44話 勘違い
「シド! 大丈夫!?」
私は力なく空中に投げ出されそうになったシドの体を、間一髪で抱きとめた。身体強化の熱を帯びた私の腕の中で、シドは滝のような汗を流し、肩で荒い息をついている。
「悪いな、フィナ……。まださっきの毒が回ってやがるみたいだ。……それより、早く……タクトを……逃がすな……」
シドの声は掠れていたが、その瞳にはまだ鋭い光が宿っている。私は深く頷き、彼をしっかりと腕に抱えたまま、ゆっくりと管理局の広場へと舞い降りた。
石畳の上には、片方の翼を無惨に切り裂かれ、落下の衝撃で四肢を投げ出したタクトが這いつくばっていた。かつての神々しいまでの威厳は消え失せ、純白の羽根が血に汚れ、夜風に虚しく舞っている。
「ク……ソ、が……。なぜだ、なぜ私のような高潔な種族が、このような……不浄な者たちに……」
タクトが苦悶に顔を歪め、地面を爪が剥がれんばかりに掻き毟る。
「何がクソだ。貴様はただ負けた、それだけのことだ。しかも、私の自慢の弟子たちにな」
アストが私の肩から飛び降り、タクトの目の前で一歩踏み出した。その黄金の瞳には、かつての「第一席」としての圧倒的な威圧感が宿っている。
「さて、詳しい事情を話してもらおうか。私たちは何も知らぬまま、お前の独りよがりな聖歌で殺されかけたのだ。代償は高くつくぞ」
アストの言葉に、タクトは血の混じった笑みを漏らした。
「……話したところで、何が変わる。エリアノス様は……歴史の不純物を許さない。私はただの先遣隊に過ぎん……。まもなく、このリリスの街は、本物の『静寂』に包まれることになる……」
「そこが間違いだと言っているんだ。エリアノスの『神眼』が狂うなんてことは、死んでも考えられない」
アストノストは冷徹なまでの冷静さで、さらに距離を詰めた。
「だがアストノストよ……事実はどうだ? 世界は今、その神眼が映し出す景色とは全く別の道を歩んでいる。そしてその変異の全てに、『神災』フィナが関わっているんだ。それに……アストノスト。お前なのだろう? エリアノス様に神眼を与えたのは、自身が作ったものが不具合を起こしていることに自身が納得していない。」
タクトの問いかけに、私は息を呑んだ。隣で肩を貸していたシドも、驚愕に目を見開いている。
「え……? エリアノスに神眼を……? アストが?」
「……あぁ。この御方はかつての昔、羽もなく目も見えず、天使族から捨てられたエリアノス様に『神眼』を授けた。エリアノス様はその力で天使族の王にまで上り詰めたのだ。貴様こそが、今の王を創り上げた張本人ではないか!」
タクトの叫びが、静まり返った広場に響き渡る。
アストは視線を逸らさず、淡々と、けれどどこか遠くを見るような目で答えた。
「……あれは魔術の研究過程で完成した副産物に過ぎん。私は未来など知りたくもなかった。だから、光を失った子供に授けた。……それだけのことだ」
「だが! 少なくともエリアノス様は、貴様を母のように慕っていたはずだ! 貴様はそれを無碍にし、彼を捨てた! 彼だって、アストノスト、お前が関わっていなければ……もっと穏便に済ませただろうよ!」
タクトの声に、激しい怒りと、主君への同情が混じる。
アストとエリアノス。師弟どころか、親子のような絆があったというのか。そして、その絆が断たれたことが、今の「歴史の修正」という過激な行動に繋がっている……?
「……母、ね。私には過ぎた役目だったようだ」
アストの短い呟きが、夜風に消えていく。その背中は、いつになく小さく、そして重い過去を背負っているように見えた。
その時だった。
「焦熱の理、獄炎の種。その猛りをもって、慈悲なき一撃を放て。――『火球』」
鼓膜を震わせたのは、聞き覚えのない、けれど訓練された鋭い詠唱。
私たちの誰のものでもない、第三者の魔力が大気を焦がしながら膨れ上がる。
「っ、しまっ……!」
魔力が底をついたシドも、動揺を見せるアストも反応が遅れた。
この至近距離、この速度。間に合うのは――私だけだ!
「不定形――『完全防御結界』!!」
私は咄嗟に『黒装』の魔力を全開放し、シドとアストを背後に庇うようにして火球の軌道上へと躍り出た。
本来なら温存すべきだった魔力が、黒い障壁となって凝縮される。
刹那――。
視界の全てが爆炎に飲み込まれ、凄まじい衝撃と熱波が私の全身を叩いた。
「く、ぅ……っ!」
爆ぜる炎が視界を奪い、爆音に平衡感覚が狂わされる。
熱気が引き、黒煙の向こう側がようやく開けた時。
そこにあったのは、静寂ではなかった。
ガシャン、と金属が擦れ合う不気味な音。
重厚な法衣の擦れる音と、何十本もの杖が一点に収束する魔力の圧。
「動くな!! 貴様らを国家反逆罪で拘束する!」
鋭い怒声が広場に響き渡る。私は咄嗟にシドの前に出ようとしたが、彼の肩が小さく震えているのに気づいて足を止めた。
「シド……彼らは一体……!?」
「国家魔法管理局、特命執行部隊――『ゼニス・オーダー』。リリス最強の魔法部隊だ……。数も質も、そこら辺の警備兵とは格が違うぜ」
シドの声は苦渋に満ちていた。その視線の先、部隊の先頭に立つ一人の青年魔導士が、悲しげに目を伏せている。
……忘れていた。シドはもともとこのリリスの大学教授。そして、今この場にいるのは、変装の解けた「シド」本人なのだ。
「シド先輩……。戻ってきたと思えば、こんなことを仕出かすなんて……。本当に、残念です」
「ライト君……。君もそこにいるということは、店はやってないのかい? 今夜の夕飯は君の店に行こうと思っていたんだがね」
シドは精一杯の皮肉混じりの笑みを浮かべたが、ライトと呼ばれた青年は表情を一切崩さなかった。
「話は管理局についてから、じっくり聞かせてもらいます」
ライトの杖が放つ光が、私たちの足元を拘束の術式で囲い込む。
魔力を使い果たしたシド、因縁の再会に沈黙を守るアスト、そしてこれ以上の荒事を起こせば「街を襲ったテロリスト」として完全に断罪される私……。
「……わかった。抵抗はしない」
私は握りしめていた『黒装』の力を静かに解いた。




