46話 力は紡がれる
「俺の作戦はこうだ……ライト、お前ならゼニス・オーダーを動かせる。フィナの実力とゼニス・オーダーが手を取り合うことができれば、エリアノスの首に確実に一歩近づける」
俺の言葉を、ライトは噛み締めるように静かに聞いていた。やがて、彼は深く息を吐き出し、眼鏡の奥の瞳にいつもの理知的な光を取り戻す。
「先生をここまで焚き付けたその二人が何者なのか、正直もの凄く気になりますが……それが先生の最後の願いなら、僕のやるべきことはただ一つです」
「あぁ。それでいい」
俺が頷くと、ライトの口元が、かつて研究室で難問を解き明かした時と同じように少しだけ緩んだ。そして、彼は手元の書類を叩きつけるようにして、勢いよく立ち上がった。
「――判決を言い渡そう。本来であれば司法の場に諮るべきところだが、本件は国家最高機密に属する極秘案件だ。シド・グノース。貴様を禁書の窃盗、および不法行使の罪で終身刑に処するところだったが……」
ライトは書類を厳かに掲げ、冷徹な声で尋問室に響かせる。
「リリスを襲撃した未確認魔導士の脅威から、自らの実力で見事国を救ってみせた功績と折半し――」
「……功績?」
思わず聞き返した。ヘンリー団長が手柄を横取りしたはずじゃなかったのか。俺の困惑を無視して、ライトは一気に言い放つ。
「――貴様を、本日付で『国外追放』処分とする!」
「国外……追放……!? おい、待てライト! 国家反逆罪だぞ!? そんな甘い判決、上層部やヘンリーのジジイが納得するわけが――」
驚いて身を乗り出す俺に、ライトはふっと意地の悪い笑みを向けた。
「忘れたんですか? あなたはろくでもない禁書を使いこなす危険な魔法使いだ。そんな爆弾を国内に留めて監視し続けるほうが、我が国にとっては実害なんですよ。だから、今すぐこの国から叩き出す。……もちろん、手荷と一緒に、ね」
「手荷物……?」
「僕に託す必要なんてない、自分のその手で導いてやってくださいよ」
その頃、地下独房のエリアでは――。
フィナとアストは、ゼニス・オーダーの魔導士の一人に先導され、暗い廊下を歩いていた。
「あなたは……私にあの炎の魔術を放った……」
私は、長い前髪で目を隠したその男の背中に声をかけた。アストは私の肩の上で、警戒を怠らずに男をじっと見つめている。
「私はゼニス・オーダーが一、ユーズ」
男は振り返ることもなく、淡々とした声で応じた。
「貴様ら二人の無罪が確認されたため、釈放となった。……不本意な形での拘束となったが、リリスの街を守ってくれたことには感謝する」
「あの……シドは? シドはどうなるんですか?」
私が縋るように問い詰めると、ユーズの背中が一瞬だけ硬くなった。
「……奴の判決はまだ決まっていない。元教授とはいえ、禁書の窃盗は重罪だ」
「そう……ですか」
私は拳を握りしめ、視線を落とした。シドのやつ、やっぱり自分一人で全部背負い込むつもりなんだ。
すると、ユーズは廊下の途中でくるりと反転し、私たちの方を向いて足を止めた。重い前髪の隙間から、鋭い眼光がのぞく。
「……君たちは、奴に未来を託したのだろう? なら、信じてやったらどうだ。あの男がただで rational(合理的)な道を手放すとは思えん」
「え……?」
「それより、君ら二人にはこれより調査の協力を頼みたい。リリスを襲った謎の魔法使い――『タクト』の尋問に同席してもらう。奴の術式を直接肌で受け、破ったのは君たちだ。その経験に基づく証言が必要だ」
ユーズの言葉に、肩の上のアストがフンと鼻を鳴らした。
重々しい鉄のドアが、嫌な金属音を立てて開く。
冷気とカビの臭いが立ち込めるその部屋の奥を目にした瞬間、私は息を呑んだ。
「これ……は……」
そこにいたタクトの姿は、悲惨というほかなかった。
両手両足、そして胴体にまで、まるでガラスでできたかのような透明な鎖がどこからともなく生え、彼を壁へと強固に縛り付けている。
