Ch9- Act 1./第一幕(2)
それ以上言葉を交わすことなく、エイミーたちはそろってB棟へ入った。ほかのクラスの学生が足を止め、二度見する。アカデミーの主要区画から外れた場所にクラスSの生徒が突然現れるなど、そうそうあることではない。
エイミーは意識を集中し、廊下を見回した。原作の記憶が正しければ、最初の犠牲者はすでに姿を消している。けれど、まだ生きているはずだ。金髪の1年生、エリアス・ヴァーン。
とはいえ、記憶は完璧ではない。加えて、原作ではその生徒がどの教室にいたのかまで明記されていなかった。探すしかない。
なら、やることは一つ――
「手分けしましょう」
クロウは片眉を上げたが、すぐにうなずいた。もう状況を飲み込んだらしい。
「分かった。誰かと組むか? それとも各自で動くか?」
エイミーは少し考えた。単独なら調べられる範囲は広がるが、そのぶん危険にもさらされやすい。
とはいえ、最初の生徒を見つけるだけなら、見つけた側が弱くないかぎり、必ずしも危険ではない。そして見た目はどうあれ、主人公パーティに弱い人間はいなかった。
「一人ずつで」
エイミーは決めた。
「その方が早いです。誰かがおかしなものを見つけたら、10分後にここへ戻って合流してください。特に探すべきは、紙切れです」
「紙……?」
クロウが聞き返す。
エイミーの言葉に、アッシュがげんなりした声を漏らした。
「マジかよ。今日、本当に昼飯抜きか? 空腹で戦闘応用の授業とか、かなりきついぞ……」
ライラはあきれたように息をついた。
「心配しなくても大丈夫よ。事情を説明すれば、ドレイク教授も今回は大目に見てくれるはず……」
そこで考え込むように言葉を切り、顔に怯えが浮かんだ。
「……よね?」そう言って、クロウを見る。
クロウは涼しい顔で肩をすくめると、ためらいなく枝分かれした廊下の一方へ足を向けた――
「待ってください」
エイミーが呼び止めた。鞄に手を入れ、リブリスを取り出す。「私の本を持っていってください」
[……え?]
クロウは困惑したように、エイミーと本を見比べた。その目には、明らかな警戒が浮かんでいる。
[先に言っておきますが、あなたが何を期待しているのかは分かりません。物語の進行に直接干渉することは、物語プロトコルで厳格に禁じられています。何を頼まれても、今回は手助けできません]
エイミーは聞かなかったことにして、クロウへ本を差し出した。
「どうぞ、持っていってください。役に立つかもしれません」
[なぜです……? あなたの狙いが分かりません。先ほども言ったとおり、私は――待ってください! まさか私を置いていく気ですか?]
頭の中に直接響くリブリスの声には、心底信じられないという色がにじんでいた。
[ま、待って、待ってください! 嘘ですよね? 本気で私を置いていくわけじゃありませんよね?]
「……」
[ここまで一緒にやってきた仲でしょう!?]
クロウはためらった。視線は本に固定されている。おそらく今、リブリスが絶え間なくしゃべっていることは感じ取れているのだろう。ただ、その言葉までは聞こえていない。
さらに数秒考え込んだあと、クロウはゆっくりとうなずいた。そしてリブリスを受け取り、自分の鞄へ丁寧にしまう。
[前代未聞、容認不能、正気の沙汰ではありません!]
大げさすぎるでしょ。エイミーは騒ぎ立てる本に、うんざりした息を吐いた。
リブリスを預かったクロウは、そのまま廊下を進んでいった。それを合図に、エイミーの計画も動き出す。ライラは一瞬、二人の間で視線を迷わせたあと、渋々別の道へ向かい、階段の先へ姿を消した。アッシュはまだ不満そうに何かをつぶやきながら、右手の通路を進む。エイミーは、休み時間で教室の多くが空いている、人けの少ない棟の一角へ足を向けた。
一方、レインは周囲を見回し、どこへ行くべきか迷っているようだった。視線が仲間たちの消えた方角と周囲の廊下を行き来し、やがてエイミーに留まる。
銀髪の少女が、いつもの無表情で近づいてきた。エイミーはわずかに視線を上げる。二人はしばらく向かい合ったまま動かなかった。どちらも何も言い出さず、レインの行動が分からないまま、エイミーの困惑ばかりが深まっていく。
周囲を学生たちが通り過ぎた。二人のにらめっこが続くにつれ、ちらちら向けられる視線も増えていく。エイミーはだんだん苛立ってきた。もうこちらから話しかけるべきかと思う。だが、ここまで粘ってしまった以上、先に口を開くのも負けな気がした。だから、そのまま視線を外さずにいる。
え……何なの、これ。
どちらも話さない。どちらも動かない。黙って互いを見ているだけだ。『こんなことをしている時間はない』という焦りが増すにつれて、エイミーの両手がかすかに震え始めた。
はい、私の負け。
「レイン、どうかしましたか?」
レインはゆっくり瞬きをした。表情は変わらない。そして、さらに数秒黙ったあと、ようやく口を開いた。その声はささやきに近かった。
「……一緒に、行ってもいい……?」
そこに、これといった感情は乗っていない。初対面で、レインがただ極端に内気なだけだと見抜いたクロウは、いったいどうやってそれを察したのだろう。主人公補正というやつかもしれない。
レインがなぜ一緒に来たがるのか、エイミーには分からなかった。だが一緒にいても状況は大きく変わらない。だから、それ以上は聞かずにうなずいた。歩き出すと、レインがすぐ後ろについてきた。
二人は、一人か二人の学生がまだ残っている教室をいくつも通り過ぎた。進むほどに人けは薄れ、それに合わせて、背筋を這い上がるような不穏な感覚も強くなっていく。引き返せと脳に訴えかけてくる、小さな衝動。
うわ、最悪。見つける役だけは勘弁って思ってたのに……どれだけ運が悪いの、私。よりによって一直線に向かってたとか……!
エイミーは左に曲がった。特に気を引かれるわけでもない。それなのに、なぜか足を踏み入れたくない教室だった。
ここだ。
エリアス・ヴァーンが最後に目撃された場所。
エイミーが教室に入ると、レインは小さく首を傾げた。やはり何も言わない。
エイミーは周囲を見回し、不自然なものがないか探した。記憶が正しければ、原作ではこの場面がかなり克明に描かれていた。ひび割れたタイル、空気に混じる鉄の匂い。そして、ずっと何かに見られていたのだと気づく、ぞっとする感覚。
ひび割れたタイルはある。鉄の匂いも、薄いが間違いなく漂っていた。
では、見られている感覚は?
まだない。ブラッドエンペラーインカネーション(血の化身)は目覚めていない。けれど、監視呪文はこちらの声を拾っている可能性が高い。
エイミーは動きを止めた。指先が鞄の肩紐へ伸びかける。だが、今回そこにリブリスはいない。それでいい。リブリスにはクロウと一緒にいてもらう必要があった。それでも、いつも聞こえてくるリブリスの口出しがないせいで、沈黙は余計に重く感じられた。
エイミーの緊張に気づいたのか、レインが小声で尋ねる。
「……どうか、した……?」
たったそれだけの言葉を口にするにも、彼女がかなり勇気を振り絞ったのだと分かった。
エイミーは答えなかった。代わりにしゃがみ込み、ひび割れたタイルの上を指でなぞる。何かが下に押し込まれたかのように、ほんの少しずれていた。慎重に端を押すと、わずかに沈む感触がある。
下に何かある。




