Ch11- Bittersweet./ほろ苦い勝利(3)
意識は、欠片のように少しずつ戻ってきた。
最初に認識したのは声だった。次に、硬くて不快なものの上に横たわっている感覚。
「……全員、生きているだけでも幸運だ……」
「……重度の負荷……」
「……クラスSの生徒は、やはり規格外だな……」
体から切り離されたように、エイミーは暗闇の中を漂っていた。
ここは穏やかだった。痛みも、怪物も、責任もない。
失敗した。
その思考が、針のように暗闇を刺し貫いた。鋭く、不快だった。
エリアスの潰れた顔が、全員を救うと決めた記憶とともにまぶたの裏へ焼きつく。彼は死んだ。
救えたはずなのに、救えなかった。
半ば意識のない頭の中で、記憶がちらついた。儀式の部屋。十字架。どうにか解放できた生徒たち。
それでも、何一つ意味がなかったように思えた。理屈では大成功だったと分かっている。それなのに、このろくでもない心は……。
冷たいものが額に触れた。濡れた布だと、ぼんやり理解する。
その感覚が一度だけエイミーを現実につなぎ留め、すぐにまた意識は遠のいていった。
◇ ◇ ◇
まぶた越しに差し込む光。
目の奥で脈打つ痛み。
口の中に残る、血の鉄臭い味。
エイミーは自分の下に柔らかな感触があることに気づいた。ベッドだ。清潔なシーツ。医療施設特有の消毒薬の匂い。
まぶたは張りついたように重かったが、エイミーは残っている気力を総動員して目を開けた。真っ白な光が視界を刺し、彼女は顔をゆがめて、すぐにまた目を閉じる。
[目が覚めましたね]
聞き慣れた声が、耳の中に響いた。
返事をしようとした。だが喉はからからで、舌は腫れぼったく、まともに動いてくれない。出せたのは、情けないかすれ声だけだった。
[ええ、まあ、そういう声にもなりますよね]
なけなしの気力をかき集めて、エイミーはもう一度目を開けた。今度はゆっくりと。医務室らしき部屋の白い天井に、ぼんやりと焦点が合う。首のこわばりに眉を寄せながら、少しだけ頭を動かした。
リブリスがいた。ベッドサイドのテーブルに置かれている。
琥珀色の本がそこにある。それだけで、エイミーの顔に自然と笑みが浮かんだ。
[おかえりなさい]
リブリスは穏やかに言った。
[あなたは丸3日、意識を失っていました。認めるのは癪ですが、あなたがいないあいだ、私はかなり退屈でしたよ]
エイミーは再び話そうとした。今度は、かすれたささやき声が出た。
「わあ……」
どうにかそれだけを口にする。
「……それ、今までで一番優しいこと言ってくれた……」
[調子に乗らないでください……それと、今後しばらくは安静に。いいですね? 治癒師たちはかなり手を尽くしてくれましたが、あなたはまだ完全には回復していません]
言われなくても分かってる。
「どれくらい……ひどかった?」
まだ乾いてざらつく喉から、エイミーはかすれた声を絞り出した。
[十分ひどかったです。複数の裂傷、重度の失血、精神への極度の負荷。セルウィン大魔導師に診てもらえたのは幸運でした。彼女はアカデミーでも屈指の治癒師です。肉体の傷はほとんど処置されています。ですが……あなたはマジカルコア(魔力核)に深刻な負荷をかけました。耐えられる限界を、はるかに超えて酷使したのです。治癒師たちが安定させてくれましたが、自然に回復する時間が必要です。意識が戻った今なら、きちんと休めば完全回復まであと2日ほど、という見立てです]
エイミーは力なく手を伸ばし、ベッドサイドのテーブルに置かれていた水の入ったグラスを取った。置いてくれた誰か、めちゃくちゃ気が利く。数口飲むと、ほんの少しだけ人間に戻った気がした。
「他の人たちは? レインは? 助けた生徒たちは?」
[助け出した人たちは全員生きています。まだ回復中の者もいますが、危篤状態の者はいません。レインは昨日退院しました。あなたほど重傷ではありませんでしたが、彼女もマジカルコアにかなりの負荷をかけています]
エイミーはうなずいた。
エリアスの潰れた顔がまぶたの裏に浮かびかける。けれどすぐに押しのけ、手の中のグラスに意識を向けた。
[警告しておきます、エイミー]
リブリスの声が、いつもより真剣になる。
[次にあれほど能力を酷使したら、回復できないかもしれません。マジカルコアへの負担は相当なものでした。同じことを繰り返せば、後遺症が残る可能性があります。最悪の場合、それだけでは済みません]
エイミーはグラスを置き、本から目を逸らしたまま言った。「選択肢なんてなかった」
[選択肢は常にあります]
エイミーの目が細くなる。「本当に? じゃあ代替案は何だったの? ぜひご高説を聞かせてよ」自分でも驚くほど、声には苦みが滲んでいた。
[選択とは、単なる分岐点ではありません。前へ進むたびに背負う重みです。あなたは彼らを救うことを選んだ。立派ですが、無謀でもありました。そこであなた自身が壊れてしまえば、次に彼らを守る者は誰になるのですか?]
