Ch5- Back to prison./牢獄に逆戻り(1)
[時間です。起きてください]
「……」
[エイミー。起きないと、入学式に遅れますよ]
「んむぅ……」
[起きてください。でなければ、こちらも実力行使に出ますよ]
エイミーは低くうなり、頭まで布団をかぶって体を丸めた。聞こえないふりでやり過ごす気だった。
[わかりました。自分で招いた結果ですからね]
本は――肺などないくせに――大きく息を吸い込み、部屋中に響く声を放った。
[起きなさい、エイミー!!]
感電でもしたかのように、エイミーは跳ね起きた。息は乱れ、心臓が肋骨の内側で暴れ回っている。
「な、なに!?」
エイミーは目を見開いて叫んだ。頭はまだ寝ぼけていて、血走った目で部屋の中を見回す。やがて目の前に浮かぶ本を捉え、ようやく状況が飲み込めた。エイミーは長く息を吐いた。
宿舎の高い窓から朝日が差し込みはじめる。エイミーはげんなりと眉を寄せた。昨夜、カーテンを閉めるのを面倒がった自分を、今さらながら心底恨む。
「いっそ殺して……」
反射的にこぼした直後、すぐに後悔した。
その言葉に引きずられるように、嫌な記憶がよみがえった。忘れたくても忘れられない少女の顔が脳裏に浮かび、エイミーは表情を歪めた。手が目に見えて震え出す前に、どうにか自分で押さえ込んだ。
幸い、こうした動揺を押し殺すことには、嫌になるほど慣れていた。湧き上がった感情は、現れたときと同じ速さで引いていき、脳の奥底へ押し込まれていった。
のんきに目の高さまで浮かび上がってきた本は、今の失言には気づかなかったらしい。
[はいはい、おはようございます。よく眠れましたか、お寝坊さん]
「……」
エイミーは深く息を吸ってから、鉛のように重い体を無理やりベッドから引き剥がした。のろのろと洗面台へ向かい、顔に水を浴びせる。それから装飾の施された鏡に映る自分を見た。目の下には薄い隈が残り、普段は鮮やかな金髪も好き放題に跳ねている。
「顔、終わってる」
そう呟き、さらに冷たい水を顔へ叩きつける。
[ステータス画面を6時間もにらんだり、部屋で手を振り回したりするくらいなら、素直に寝ておくべきでしたね]
エイミーは鼻を鳴らし、柔らかなタオルで顔の水気を拭った。「で、ゲームシステムもどきさん。この力って、結局どう使えばいいわけ?」
[私は、あなたの能力に詳しいとは一度も言っていません。あくまで、それに関する情報へアクセスできるよう補助しただけです]
「いや、それ答えになってないでしょ……」エイミーは鏡を睨みながらぼやいた。目がしょぼしょぼする。鏡の中の自分は、髪に櫛を通すだけで力尽きそうな顔をしている。昨夜はほとんど眠れなかった。自分に備わっているらしい「運命」系の力へアクセスしようと、夜通し試していたのだ。
成果は、見事なまでにゼロだったが。
「笑える」アカデミーが用意した化粧品を手に取りながら、エイミーはぼそりと続けた。「予見者として受け入れられたのに、肝心の私は何も見えないとか……いやもう、笑うしかない」
本は洗面台の上で気だるげに浮いていた。[気負いすぎなのでは?]
「それか」歯ブラシをくわえたまま、エイミーは言った。「こういうのって、かんぜんにごしゅごー主義で、必要なときだけ都合よく発動するやつなんじゃないの」
[まず、歯磨き粉で口をいっぱいにしたまま喋らないでください。品がありません]
エイミーは洗面台に吐き出し、口をすすいでから、うんざりした顔で口元を拭った。「で、次は?」
[次に、運命魔法は希少で扱いの難しい術です。あなたはこの分野に関して完全な初心者ですから、たとえ能力そのものが強力でも、使いこなすには相応の努力が必要になります]
「はいはい、助かる情報どうも……」エイミーは鏡から目をそらし、長く息を吐いた。「授業まであとどれくらい?」
[20分です]
エイミーの動きが止まった。目が一気に覚める。「20分――!?」
[はい、20分です。できるだけ長く眠らせてほしいと頼んだのは、あなたですよ]
「やばい、詰んだ。完全に遅刻する!!」彼女はクローゼットを勢いよく開け放ち、アカデミー指定の制服を引っ張り出した。襟の高い濃紺のコート。袖口を縁取る金の刺繍。そして、腹が立つほど多いボタン。
「あーもう! 入学式の日にいきなり授業始める学校がどこにあるの!?」
[普通はありませんね。クラスSの1年生だけです]
「ふざけんな……」小声で悪態をつきながら、エイミーは制服と格闘した。片足で跳ねながら、もう片方の足をブーツにねじ込む。「……このままだと遅刻確定なんだけど」
部屋の隅の時計を見る。制服を見る。もう一度、時計を見る。もう一度、制服を見る。そして――
「……ねえ、あんたさ」
[はい?]