片方の美しい羽を失い、血に汚れたタクトは、力なくガクリと首をうなだれて気を失っていた。
「私の作り出した魔術――『チェーン・アンチマジック』。繋がれた対象の魔力を常に吸引し、底に溜め込み続ける」
ユーズが淡々と、冷徹に説明する。
……私の『黒装』で創り出す黒い鎖とよく似た魔法だ。だけど、決定的に違う。この鎖は永続系だ。私のように一瞬の爆発力で縛るのではなく、発動したら術者が解くまで消えることはなく、じわじわと標本のように対象の自由を奪い続ける。
「起きろ」
ユーズが短く言葉を発した瞬間、ガラスの鎖が生き物のようにギリギリと音を立てて締め上がった。
「……う、あ、ガ、ッ……!」
タクトの苦悶の喘ぎ声が部屋に響き、同時にその琥珀色の目が苦痛に開かれた。
焦点の定まらない目で私たちを見据え、タクトは自嘲気味に口元を歪める。
「あぁ……、貴様ら、か……。不浄の人間どもに、敗北を喫した我が姿を……笑いに来たか……」
私は、その光景を真っ直ぐ直視することができなかった。
さっきまであれほど神々しく、圧倒的な力で私たちを追い詰めた技極の刺客が、今は見る影もなく尊厳をへし折られている。いくら敵とはいえ、この容赦のない「尋問」の空気に、胸がキリキリと痛んだ。
肩の上で、アストが小さく唸る。
「……ほう、大した執念の鎖だな。だがユーズと言ったか。これでは満足に喋ることもできんのではないか?」
「問題ない。エリアノスの情報を吐き出すだけの魔力は残してある」
ユーズは冷たく言い放ち、タクトの顎を強引に持ち上げた。
「虚飾を禁ずる。真実のみを刻め――『絶対審問』」
ユーズが短く詠唱すると、冷徹な青白い魔力の粒子が空間に旋回し、タクトの脳頂へと容赦なく突き刺さった。嘘を暴き、強制的に真実を語らせる精神干渉魔術。
「……くっ、何を……私にかけた……!」
「黙れ。貴様に嘘を禁ずる魔術をかけた。……なぜリリスを襲った。それだけ答えろ」
タクトは術式に抗おうと、悶えるように口を激しく動かす。しかし、『絶対審問』の強制力には抗えず、やがて喉の奥から、絞り出すような声が漏れ出た。
「……そこの……二人がいたからだ……! 二人を、抹殺するためであって……リリスの街など、どうでもいい、関係ない……!」
「なるほど、標的はやはりこの二人か。では、その理由はな――」
「待って――」
私はユーズの手首を強く掴み、その言葉を遮った。
なぜエリアノスが私たちを狙うのか。アストの言う『神眼』の未来予知が、なぜ私のせいで狂ってしまったのか。その理由を確かめなきゃいけないのは、他の誰でもない、私自身だ。
「それは……私に質問させて」
ユーズは私の真剣な眼差しを前髪の隙間からじっと見つめていたが、やがて何も言わずに静かに一歩下がり、私をタクトの正面へと招き入れた。
私は一歩、ガラスの鎖に縛られた天使へと近づく。
「タクト。……教えて。どうしてエリアノスは私を『神災』と呼び、私の命を狙うの? 私のせいで狂ったっていう、その未来には一体何が映っているの?」
『絶対審問』の光に照らされたタクトの瞳が、私の問いに激しく拒絶の色を示しながらも、術式によって強制的に開き始める。彼の喉が不気味に震え、真実の言葉が紡ぎ出されようとしていた。
「なら貴様は、なぜ今ここにいる?」
タクトの喉から、呪詛のような、けれど紛れもない『真実』の響きを持った声が漏れ出た。
「――え?」
「貴様はなぜ旅に出た? ……あの村で子に恵まれ、畑を耕し、村長の夫人となり、村をまわして、今度は孫に恵まれ……。平穏に、何事もなくその生涯を閉じる。それが、神眼の映し出したお前の未来だ。お前は、そんなところで燻っているはずの人間だったのだ!」
タクトの言葉が、冷たい尋問室に突き刺さる。
村長の夫人? 畑を耕し、孫に恵まれる?
