Ch9- Act 1./第一幕(3)
エイミーはレインに向き直り、タイルを示した。それを見て、レインは眉根を寄せる。それからためらいがちにエイミーの隣へ膝をつき、細い指でタイルの反対側を押さえた。二人で持ち上げると、下の空洞に挟まっていた、小さく折り畳まれた紙切れが現れた。
少し震える手で、エイミーはその紙を開いた。文字は血で書かれていた。
『彼はいつも聞いている』
実際に目にすると、洒落にならないくらい気味が悪い。
この場面を読んだとき、エイミーは馬鹿みたいだと笑った記憶がある。ホラー映画のお約束だ、と。けれど今、自分がそのホラーの中にいるとなれば、もう笑えなかった。
「……何て書いてあるの?」
レインが肩越しにのぞき込む。
エイミーは少しだけためらったあと、紙をレインに差し出した。
「ただの落書きです」
そう言いながら、唇に人差し指を当ててみせる。何も言うな、という合図だった。
レインも文面を読み、訝しげに眉を寄せた。彼女には珍しい表情だった。
幸い、レインはすぐに察した。監視呪文はやはり周囲の音を拾っている。そして、こちらがそれに気づいたと悟られれば、生きてここを出るために戦う羽目になる。レインなら、たぶん切り抜けられる。だがエイミーは――
レインはさらに数秒、文字を見つめてから、エイミーへ顔を向けた。
「みんなのところに戻る……?」
エイミーは首を横に振る。
「まだです。約束した10分が過ぎるまで待ってから戻りましょう」
レインは迷っているようだった。エイミーの言うことを聞くべきか、それともほかの仲間に知らせに行くべきか、判断しかねているのだろう。だが最終的に、ゆっくりと、ぎこちなくうなずいた。
リリエンヌ教授の授業中、リブリスはエイミーに、今ならおそらくフェイツ・サイト(運命視)を使えると告げていた。熟練度はLv3まで上がっている。理屈の上では、完全に役立たずというわけではないはずだ。
身体の内側にある、実体のない筋肉を探るような感覚。そこに力を込めれば、ほんの少しは未来を見られるはずだ。
エイミーは、先に未来をのぞき、そのあとで『ブラッド・エンペラー(血の皇帝)』と叫ぶことにした。そして目を閉じ、集中する。原作では、ザイドがこの方法で少年の居場所を見つけていた。もう少し記憶がはっきりしていればよかったのに。
エイミーは、ほとんど眠ったままのその感覚を、無理やり働かせた。世界がぼやける。そして――
砕けた映像が奔流となって押し寄せた。
今いる部屋で、自分が『ブラッド・エンペラー』と叫ぶ。直後、本棚の陰から、全身が無数の目に覆われたおぞましい異形が現れる。その先に待っていたのは惨劇だった。エイミーの身体は真っ二つに引き裂かれ、レインは氷の力でかろうじて自分だけを守る。やがてエイミーの瞼がゆっくりと閉じ、命が抜け落ちていくのを感じた、その直前――
激痛。
突然、すべてを塗りつぶすような痛みが、全身を貫いた。内側から身体を引き裂かれるような感覚に襲われ、そこで幻視は崩れた。
エイミーは息を呑み、よろめきながら後ろへ下がった。反射的に両手で腹部を押さえる。身体を引き裂かれた幻痛が、まだ残っているようだった。
何度もまばたきをした。短く鋭い呼吸が、途切れ途切れに漏れた。
「エイミー?」
レインの声には切迫した響きがあった。それでも、どうにか抑えは利いている。
「何が、あったの……?」
エイミーはぐっと唾を飲み込み、どうにか声を絞り出した。
「……何か変なものを食べたみたいです……」
レインはさらに眉根を寄せて目を細め、額には冷や汗がにじみ始めていた。
「……そう……外に出て、少し風に当たる……?」
内気な性格にもかかわらず、その声は不思議なくらい安定していた。肝心な場面では、レインはいつだってクロウが背中を預けられる相手だ。だから、そこまで意外なことではない。
エイミーはレインを見たあと、廊下の奥を指さした。
「大丈夫です。少し待てば落ち着きます」
レインは指さされた先へ目を向けたが、心配そうな表情は消えない。
「分かった。でも、本当に大丈夫……?」
「はい」
エイミーは無理やり立ち上がり、幻視の名残と、それに伴う疲労感を振り払った。
「心配いりません。ただの腹痛です」
二人は黙って、廊下の突き当たりにある木製の本棚へ近づいた。棚には、何年も触れられていないような埃まみれの書物が詰まっている。エイミーは棚の端に両手を当て、重さを確かめた。
レインも同じように手を添え、二人は呼吸を合わせて押した。音を立てないよう、できるかぎりゆっくりと棚を動かしていく。かなり骨の折れる作業だった。
苦労の末、ようやく棚が動き、その奥に隠されていた人影が露わになった。
意識のない金髪の少年が、縄で拘束されていた。全身が傷だらけだが、かろうじて生きている。内臓も血流も、何らかの魔法で無理やり保たれているようだった。
エリアス・ヴァーン。
少年の身体を覆う血を見た瞬間、エイミーは凍りついた。血まみれの母と、彼女を見下ろす父の記憶がよみがえる。だが、すぐに自分を立て直した。今はくだらないことを考えている場合ではない。
意識を切り替え、少年の状態をさらに詳しく見る。彼の周囲の石床には、13の緋色の印が不揃いな線で描きつけられていた。
レインが鋭く息を呑む。それでも、軽率には動かなかった。彼女はこういう状況に慣れている。実際、主人公パーティは全員、血なまぐさい場に慣れていた。両手の震えを抑え込まなければならないのは、エイミーだけだ。
「ねえ、エイミー。本当に大丈夫……?」
レインがつぶやいた。もともと青白い顔から、さらに血の気が引いていた。
「医務室に行かなくていいの……?」
こっちがどれだけ行きたいか、分かってないでしょ……。
「大丈夫です。だいぶ楽になってきました」
エイミーの声は落ち着いていて、動揺はまったくにじんでいなかった。
「どちらにしても、みんなを探した方がよさそうです。約束した10分も、そろそろ――」
[そろそろではなく、もう過ぎています。全員、外に戻って待っています]
「――経つころですから」
本の声が聞こえたことに内心驚きながらも、エイミーは途切れさせずに言い切った。
[ちなみに、置いていかれて私は大変傷ついています。しばらく口を利かずにいようかとも思いましたが……結局、そうも言っていられなくなりました]
「……分かった」
レインはリブリスの声がエイミーの頭の中で話していることに気づかないまま、そう答えた。
[それはさておき、あなたに通知しなければならないことがあります。ひどい仕打ちをしたあなたにご褒美を出すようで、こちらとしては非常に不本意ですが。もっとも、内容はもう見当がついているでしょう]
エイミーの指先に、初めてのときと同じような痺れが走った。
やっと来た。
その一瞬だけ、エイミーは自分が置かれている状況を忘れていた。
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