53話 テオスゲージ
「まずはここがどこか判断しねぇと」
見渡す限りの緑が広がる草原。ここが空中神殿の真下なのか、はたまた全く見知らぬ異郷なのか……。神眼の能力は失われたとはいえ、かつて世界全土を完璧に把握していたエリアノスなら、この地理的特徴から場所を特定できるはずだ。
「ここはバルクセントリア公国の辺境だ。テオスゲージまでは、馬車が使えれば半年ほどで行けよう」
「ここから半年……。敵が次々と動いている以上、そんな悠長な時間があって間に合うかどうか……」
シドが痛む腹をさすりながら不吉な顔をする。
「シド先生、少し値段は張りますが……ここは『コドラ』を使いましょう。コドラの引き馬車なら、夜通し休みなく走り続けられます」
ライトの提案を採用し、俺たちは近くの宿場町で手持ちの資金を叩いて竜馬コドラを手配した。そうして、魔大陸テオスゲージへと向かう過酷で長い旅が始まった。
――ガタゴトと、コドラが激しく揺らす馬車の荷台。
風が吹き抜ける中、アストは静かに外の景色を眺めていた。
「なぁ、シドよ……私はフィナが生きていると信じている」
「急になんだよ。俺だってそう思いたいさ。だが、感情論だけで物事は片付かない」
「シド……アルマフィエルについての特性は知っているだろう。あの子の身体がどうなろうと、『フィナ』という意識そのものは、アルマフィエルの共有意識の中に今も残り続けているのではないか……とな」
「……なら、残されたアルマフィエルの別個体を探し出せば、そこからフィナの意識を引き出せるかもしれないってことか?」
「無駄だ……」
座席の隅で膝を抱えていたエリアノスが、冷ややかな視線を向けて割り込んできた。
「考えたくはないが、旅人の手によって……すでに唯一のアルマフィエルの生存地だったあの村は消滅した。今、この世界に生存しているアルマフィエルは一匹も残っていない」
「なるほどな……。ある意味、旅人はあの惨劇一度で、技極を2人もまとめて殺したわけか」
絶望的な事実を前にシドが吐き捨てるように呟く。しかし、アストは静かに首を振った。
「いや……方法はある。かつて崩壊したバジャー帝国が秘匿していたとされる『大魔術アルマフィエル』の原本……それさえ手に入れば、魔術を行使し、ネットワークへ接続できる」
アストは長年培ってきた古の魔法の知見を、惜しみなく口にした。
フィナを取り戻すための、小さくも決定的な希望の光。
その時――ずっと黙って話を聞いていたライトが、静かに口を開いた。
「アストさん……あなたは、これから向かう『テオスゲージ』が本当はどんな場所なのか……知っていますか?」
その言葉に、馬車の中の空間がピタリと静まり返った。
そうだ……思い出した。テオスゲージ――あの場所の成り立ちを、アストが知る由もない。知るはずがなかったのだ。
「……私の時代、私が封印される前には存在していなかった。その『テオスゲージ』と呼ばれる場所はな」
アストが怪訝そうに耳をそばだてる。
「そうですね……。テオスゲージは――『原初のアストノスト』、あなたの魔術によって出来てしまった、言わば世界の汚染地域なんです」
ライトの静かな言葉に、アストの身体が強張った。
「私の……魔術で……?」
「はい。魔人戦争を強制的に終わらせた、あの終結の魔術です」
ライトは淡々と、だが重々しく事実を紡いでいく。
「あなたがかつて世界を救うために解き放った超広域の謎の魔術――その巨大すぎる魔力と因果の歪みが、クレーターを作りそこに魔力が溜まり続けた結果、大陸そのものを侵食・変質させてしまった……それが『魔大陸テオスゲージ』です。生命を拒絶する異界であり、今では魔人たちの巣窟となっている」
「なぜこの話をしたか……それはアルマフィエルについてです。テオスゲージのエリア内には、かつてバジャー帝国も存在していました。……今は跡形も残っていませんが」
「つまり、魔術書はもうすでに……」
「はい。帝国の崩壊、そして魔術による大地の変質と共に、跡形もなく消えてしまったかと」
ライトの残酷な告知に、車内に重苦しい沈黙が落ちた。
フィナを取り戻すための数少ない希望だった「大魔術アルマフィエル」の原本。それが存在したはずの帝国ごと、アスト自身の過去の魔術によって消滅していたという皮肉。
「……ハッ、冗談だろ」
短く吐き捨て、頭を抱え込む。
「じゃあ何か? フィナを助ける手立てすら、最初から失われてたってことかよ……!」
「……いいえ、先生、完全に途絶えたわけではありません」
ライトが静かに、しかし力強い眼差しで仲間たちを見渡した。
「リリスでは魔術書は結界内に厳重に保管されています。国が独占していたアルマフィエルも同様に結界内にあったと考えられる。リリスダンデとハルハダンデの2人が回収していてもおかしくはありません」
「でも、それもただの推論に……」
「すぎません。しかし……可能性を持つことにマイナスは無い。どちらにしろここで推論しても、技極の2人に会わない限り答えは出ない」
「ライト、俺はいつも最悪を想定して動けと言っているだろ!」
怒声を張り上げる俺の目を、ライトは少しも逸らすことはなかった。まっすぐに見つめ返してくるその瞳には、曇り一つ存在しない。
「先生……僕はいつも、自分の中の最高を考えて動いています。最悪を考えて動くのは、初めから後手で始まるのと同じです」
「なら、全てがうまくいかない時、お前はどうするつもりだ!」
「その時は――僕ら最高の結果になるまで、何度でも足掻き続けるだけです」
ライトの迷いのない即答に、俺は一瞬息を詰まらせた。
いつのまにか、頼りなく俺の背中を追っていただけの少年は、自分の足でしっかりと地を踏みしめていた。
「ハッ……言うようになったじゃねぇか、クソガキが」
俺は悪態をつきながら、頭をガリガリと掻いた。
「いい度胸だ。……いいか、ライト。その代わり、途中で諦めることだけは絶対に許さねぇからな」
「はい! もちろんです!」
馬車の片隅でやり取りを聞いていたエリアノスが、小さく鼻で笑った。
「威勢がいいね。……でも、ライトの言った推論はあながち間違いじゃないよ」
「……どういうことだ、エリアノス?」
アストが身を乗り出す。
「魔人ハルハダンデとリリスダンデの二人は、知識と魔術の収集癖が異常に強い。バジャー帝国が滅んだ際、帝国の崩壊を誰よりも早く察知してその遺産を根こそぎ強奪した痕跡が、僕の過去の観測データにも残っている。あの『アルマフィエル』の原本も、彼らの手元――テオスゲージの深淵にある結界庫に保管されている可能性は極めて高い」
「……決まりだな」
俺は腹の傷を固く押さえ直し、闇を見据えた。
「目的地は魔大陸テオスゲージ。技極の魔人二人からアルマフィエルの魔術書を奪い取る。そしてフィナを救い出し、裏で糸を引く『旅人』の計画を全部ぶち壊す」
「あぁ。私たちが諦めない限り、物語はここで終わりはしない」
アストも己の小さく震えていた前足を力強く踏み締め、毅然と言い放った。
揺れる馬車の中、一行の心は一つに重なる。
夜の闇を切り裂き、コドラの蹄の音が激しく響き渡る。
因果の原点であり、最悪の激戦地となるであろう『魔大陸テオスゲージ』へ向けて、馬車はひたすらに突き進んでいった。




