Ch2 - Manga's Will./マンガの意志(1)
意識が戻るにつれ、エイミーの喉からうめきが漏れた。鼓動に合わせて、頭の奥がずきずきと痛む。頬には、冷たく硬い感触が押しつけられていた。コンクリート? いや――石だ。空気には湿ったカビの臭いと、正体の分からない金属臭が混じっている。
「うぅ……何これ……」口に残った土のようなものを、ぺっと吐き出す。
身を起こした途端、視界がぐらりと揺れ、すぐに後悔した。世界が大きく傾き、また顔から地面に突っ込まないよう、近くの壁に手をついて踏ん張る。
「オッケー、オッケー……落ち着け。深呼吸。吐くな。大丈夫、いける……」
エイミーは両手で目元を覆った。
「落ち着け。これはただの夢。ただの悪夢……。エナジードリンクの飲みすぎと、あの駄作漫画の読みすぎで、とうとう脳がバグっただけ……」
ようやく目を開けると、そこに自室の天井はなかった。中世風の建物の隙間から、場違いなほどきれいな青空がのぞいている。エイミーは薄汚れた路地裏に倒れていて、横腹には石畳の角が食い込んでいた。
「嘘でしょ。無理、無理、無理」エイミーは自分の格好を見下ろした。寝る前に着ていた、よれよれのTシャツ。膝に穴の開いたスウェットパンツ。ポケットを叩いてみる。スマホはない。もちろん、ない。
奥歯を噛んで立ち上がると、ざらついた地面で手のひらが擦れ、ひりつく痛みが走った。
「こんなの現実なわけない。絶対に認めないから……」
そう言いつつも、エイミーの中ではもう答えが出かけていた。これは現実だ。何度否定したところで、目の前の路地も、手のひらの痛みも消えてくれない。それでも、口に出していれば少しだけ楽になった。
しばらく、エイミーは路地の中で立ち尽くしていた。視線は定まらず、呼吸ばかりが荒くなっていく。自分に何が起きたのか、その現実がじわじわと染み込んでくる。
ところが、その直後。エイミーは現実と折り合いをつける段階をすっ飛ばし、いきなり怒りへ直行した。
何の前触れもなく、足元の石ころを蹴り飛ばす。溜まりに溜まった苛立ちに、体が勝手に動いたのだ。蹴ったそばから後悔した。エイミーは裸足だった。
「痛っ! この……クソ中世ファンタジー世界が……! もう、ほんと最悪……!」
片足で跳ねながら足を押さえていると、視界の端に見慣れないものが引っかかった。さっきまで寄りかかっていた壁際に、革のバッグが置かれている。先ほどまではなかったものだ。
エイミーは数秒、それを凝視した。今にも爆発するんじゃないかと疑いながら、慎重に近づいていく。
中には、素朴な茶色のチュニックとズボン、革のブーツ――助かった、靴がある――それに水筒。さらに、最後にもう一つ。
ひとまず着替えを済ませてから、エイミーは最後に残ったそれへ目を向けた。
「本?」
エイミーは革装丁の大きな本を取り出した。表紙にあるのは、小さな黄色い三角形の図柄だけ。題名もなければ、作者名もない。いかにもなファンタジー風の仰々しい紋章もない。琥珀色の革と、三角形。それだけだった。
本を開く。一瞬、ページは真っ白だった。だが次の瞬間、整った機械的な文字がそこに浮かび上がる。
[マンガの意志を初期化しました。ユーザー:エイミー・ステイク。チュートリアルモードを開始します]
エイミーは危うく本を取り落としかけた。「は?」
[当ユニットは、この世界の物語システムとユーザーを接続するインターフェースです]
本から、機械音声のような声が響いた。
[現在の読者反応値:0。現在の能力値:ほぼ皆無。生存確率:12%]
「12%!?」エイミーは本を睨みつけた。「ちょっと待って。何の話? あんた誰? ていうか、その12%って絶対いま適当に出した数字だよね?」
[1:質問は一度に1つまでにしてください。2:当ユニットは事実情報のみを提供します]
「……最悪。イタい異世界システムまでついてくるとか……今日これ以上ひどくなりようがないんだけど」地面に落ちた本を拾い上げ、エイミーはページをぱらぱらとめくった。どのページも白紙だ。「それで。ここ、どこなわけ?」
自分で思った以上に、声には焦りが滲んでいた。
[所在地:エルドリア王都。警告:この区域にはレベル15〜20相当の敵性生物が存在する可能性があります。ユーザーの現在の戦闘評価:0]
エイミーの目元がぴくりと引きつった。「そりゃ危険だよね。そうじゃなきゃ、こっちに都合よすぎるもんね?」
[その通りです。そうでなければ、ユーザーにとって簡単すぎます]
「……何、もしかして今の皮肉?」エイミーは目を細めて本を見た。
[否定。当ユニットには人格プロトコルが搭載されていません]
「どうだか……」鼻で笑ってから、エイミーは周囲を見回した。「要するに、私が死ぬまで、退屈なステータス報告を延々と続けるだけってこと?」
[おおむね正解です]
「うわ、最悪」そう言いながらブーツを履く。サイズは大きすぎたが、裸足よりはずっとましだった。「この先5分で死なないための助言とかないわけ?」
[ユーザー人格マトリクスを解析中……完了。評価:高い言語適応能力、防衛反応として皮肉や冗談を多用する傾向、過度な頑固さを確認。何らかのトラウマを抱えている可能性あり。これらの特性は……興味深い]
靴紐を結んでいたエイミーの手が止まった。「……は?」
[当ユニットは、複数の物語サイクルにおける過去すべてのシステム反復データにアクセスできます。ユーザーの人格構成は統計的に特異です。インターフェース効率向上のため、行動パターンを模倣します]
「待って、何するつもり――」
ページ上の文字がちらつき、別の文面へと組み替わった。