少しためらってから、エイミーは本へ向き直り、精いっぱいのお願い顔を作った。「制服、着せてくれない?」
[お断りします]
期待に満ちていた表情が、一瞬で崩れた。「即答!? なんでよ。いいじゃん、別に減るもんじゃないんだし」
[忘れているようですが]本は彼女の顔へ近づきながら言った。[昨日、あなたのために服を用意したのが最後の手助けだと、私ははっきり申し上げました]
「……うん。でもそれ、昨日の話でしょ」
[理屈が通っていません]
エイミーは大げさにうなり、天を仰いだ。「お願いー。私のこと手伝うの、なんだかんだ言って嫌いじゃないでしょ?」
[同意はしかねます]
「うわ、そう来るんだ」彼女は腕を組み、本を睨む。「昨日からいろいろあったでしょ。私たち、友達だと思ってたのに」
[……]
本は長いあいだ黙り込んだ。エイミーは片足からもう片足へ重心を移し、急に居心地が悪くなった。
「なに? なんで急に黙るの?」エイミーは頭を掻きながら尋ねた。
[私たちは……友達なのですか?]返ってきたのは、感情の欠片もない機械的な声だった。
場の空気が一変し、エイミーは面食らった。答えようと口を開いたものの、言葉が出ずに閉じた。眉を寄せ、思っていた以上に真剣にその問いを考えた。
「え、っと……わかんない」結局、出てきたのはそんな曖昧な答えだった。エイミーはまだ頭を掻いたまま、気まずそうに続ける。「友達とか、ほとんどいたことないし……」
彼女は足元へ目を落とし、それから宙に浮く本を見た。「……たぶん?」なんとか、それだけを絞り出した。「昨日会ったばっかりだけど、でも……」
そこで言葉が喉につかえ、再び沈黙が落ちた。数秒――いや、もっと長くも感じられる間が続き、エイミーは自分が何かまずいことを言ったのではないかと不安になった。そのとき、何の前触れもなく、本が柔らかく温かな黄金の光を放ちはじめた。
その光がエイミーを包み込み、まだ慣れない魔法の感覚が肌をすべる。エイミーは息を呑んだ。光が消え、視線を落とすと、アカデミーの制服を完璧に身につけていた。ボタンはすべて留まり、皺ひとつない。頼んでもいなかった革の肩掛け鞄まである。
「あー……ありがと」なぜか頬が熱くなり、エイミーは本と目を合わせないようにしながら、ぴったり体に合った制服の布地を撫でた。
[急いだほうがいいですよ]本の声は、いつもの事務的な調子に戻っていた。[今出なければ、入学式に遅れます]
「うん、わかってる」
エイミーは軽く咳払いをした。それから小さな鏡の前で足を止め、自分の姿を確認する。寝不足にもかかわらず、相変わらず不気味なほど整っていた。肌は綺麗で、血走っているはずの目まで不自然なくらい澄んで見える。制服は、まるで彼女のために仕立てられたように体に合っていた。疲れきっているのに、ファンタジー小説の表紙にいてもおかしくない見た目だ。
「やっぱり、おかしい」不意にエイミーが言った。
[何がです? また自分の外見が気に入りませんか?]
「そこじゃなくて。この力のこと。発動条件が読めなさすぎる。私が能力らしいものを使えたのって、あの試験のときだけでしょ。しかもあれも、自分で操ったっていうより……勝手に発動したって感じだったし」
[では、どうするつもりです?]
エイミーは少し考え込んでから、本へ顔を向けた。「まだ完全に理解できてなくても、自分で制御できて、一定の法則で働く能力を持っているように見せられれば、それで十分だよね?」
[訓練と並行するなら、そうでしょう]
「じゃあ、方針は決まり」エイミーは小さな革鞄と、アカデミーの身分証を手に取った。「筋の通る制限を作って、できることとできないことをはっきりさせる。そうすれば、予測を外しても『能力の限界です』で通せる。ただの無能だと思われるよりは、ずっとまし」
[賢明です。ただ、一つ忠告を。読者好感度に見合わないほど能力の制限が甘い場合、私はその能力をナーフしなければなりません。女神が私に残した役割と権能のひとつです。そうしなければ、物語の均衡が損なわれかねませんから]
「ナーフって、どのくらい……?」
[あなたが想定する制限次第です]
「んー、そこはまだ考え中」エイミーは鏡で最後にもう一度、身だしなみを確認した。「でも、たとえば……目的に至る大まかな運命の道筋が見えて、それを辿ることはできる。ただ、途中で何が起きるのか、細かい経緯までは正確にわからない、とか」
[悪くありません。クロウと茶館で出会った件や、兆しを待っていた件にも説明がつきます]
エイミーは顔をしかめた。「今ので、私たちに関するコメント欄の流れを思い出した」 鞄を肩にかけながら続ける。「もうひとつ対処しなきゃいけないことがある。これ以上、変なラブコメ展開に転がらないようにすること。私は世界を救いに来たのであって、ハーレムに巻き込まれに来たわけじゃない」
[健闘を祈ります。作者は、あなた方二人をくっつける気満々に見えましたが]
「作者の都合なんか知ったことか」エイミーはそう呟き、そのまま寮室を出た。