それは、あまりにもありふれた、けれど私が選ぶはずのなかった、もう一つの「私の人生」の姿。
「なら、なんで……なんで今更、私の命を狙うの? 私はただ、自分の意志で外の世界へ出ただけなのに!」
「エリアノス様も、世界のすべての羽虫の営みを一分一秒見ているわけではない! 貴様が『龍の谷』を壊したその瞬間、神眼の未来予測に、巨大なノイズとしてその存在が認識されたのだ!」
タクトの瞳に、恐怖と狂信の混じった光が爆ぜる。
「未来が見える眼にとって、予測できる災害などないに等しい。……にも関わらず、貴様という存在は、確定していたはずの未来の線を、その手で跡形もなく叩き壊して歩んでいる! だからこそ、エリアノス様は貴様を、世界を狂わせるバグ――『神災フィナ』と名付けたのだ!!」
激昂するタクトの言葉に、尋問室が静まり返る。
隣で聞いていたユーズが息を呑み、私の肩の上でアストが鋭く目を細めた。
私が龍の谷を壊したこと。それが、エリアノスの完璧な未来予知を狂わせる引き金だった。私という存在そのものが、彼らの言う「正しい歴史」にとっての災害。
「私は……ただ、自分の生きたい道を……」
「それが間違いだと言っているんだ!! 貴様が選択を変えるたびに、世界は本来の姿から遠ざかっていく! 貴様は生きていてはならない存在なのだ……!」
「それは……エリアノスの、個人の事情でしょ」
私の静かな声が、タクトの絶叫を遮った。
「なんだとぉ……! 貴様如きが、エリアノス様の至高の理を……!」
「私は!! ――未来なんて最初から知らない! 狂おうがどうなろうが、私はそのどちらの人生だって見たこともないの。だから、自分たちの都合で勝手に私の生き方を罪にするなんて、ただの傲慢だ。あんたがその傲慢を突き通すって言うなら……私は、私の選んだ道を歩く!」
タクトの狂信的な怒りに怯むことなく、私は一歩、さらに前に出た。ガラスの鎖の冷気が肌を刺すのも構わず、その顔にぐっと近づいて真っ直ぐに睨みつける。
「今のあんたは、嘘をつけなくて、なんでも喋っちゃうんでしょ。なら、教えてよ。――『空中神殿』は、どこにある?」
『絶対審問』の魔術の光が、私の問いに反応してタクトの瞳の奥で一層激しく明滅する。
タクトは奥歯をガチガチと鳴らし、自らの意志で口を閉ざそうと血がにじむほど唇を噛み切った。しかし、精神を縛る術式は無慈悲に彼の顎をこじ開けていく。
「く、あ、あああ……っ! 聖なる、領域を……不浄の、者に……!」
苦悶の呻きとともに、タクトの喉から拒絶の言葉混じりに、強制された「真実」が漏れ出し始める。
「場所は……………」
―――はずだった。
「はーい終わり終わり……」
何もないところから、どこからともなく軽薄な声が聞こえた。
刹那、タクトの前の空気が渦のようにぐにゃりと歪み始める。その歪みの中心から、一人の影が姿を現した。
見ればすぐに天使族だとわかる、大きな片翼を持つ緑髪の少年。しかしその幼い容姿とは裏腹に、その両の瞳には、世界のすべてを見透かすような冷酷な金色の眼が宿っていた。
「エリアノス様!」
囚われていたタクトが、狂信と歓喜に満ちた声を上げる。
――こいつが、技極九席……『神録』のエリアノス。
「はーい、タクト……一回黙ろうか」
エリアノスが退屈そうに指をパチンと鳴らした瞬間、タクトの身体は空間の歪みにあっさりと飲み込まれ、その場から完全に消滅した。
「殺したの!?」
私は咄嗟に叫び、黒装の魔力を身にまとって身構えた。
「いーや、神殿に送り戻しただけさ。それより神災フィナ……お前を私の神殿に招待しよう」
少年のような笑みを浮かべるエリアノスを、私は真っ直ぐに見据える。
「私は……最初からあなたと敵対する気なんてない。ただ、自分の知りたいことを聞きに行くだけだ」
「知ってるさ……。君が私を傲慢だというが、果たして君はどうだろうか。私が、代価もなしにすべてを教えると? それこそ傲慢極まりない」
「代価なら、必ず払う」
私が毅然と言い放つと、エリアノスはくすくすと不気味に笑い、その金色の瞳を歪ませた。
「そうかぁぁ……。そうだなぁ、なら……私のために死んでくれ、神災フィナ。ここじゃぁ邪魔が多いからな。これ以上、未来が大きくずれかねない。だから招待してるのさ、空中神殿に」
エリアノスが手を広げると、尋問室の床一面に、見たこともないほど巨大で複雑な神聖術式の魔法陣が浮かび上がった。リリス最強の部隊であるゼニス・オーダーの結界すら、奴の権能の前ではまるで意味をなしていない。
「フィナ、離れろっ!」
後ろからシドが乱入し叫びぶ、ライトとユーズが同時に杖を構えるのが見えた。
しかし、エリアノスの放つ金色の光が、一瞬にして私とアストの足元を包み込んでいく。
「お前が選んだその『道』の終着点を見せてあげるよ。……おいで、私の箱庭へ」
視界が真っ白な光に染まり、重力が消失する。
私たちは、リリスの最深部から、遥か上空の神の領域へと強制的に引き上げられようとしていた。




