Ch4- Crowamy./クロウ×エイミー(1)
エイミーは、新しくあてがわれた寮室のふかふかのソファに崩れ落ちた。今日一日、あまりにいろいろありすぎて、もう脚に力が入らなかった。
部屋は想像していたよりずっと豪華だった。広々とした室内には、磨き上げられた木製家具と天蓋付きのベッドが品よく収まり、背の高い窓からはアカデミーの広大な敷地が見渡せる。ガス灯が室内を暖かく照らし、壁に埋め込まれたいくつもの魔法結晶からは、淡い青の光がこぼれていた。
「……まさか、本当にうまくいくなんて」
エイミーはクッションに深く沈み込みながら、ぼそりと呟いた。
「ていうかあの女神、私の身元まで用意してくれてたんだ……」
本は彼女の前でのんびり浮かび、どこか面白がるようにページをかさりと鳴らした。
[女神を何だと思っているのです? 当然でしょう。何しろ、寛大な神ですから]
エイミーは小さく鼻を鳴らした。「寛大? 私をいきなりフィクションの世界に放り込んで、しかも2時間しか猶予をくれないまま世界最高峰のアカデミーへ入れって言ってきた相手が? 悪いけど、そんな神様に期待しろってほうが無理でしょ」
[タイミングが少々……ギリギリだったことは認めます。ですが、結果的にうまくいったでしょう?]
「ギリギリなんてもんじゃないでしょ……本当に受かったなんて、まだ信じられない」
エイミーは髪をかき上げながら、うんざりしたようにこぼした。「そのうえ、架空のプロフィールを丸ごと作ってたんでしょ。出生証明書とか、学歴とか、推薦状とか……そういうの全部」
[ただし、油断は禁物です。念入りに調べられたら、矛盾が見つかります。細部の詰めは……お世辞にも万全とは言えませんから]
エイミーは顔をしかめた。「分かってる。書類上の私は、有名な隠遁魔術師に教わったことになってるけど、その人、実在すらしてないんでしょ。出身も『地図にもろくに載らない辺境の村』ってことになってるし。……隠す気あるのかな、これ」
[余計な注目さえ集めなければ、それで十分です]
その言葉に、エイミーは半眼になった。「そうだねー。素性の知れない予見者が、いきなりクラスSに入っても、まさか注目なんて集めないよねー」
彼女はため息をつき、装飾の凝った天井を見上げた。「私が詐欺師だってバレるのも、時間の問題だわ……」
[今のあなたには本当に能力があるのですから、もう詐欺とは言い切れないのでは?]
エイミーは指を曲げ伸ばししながら、身体の奥を巡る未知の力を感じ取った。試験の最中に体内を駆け抜けたあの力は、まだ消えていない。それどころか今は、体の奥に根を下ろしたみたいに、少しずつ馴染み始めている。
「まあ、確かに」
エイミーはしばらく、細やかな天井画を見上げたまま、この世界へ来てから起きたことを頭の中で整理し始めた。一日も経たないうちに、ただの人間だった自分は、魔法の力を持つ架空のキャラクターになり、ファンタジー世界のアカデミーに入学し、今や城の客室みたいな部屋で過ごしている。
「……今日一日、何もかもめちゃくちゃ」
彼女は小声でこぼした。
[元の世界に帰れない現実に取り乱すなら、今が頃合いでしょうか]
エイミーは乾いた笑いを漏らした。「もっと取り乱してもいいはずなんだろうけど、今はそんな気力も残ってない」
彼女はゆっくり息を吐き、窓の外に広がるアカデミーの敷地へ目をやった。この世界を救うとなれば、自分はこの先何年もここで過ごすことになる――その事実に、ようやく実感が追いついてきた。
「帰りたい」
こぼれた声は、ほとんど囁きに近かった。
本は、彼女の言葉を考えるように宙で傾いた。
[エイミー。地球では、どんな暮らしをしていたのですか?]
エイミーは眉を上げた。「なんで急にそんなこと聞くの?」
[私は、インターネットを通して得た情報でしか地球人を知りませんから。正直なところ、地球人がこの世界の住人とそこまで違うとも思えないのです]
それを聞いて、彼女は短く笑った。「まあ、だいたい似てるかも。ただ、あんたがネットの何を見て地球を知ったのかは知らないけど、私の現実は、動画で見かけるような派手なものよりずっと退屈だったよ」
エイミーは膝に顎を乗せた。「私にとってはね」
本がすっと距離を詰め、ページを小さく揺らした。
[どうしてですか?]
「さあね。別に、向こうでうまくいってたことなんて何もないし」
エイミーは少し口ごもり、言葉を探した。「友達もいなかった。……少なくとも、もういない。家族だって、私がいないほうが楽なんじゃないかな。向こうに私を引き留めるものなんて、別に何もないし」
[それなら、なぜ帰りたいのです?]
エイミーは口を開いた。けれど、答えは出てこなかった。頭に浮かんだのは、狭い自室。代わり映えのしないまま溶け合っていく長い日々。そして、生活の中にずっと居座っていた冷たい沈黙だった。あそこへ戻ることを想像すると――。
彼女は肩をすくめた。
本はエイミーをじっと見ているようだった。実際に目があるわけではないが、そんな気配がした。やがて話題を変えることにしたのか、こう尋ねてくる。
[ところで、次の話を読みますか? それとも、また後で――]
「あ、そうだ! やば、すっかり忘れてた」
エイミーは疲れも忘れて、勢いよく身を起こした。
「みんなが何言ってるか見なきゃ。あ、私ちゃんと可愛く描かれてる?」
[接続しますので、少々お待ちください]
「接続……? 何それ、あんた魔法のWi-Fiルーターか何かなの?」
[その雑な例えで通じるのなら、そういうことで構いません]
本のページがぱらぱらとめくれ出し、背表紙に刻まれたルーン文字が柔らかな金色に灯った。ページはエイミーの目では追いきれない速さでめくれ続け、やがて真っ白な見開きでぴたりと止まる。
[接続完了]
いつもより少し機械的な思念の声で、本が告げた。




