Ch5- Back to prison./牢獄に逆戻り(3)
女性の声は、魔法で増幅している様子もないのに、広大な空間の隅々まで自然に届いた。
「私は本学院の学長を務める、エリンドラです。在校生の皆さん、おかえりなさい。そして新入生の皆さん――」
その目がクラスSの区画へ向けられる。
「――試練の突破、おめでとうございます。皆さんの旅は、本日ここから始まります」
エイミーは身じろぎもせず、すべての細部を頭に焼きつけようとした。学長は、漫画で見ていた姿から想像していたよりも、実物のほうがずっと威圧感があった。背が高く、白い髪は凝ったアップスタイルにまとめられている。瞳は光の加減によって、緑にも金にも変わるように見えた。漫画では彼女の特殊能力は最後まで明かされておらず、それがエリンドラという人物の謎めいた印象をいっそう強めていた。
「何世紀にもわたり、この学院は、この王国における最高峰の能力者たちを育ててきました」エリンドラは続けた。「皆さんは、卓越した力と、それに伴う責務の伝統を受け継ぐ者です。ここで学ぶ知識は、自らを高めるためだけのものではありません。この世界を滅ぼそうとする邪悪な勢力から人々を守り、より良い未来を築くためのものでもあります」
学長の視線が、集まった学生たちの上をゆっくりと巡る。その目が一瞬、自分のところで止まったような気がして、エイミーは内心で固まった。
神様、お願いだから、ただの気のせいであって……!
[あ、今ちょっとあなたを見ていましたね]
うわあああ……! なんで『この世界を滅ぼそうとする邪悪な勢力』のところで、こっち見て笑ったの!? うわあああ……!
「今年は、例年とは違います」学長の声に、さらに重みが宿る。「兆しを読み取れる者には、すでに明らかでしょう。古より続く流れは揺らぎ、星々は変化を告げています」
ざわめきが人波の中を走った。エイミーの背筋に冷たいものが這う。あの不吉な言葉が何を指しているのか、彼女にははっきりわかっていた。これから訪れる大災厄。今年を境に始まり、以後悪化の一途を辿る出来事。自分がこの世界へ来てまで止めなければならない、あの破滅だ。
[ずいぶん露骨ですね]鞄の中から、本が乾いた声で呟いた。
「そのため、今年皆さんを導く教員陣は、とくに慎重に選ばれました」
エリンドラは言葉を続ける。
「彼らは、皆さんを自分では届かないと思っていた領域まで押し上げるでしょう。昨日まで十分だった力が、明日も通用するとは限らないからです」
学長が、背後に並ぶ教員たちへ手を向けた。名前を呼ばれた教員たちが、それぞれ頷く。エイミーは、そのうち何人かには漫画で見覚えがあった。名前は覚えていないが、顔は覚えている。
このあたり、読んだのはかなり前だし、何話も飛ばしたのに、意外と覚えてるもんだな……。まあ、漫画は相変わらずゴミだけど。
「最後に」エリンドラが告げた。「今年度より、クラスSのプロフェティック・アーツ(予言術)担当教員が変更となります。カエレン教授が、外縁域への遠征より帰還しました」
見た目は若いのに、髪だけが真っ白な背の高い男が立ち上がり、軽く一礼した。瞳は虹彩も瞳孔も見えない、塗りつぶしたような黒。彼が笑うと、なぜか肌が粟立った。
こんな奴、覚えてないんだけど……。
[妙ですね。彼は原作には登場していなかったはずです]
はあああ!?
エイミーの全身が強張った。新キャラ。つまり、自分の知っている時系列に、大きな変化が起きているということだ。こっちに来てまだ1日しか経っていないのに。何この詐欺展開。
「……金返せって言いたい……」
[何の話をしているのですか……?]
その後は、行動規範や学院の規則について、長々とした説明が続いた。あれを守れ、これをするな、というお決まりの話だ。最後に学長は、時間割や学院内での決まりに関するいくつかの連絡を済ませ、締めの言葉で式を終えた。「覚えておきなさい。あなた方は、今のあなた方だから選ばれたのではありません。これから何者になり得るのか、その可能性を見込まれて選ばれたのです。この機会を、決して無駄にしてはなりません」
式が終わると、2年生には退場が許され、1年生には校内案内のため残るよう指示が出た。学長は自らクラスSの区画へ歩み寄る。
「2年生は、上級課程の授業へ向かいなさい」彼女は13人の在校生へ告げた。「1年生は、午後に上級生たちと合流する前に、私と特別オリエンテーションを行います」
2年生たちが退場しはじめる中、エイミーはクロウが足を止めていることに気づいた。人混みの中で、彼の目がこちらを捉える。短い迷いのあと、クロウは自分のグループから離れ、エイミーのほうへ歩いてきた。
[人気者ですね]
今だけは本当にやめてほしいんだけど……。
そんな内心など知るはずもなく、クロウは数歩手前で立ち止まった。表情は読めない。
「私がここにいても、驚かないんですね?」エイミーはできるだけ平然とした声で尋ねた。
クロウは値踏みするように、エイミーへ視線を走らせた。「驚きはしない。ただ、気にはなっている」
エイミーは小首を傾げ、何もかも見通しているような意味ありげな笑みを浮かべた。もちろん、ただの虚勢だ。「というと?」
クロウはすぐには答えず、解けない問題を前にしたように、しばらく彼女を見ていた。やがて口を開く。「取引がしたい」
エイミーは瞬いた。「取引、ですか?」
「あとで説明する」
エイミーは片眉を上げた。だが詳しく問いただすより早く、学長の視線が二人へ向けられる。
「ミス・ステイク」
学長の声を聞いた瞬間、エイミーは頭を下げたい衝動にほとんど逆らえなくなった。うっかり警察官の顔に熱いコーヒーをこぼしてしまい、その相手に無言で見下ろされているような感覚だった。
嫌な記憶だ。
エイミーがクロウに頷くと、彼も頷き返した。彼女はそのまま踵を返し、1年生たちと一緒にその場を離れた。
エリンドラの視線がようやく自分から外れたところで、エイミーは自分が息を止めていたことに気づき、ゆっくり吐き出した。
学長は今、1年生たちへついてくるよう手で示している。クラスSのほかの新入生6人はためらい、警戒するように視線を交わしてから前へ進んだ。
エイミーもその横に並んで歩く。肩の力を抜き、表情は読ませない。この時点で、彼女は常に何かを演じ続けることに慣れはじめていた。
彼らは学長本人に率いられ、アカデミーの広大で入り組んだ廊下を進んでいく。すれ違う学生も教員も、皆その道を空けた。中には小声で囁き合う者もいる。エリンドラ大魔導師から直々に案内を受ける者など、そうそういないのだろう。
けれど、エイミーはほとんど注意を払っていなかった。
代わりに、意識は過去へ沈んでいった。
漫画をネットで酷評したという恐ろしい罪の罰として、女神が自分をこの世界へ放り込むと決めた、その数日前の自分へ。
16歳で学校を辞め、薄暗い教室を最後に出ていった、あの瞬間へ。
辞めてから、まだ1年しか経ってないのに……結局またここか。
彼女はまた、別の牢獄に閉じ込められていた。ただし今度の鎖は、前より少しだけ綺麗だった。
エイミーは指を握っては開き、鼻から息を吐いた。考えても仕方ない。過去は過去だ。今できるのは前に進むこと。そして、この世界の崩壊をいったいどう止めればいいのか、突き止めることだけだ。
せめて、もう少し楽だったらよかったのに……。




