Ch12-Better than none./ゼロよりはまし(1)
エイミーは医務室のベッドで枕に身を預け、少しでも楽な姿勢を探して体をずらした。そのあいだにも本の光は強まっていく。目の前でページが揺らめき、見慣れた琥珀色の革表紙は、いつしか漫画の単行本へと姿を変え、エイミーの手に収まった。
「ねえ」
エイミーはできるだけ軽い調子を装った。
「自分が動いてるところ見るの、ちょっと楽しみなんだけど。これ、ナルシストっぽい? うん、自分で言ってて痛いね」
[ええ。かなり]
笑ってごまかそうとしたものの、すぐに咳き込んだ。痛みが体中に響き、息が詰まる。
「いたっ。全身痛すぎ……」
[読むのは後にして、今はお休みになっては――]
「ダメ」
エイミーの指が本をぎゅっと握る。
「いいから見せて。今すぐ」
言い切ってから我に返り、何でもないことのように付け足した。
「いや……ただ、何がどうなったのか気になるだけだから」
それでも最初のページをめくる手は、小さく震えていた。
本からため息が漏れる。
[分かりました。第152話『B棟の謎』。開講式の少し前から、あなたがナイトメアを発見するところまでが描かれています]
第152話の扉絵では、手前にクロウが大きく描かれていた。指先には黄金の鍵が挟まれている。その表面は光を受け、どこか不吉な輝きを帯びていた。背後にはいつもの仲間――アッシュ、ライラ、レイン――が立ち、さらにその奥にはB棟がそびえている。影に半ば隠れるようにして、エイミー自身も一行の後ろに描かれていた。その瞳は、予見の光を帯びているように見える。
[なぜか毎回、あなたがかっこよく描かれていますね……]
「どういう意味? 私は普通にかっこいいでしょ」
エイミーは最初のページを開き、読み始めた。
話はヴァンハイム教授の執務室から始まっていた。クロウは何を考えているのか読めない顔で、教授の机の上に黄金の鍵を置く。
『進展はなしか?』
ヴァンハイムは鍵を確かめながら尋ねた。銀の混じった髭が、ランプの光を受けて淡くきらめく。
『ありません』
クロウは短く答えた。肩に残るこわばりから、苛立ちを隠しきれていないことが分かる。
『一般的な解析法は、どれも通用しませんでした。この鍵はまるで……現実と現実の狭間に存在しているようです』
ヴァンハイムは考え込むように髭を撫でた。
『まったく前例がないわけではない。旧王国のアーティファクトには、まれにそうした性質を示すものがある』
そこで言葉を切り、目を細める。
『ザイド・ガスパールに相談することは考えたか? 彼の予見能力なら――』
『いいえ』
クロウが鋭く遮った。
『先に別の手を探します』
ヴァンハイムは慎重に感情を隠した。
『君がガスパール家を避けたがる理由は……君の過去を思えば、理解できる。だが、そのせいで使える手段をむやみに狭めていることも事実だ』
小さな回想が差し込まれた。6か月前、クロウが父の失踪にガスパール家が関わっている可能性を示す証拠を見つけた場面だ。
『もうひとつ、候補があります』
少ししてから、クロウは遠くを見るような目で言った。
『新入生です。彼女には……特殊な知覚能力があるかもしれません』
ヴァンハイムの眉が上がった。
『ああ、察しはつく』
『彼女はガスパール家と関係が……?』
『いや、私の知る限りない。だからこそ疑問も多いがな……。既に君たちに接点があるとは思わなかった』
数コマにわたり、クロウが教授にエイミーについて知っていることをすべて話すべきか迷う様子が描かれた。彼は師を、命を預けられるほど信頼していた。けれど同時に、ザイドではなくあの少女を信じることにした理由を、くどくど問い詰められたくもなかった。
新入生との出会いが単なる偶然ではなかったこと、彼女が意思を持つ古代アーティファクトらしきものを所持していること、そしてオニキスの星が世界に最も近づいた日に、どこからともなく現れたことまで話せば――師は間違いなく、クロウを愚か者だと思うだろう。
『知り合いと言うほどでもありません。少し前に、偶然会っただけです』
『なるほど……。ここだけの話だが、ガスパール家出身の新任教授、カエレンが、彼女の素質に強い関心を示しているようだ』
クロウの目が細くなった。
『どんな関心ですか?』
『無論、専門的な関心だ。それ以上の意味はない』
ヴァンハイムはよどみなく答えた。だが、その口ぶりには、かすかな硬さがにじんでいた。
『もっとも、普段の彼が1年生に見せる無関心さと比べれば……不自然なほど、対象が絞られているようには見える。だが、私が今懸念しているのはそこではない』
彼は身を乗り出し、クロウを射抜くように見据えた。
『私が気にしているのは、君がほとんど何も知らないその少女に、父親の失踪と関係しているかもしれないアーティファクトの情報を委ねようとしていることだ』
クロウは身構えるように腕を組んだ。
『彼女にすべてを話すつもりはありません』
『今はそうだろう』
ヴァンハイムが切り返す。
『だが、話すことも視野には入れている。顔に出ているぞ、クロウ。どこを見るべきか知っている者には、君の考えなど昔から筒抜けだ。このアーティファクトは、ここ数年で見つけた中でも最も重要な手がかりかもしれん。それを、未知数の相手に預けようとしている』
『ですが、ザイドを信用する理由もありません』
クロウの声が硬くなる。
『彼女相手なら、少なくとも何のしがらみもないところから始められます』
ヴァンハイムはため息をつき、しばし目を閉じた。
『……用心しろ、クロウ。人は、見かけどおりとは限らん』
クロウは短くうなずき、机から鍵を回収した。
『分かっています』
そう言って出口へ向かう。
『それからクロウ』
背中に、ヴァンハイムの声がかかった。
『認識と現実について、私が教えたことを覚えておけ』
漫画では、クロウが扉の前で足を止めていた。振り返りこそしないが、確かに耳を傾けている。
『最も単純な説明は、たいてい正しい。――過去が絡むときだけは別だ。その場合、物事は決して単純では済まない。心しておけ、少年。そして、父親にこれ以上君の人生を壊させるな』
その言葉を最後に、クロウは部屋を出た。
エイミーはページを見て顔をしかめた。
「私って、そんなに信用ないわけ? まあ怪しいのは分かるけどさ、ここまで大げさに警戒する必要ある?」
[あなたが彼らの立場でも、同じくらい警戒しますよ。むしろ、あなたの態度を思えば……もっと疑ってかかるかも]
「は? 何言ってんの?」
[何でもありません]
「はいはい」
この生意気な本を相手に、わざわざ口を利くだけ無駄だった。




