43話 足掻き
フィールドは時間経過で魔力をゴリゴリ削っていく。なら、常時展開なんて愚策だ。発動は一瞬、範囲は最小限。その瞬間に生まれた「静寂の隙間」に、俺のすべてをねじ込む。
「踏みしめよ虚空。風よ、道となれ ――『エアライド』!」
そして、杖にストックした『高速移動』と、防御の『フィールド』。
三つの術式の同時並行処理。脳が焼けるような熱を帯び、視界の端で火花が散る。
漆黒の球体と化した俺は、死の旋律が荒れ狂う嵐の中を、弾丸のような速度で潜り抜けていく。
『暗視』を捨てた今の俺に、外の風景は見えない。暗闇の中、ただ「音」の粒子だけが、魔力の肌をチリチリと刺してくる。
――ドンッ。
音がした瞬間、フィールドを弾くように展開し、直後に解除。魔力消費を極限まで抑え、慣性だけで次の一歩を踏み出す。
死線を、音符の隙間を、一拍の休符を。
それらすべてを「踏み台」にして、俺は再びタクトと同じ高度へと舞い戻った。
「……いい戦い方をする。私の協奏曲を、力技ではなく理論で完封するとは。……では、これならどうかな?」
タクトが不敵に口角を上げた。その瞬間、周囲を漂っていた無数の楽器と石膏像が、砂のように崩れて姿を消す。
大がかりな「合奏」を捨て、奴は人差し指一本を俺に向けた。
「単音――『ラ』」
「……っ、速い!?」
クソッ! 咄嗟にフィールドを展開し、視界が再び暗転する。
――だが、おかしい。
単音。ただの短い音が聞こえただけで、音波の衝撃も、神経を焼くような苦痛もやってこない。一体、何を仕掛けて――。
刹那、右肩に、鋭く、そして凍てつくような衝撃が走った。
「……ガ、ッ……!?」
冷たい。これは氷だ。おそらく氷塊魔術。
そうか……『単音』は術式の構成が単純な分、極限まで速射に特化している。そしてそれは音波の攻撃じゃない。音を「引き金」にした、物理的な魔術弾だ。
フィールドの「波長を逸らす」力じゃ、実体を持った物理攻撃は防ぎきれない……!
「一音、一殺。……次は心臓だ」
タクトの指先が、次の音を刻もうと跳ねる。
肩を貫かれ、空中でバランスを崩した俺に、次を避ける術はない。
ここに来て『暗視』を捨てた代償が重くのしかかる。視界は閉ざされ、肩を貫く氷の冷たさが思考を鈍らせる。どうにかして奴の「音」を封じなければ、このままなぶり殺しだ。
「単音――『ラ・ミ・ソ』」
タクトの声が三度響く。
「……っ!」
俺は反射的に『高速移動』を吹かし、空中で身を翻す。単音による物理魔術弾なら、波長をずらす『フィールド』は不要だ。弾道を「音」で読み、紙一重で回避に徹する。
考えろ。なぜ、最初の真空盾は破られた?
音階魔法の真髄は、音という「鍵」で魔術を起動させることにある。一度音が鳴り、術式が紐付けられた以上、その後に音を消しても事象は止まらない。
なら――「音が鳴る前」に、その大本を断てばいい。
俺は折れそうな右肩の痛みを無視し、杖を限界まで握りしめた。
「『フィールド』……『高速移動』!」
再び漆黒の殻にこもり、音の弾幕を強引に突破しながらタクトへと肉薄する。
「無駄なことを。見えなければ避けられぬと言ったはずだ。
単音――『――』」
タクトがとどめの一音を紡ごうと、唇を動かした。
「……おせぇんだよ! ――『真空盾』!!」
高速移動の最中に編み上げていた術式を、俺は自分ではなく、タクトの周囲に展開した。
狙うのは防御じゃない。タクト、お前を「無音の檻」に閉じ込めることだ。
「…………ッ!?」
タクトの口が動く。だが、そこから「音」は一欠片も漏れ出さない。
真空の中では、空気の震えは伝わらない。伝わらない音に、魔術は宿らない。
「……どうした? 声が聞こえねぇぞ、天才さんよ」
俺はフィールドを解除し、暗闇からタクトの眼前に躍り出た。
驚愕に目を見開くタクト。音階魔法の使い手にとって、沈黙こそが最大の地獄だ。
「音そのものを奪われたお前に……もう、魔法は紡げねぇ」
俺は震える手で、杖の先端をタクトの喉元へと突きつけた。
真空の檻の中、奴の驚愕に染まった顔が目の前にある。勝った。この一撃で、すべてを終わらせる。
「これで終わりにしようや……。貫け、紫電! ――『雷…………』」
だが、言葉が途切れた。
喉の奥から絞り出そうとした魔力の奔流が、一滴も残らず枯れ果てていることに気づく。指先から力が抜け、愛用の杖が重力に従ってガクリと下がった。
――魔力切れ(ガス欠)だ。
無理もない。高度魔術の同時展開、フィールドの維持、そして真空の檻。理論を詰め込みすぎたコンボに執着するあまり、俺は自分の「器」の限界を計算に入れていなかった。
カラン、と虚しい音を立てて真空の盾が崩壊し、街に夜の空気が流れ込む。
「……ここまで、か」
「シド、と言ったな。……魔法を捨てた卑俗な男かと思っていたが、私をここまで追い詰めたその執念、尊敬に値する」
タクトが静かに、冷徹に指を立てた。真空から解放された奴の声が、勝利を確信した死の旋律を奏でようとする。
「せめて最後は、苦痛のない一音で送ってやろう。……単音――」
刹那。
タクトの真横の空気が、不自然に歪んだ。
虚空が波打ち、あたかも空気が「人の形」を選び取ったかのように、急速に実体を持って姿を変えていく。
「不定形――『変化』!!」
黒い魔力が爆発的に膨れ上がり、そこから飛び出したのは、ずっと「影」に徹していたはずのフィナだった。
私の『黒装』による不可視の跳躍と、シドが作った「一瞬の隙」。
シドを担いでいた時に、彼が私に託した『変化』の魔力が、この瞬間のために温存されていた。
「――逃がさない!」
月光を反射して煌めいたフィナの剣が、回避不能の間合いで一閃される。
鈍い音と共に、タクトの象徴であった純白の巨大な翼が、根本から無惨に切り裂かれた。
「…………なっ!?」
悲鳴すら上げられず、翼を失った天使の使いが、夜の底へと真っ逆さまに墜落していった。