エイミーは拳を握りしめ、顎に力を込めた。
「じゃあ何、黙って見てろってこと?」
[違います。もっと賢く戦いなさい、と言っているのです。強さは、犠牲だけに宿るものではありません。耐え抜くことにもある。いつ踏み込み、いつ退き、いつ隣に立つ者を信じるのか。それを見極めることです]
しばし沈黙が流れた。やがてエイミーは、短く、乾いた笑いを漏らした。「それ、ネットで拾ったの?」
リブリスが小さく笑った。
[ええ。古今東西の英知が、あなたの世界の広大なデジタルアーカイブにまとめて保管されています。実に効率的です]
エイミーは半ば呆れながら首を振った。「最高。こっちは死にかけなのに、あんたは自己啓発ブログを引用してくるわけね」
[無名の哲学者でも引用したほうがよろしいですか? 『知恵は、どこで見つかろうと知恵である』。そして今回に限っては、それは真実です]
エイミーはため息をつき、こめかみを揉んだ。
「はいはい、分かった」
苛立ってはいた。それでも、張り詰めていたものが胸の奥で少しだけほどけるのを感じた。
「アカデミーは、今回の件で何か動いた?」
[実は、かなり動いています。敷地全体の警備が大幅に強化されました。学長は全施設の総点検を命じています。何しろ、いくつもの強硬な抗議を受けたあとですからね]
「当ててあげようか。レインの家でしょ?」
[その通りです。アークライト家は、一族の跡継ぎが得体の知れない怪物への生贄にされかけたことを、穏便に済ませるつもりはありません。他にも複数の貴族家が、説明を求めて声を上げています]
エイミーは力なく鼻で笑った。
「ざまあ。学校が痛い目を見るなら、この世界にとってはむしろプラスでしょ」
[まだあります]
リブリスが続けた。
[授業は2日後に再開されます]
「は?」
エイミーは勢いよく起き上がろうとして、即座に後悔した。頭がぐらりと揺れる。
「正気? あんなことが起きた直後なのに?」
[アカデミーの公式見解は、『混乱を防ぐため、平常運転を維持する必要がある』とのことです。すでに一部の生徒は隠蔽だと言っています。もちろん本当の理由は、生徒たちをできるだけ早く実戦に出せる能力者に仕上げたいからでしょう]
エイミーは枕に沈み込んだ。
「せめて1か月は休みだと思ってたのに……」
[それと別件ですが、箱は今、クロウが持っています]
その言葉に、エイミーの意識が向いた。
「開けたの?」
[いいえ。彼は……ためらっています。何時間も箱を眺めるばかりで、鍵を使う踏ん切りがつかないようです。中に何があるのか、恐れているのでしょう]
エイミーは眉を寄せたが、責める気にはならなかった。
あの箱は、彼の父親のものなのだ。自分がクロウの立場でも、父親からのものを受け入れるには、相当な覚悟が必要だっただろう。
「他に知っておくべきことは?」
父親のことから意識を逸らすように、エイミーは尋ねた。考えたところで、腹が立つだけだ。
[最新話が公開されています。あなたが意識を失った直後に出たので、もう3日経っています。それから、システムアップデートも完了しました]
リブリスの言葉に、エイミーはぱっと食いついた。
「もう? 早くない?」
[あなたが思っているほど不思議なことではありません。話が公開されるタイミングは、この世界で経過した時間よりも、物語の進行度に左右されます]
「待って、それじゃあ……?」
胸の奥に、希望の火花が灯った。
「私、パワーアップした?」
[ええ。それも、かなり大幅に。あなたの能力は、あなたというキャラクターへの読者好感度に比例しますから。儀式の部屋での行動は……彼らの心に響きました]
「……ナーフされないよね……?」
[能力の強さが、あなたというキャラクターへの読者好感度に対して不釣り合いだった場合だけです。ですから、今回はありません。ご安心を]
「じゃあ……今の私は、前より強いってこと?」
それでも、エイミーは唇に小さな笑みが浮かぶのを止められなかった。
[相当強くなっています。ただし、完全に回復するまでは、その限界を試さないことをお勧めします]
エイミーはうなずき、それから扉のほうへ視線を向けた。
「看護師たちが、私が起きたって気づくまであとどれくらい?」
[おそらく長くはありません。監視魔法がすでに知らせているはずです]
「時間つぶしに、最新話読む?」
エリアスの記憶が浮かび上がりそうになるのを押し戻すため、エイミーはあえてそう聞いた。
[あなたが望むなら]
エイミーはうなずき、ベッドに身を預けた。見慣れた光がリブリスのページから滲み出しはじめる。少しのあいだだけでも、考えたくないものを押しのけるように。
あの部屋で起きたこと――全員を救えなかったという記憶は、深い場所に埋めたままだった。
できれば、そのまま沈んでいてほしい。




