に気づかれないなら、まだいいか……。
エイミーはゆっくり息を整えた。
「鋭いですね」
声には、ちょうどいい程度のためらいを混ぜる。
クロウの目つきが鋭くなった。
「なら、その本は話すのか?」
エイミーは一瞬、答え方を選び、それから慎重にうなずいた。
「……はい。多少」
[謎キャラ、少々盛りすぎでは?]
確かに。でも、やるからにはキャラは一貫させないと。
クロウはまた目を細めたが、それ以上は踏み込んでこなかった。何かを考えるように黙り、やがて口を開く。
「意識を持つアーティファクトは珍しい。……そして危険だ」
エイミーは首を傾げた。
「詳しいんですね」
「……興味があるから」
クロウはそう認めた。
「それと、警戒もしている。そういうものは、意味もなく現れたりしない。君のような人間も同じだ。……エイミー。俺に何を求めている?」
[見抜かれましたね]
やりすぎた……? 興味を引きたかったのであって、疑わせたかったわけじゃないんだけど……。
エイミーは乱れかけた呼吸を抑え、あくまで軽い好奇心を浮かべているように表情を整えた。
「求めている?」
エイミーはそう問い返し、意味ありげに小さく笑った。
「どうしてそう思うんです?」
クロウはすぐには答えなかった。歩調は変わらず、落ち着いている。けれど、体の脇で指先がまた小さく動いた。やっぱり、あれが彼の癖らしい。
「君のほうから近づいてきただろ」
クロウは淡々と指摘した。
エイミーはわずかに首を傾げ、何も分かっていないような顔をした。
「そうでしたか?」
[完全にからかっていますよね]
クロウが足を止めた。ほんの一拍だけ。眉間に薄くしわが寄り、この10分ほどのやり取りを最初から組み直しているように見えた。
「どういうつもりだ……?」
やがて、クロウがそう問いかけた。エイミーは肩をすくめ、相手が居心地の悪さを覚えるぎりぎりまで返事を引き延ばした。
「私は、運命に導かれるまま進んでいるだけです」
ようやく、彼女は答えた。
「そしてどうやら、その運命が私をここへ連れてきたようですね」
[感心しました……。本当にお上手ですね]
実際、悔しいことに得意だった。学校を辞める前のエイミーは、それなりに人気者だった。人の意識を誘導すること。自分を仮面の裏に隠すこと。その二つは、昔からうまかった。誇れることではないけれど。
クロウはすぐには返さなかった。代わりに前を向き直り、また歩き出す。表情は読めない。それでもエイミーは、彼の顎に力が入ったことと、指先がまた動いたことを見逃さなかった。クロウは、エイミーという存在を頭の中で組み立て直している。さらに踏み込むべきか、距離を取るべきか、見極めているのだ。
興味は引けた。そこはいい。けれど、同時に危険でもあった。彼の注意をこちらへ向けられた一方で、注目を浴びすぎれば厄介事も寄ってくる。たとえば読者に悪役認定される展開だけは、なるべく避けたい。
いずれにせよ、そろそろ仕上げの一手を打つべきだった。クロウと読者に、エイミーが未来を見られると思わせる。そのためには、うろ覚えの漫画知識を使うしかない。使うネタは決まっている。ただ、扱いを間違えるとまずい伏線でもある。タイミングも、演出も、慎重に選ぶ必要があった。




