39話 有限の命
静かな夜、岩陰を冷たく乾いた風が吹き抜ける。
「あと……どれくらいかはわからない。だが、確実に言えるのは、さっきのような『フィールド』を乱用すれば、その時間は一気に、残酷なほど減るということだ」
アストの言葉が、冷たい氷の棘のように胸に突き刺さる。
「なら……この先、旅人と会えたとしても。私の命はもう……」
再会を夢見て歩いてきた。でも、その目的地に辿り着く前に、私は燃え尽きて消えてしまうかもしれない。
アストは苦い顔を歪め、喉の奥から絞り出すように言葉を繋いだ。
「フィナ……。これより、君の魔法の使用を、禁止する」
「でも……それじゃぁ、この先どうやって……!」
「魔法さえ使わなければ、君の中に残った魔力は減らない。理屈の上では、有限の命が無限の命に置き換わるんだ。……戦いは、私がどうにかする。シドもいる。君はただ、歩くだけでいい」
私を思っての言葉だということは痛いほど伝わってくる。けれど、現実はどこまでも残酷だった。
魔法が使えない私に、何ができるというのだろう。この危険な白晶岩帯をどう抜ける? エリアノスの脅威にどう抗う? もし旅人を見つけられたとしても、守られるだけの荷物として、隣に立っていていいはずがない。
「フィナの魔力がエリアノスと接触した際、何が起こるか分からないからな。それまで、一滴たりとも無駄にはしたくないんだ」
アストの決断は、守護者として正解なのだろう。
でも、私は自分の指先を見つめた。これまで私の意志を形にしてきた、あの黒い魔力。それが私の命そのものだと知った今、掌がひどく冷たく感じられた。
その時、ガラリと壁が崩れる音が響き、私は反射的に振り向いた。
岩の陰から現れたのは、眠りこけていたはずのシドだった。
「……嫌なものを聞いたな」
「シド……」
「有限の命ねぇ。さらにフィナという人間は存在せず、その正体が魔法の産物とは……。とんだ御伽話を聞かされたもんだぜ」
シドの声はどこまでも平坦で、感情が読み取れない。アストがそれを制するように前に出る。
「シド、私が説明しよう。フィナの体の構造について……」
「いいさ……簡単な話だろ? つまりこいつは今後一切魔法を使えない。戦力としてはお荷物だ。そして、戦えない狐も条件は同じ。……何かい? 俺がお前ら二人の世話を焼けってか? 全く、笑えねぇ冗談だな」
シドは吐き捨てるように言い、天を仰いだ。
ちょうど雲が切れ、夜空には零れんばかりの満天の星々が広がった。街の灯りなど一つもないこの地で、星の光はあまりに強く私たちを照らし出す。
皮肉を口にするシドの横顔も、その光に晒されていた。けれど、その表情は言葉の鋭さとは裏腹に、不思議と穏やかで優しいものに見えた。
「シド……私たちは……」
私が消え入りそうな声で呼ぶと、シドは突然、二本の指を私の前に立てた。
「条件だ。二つある」
「条件……?」
「一つ。お前ら二人を、俺が守ってやる。リリスまでな。……だがその代わり、技極第一席、原初のアストノスト。俺に魔法を教えてくれ。あんたの知識、全部絞り取らせてもらうぜ。……そして二つ目だ」
シドは立てた指の一本を、私の鼻先に向けた。
「フィナには、俺が魔法を教える。……なぜあんたの燃費がそこまで悪いか、理由は簡単だ。アストノストの出鱈目な術式を参考にしてるからだよ。天才の魔法を真似てりゃ、命がいくらあっても足りねぇ。俺が、人間に相応しい『地に足ついた魔法』を叩き込んでやるよ」
シドはニカッと、悪戯が成功した子供のように笑った。
「命削って大技打つのが魔法じゃねぇ。知恵使って、最小限の魔力で最大限の効果を出す。それが魔法使いってもんだろ? ……フィナ、あんたを『消えない魔法』にしてやるよ」
そこから、私たちの奇妙な三人旅が本格的に始まった。
シドは流石、伊達に大学で教授を名乗っていなかった。アストが授ける超常的な魔法理論を、スポンジが水を吸うような勢いで吸収し、目に見えて成長していく。アストもアストで、自分の高度な理論が即座に通用する相手への講義は、心なしか楽しそうだった。
一方で、私はといえば……。
「馬鹿野郎! 強い魔法に頼るなと言ったろ! もっと細かい手数を繋いで、隙を突くんだ!」
シドの怒声が岩場に響く。
「そう言ったって、ここの魔物の『フィールド』が厄介すぎて……どうしたらいいのか分かんないよ!」
「個の威力で押し通そうとするな。連鎖だ。コンボを繋げて、現象の相乗効果を狙え!」
私は言われるがまま、初級魔術の『火球』を眼前の魔物に向けて放つ。案の定、魔物の強固な皮膚にはじかれ、火花が散る程度で終わってしまう。
「ほら、全然効かない! この魔術じゃ弱すぎるよ!」
「待ちな――収束せよ大気、弾けよ虚空。見えざる槌が、鉄塊を砕く。――『空砲』!」
シドが杖を振る。放たれた圧縮空気の弾丸が、空中で私の残り火を巻き込み、巨大な炎の螺旋となって魔物を貫いた。
「すごい……威力が跳ね上がった」
「風系魔術は燃費がいい。これと合わせれば、初級魔法でも低燃費で致命傷を与えられる。あとは『タスクフォーカス』だ。あらかじめ最適解のルートを決めて、それをなぞるように動け。フィナの場合、その場しのぎのアドリブだと魔力が暴発して無駄遣いになりやすいからな」
シドの的確な指導。自分の命を削らないための、生き残るための魔法。
感心する私を余所に、後ろで腕組みをしていたアストが、低く喉を鳴らした。
「……師匠面しているところ悪いが。シド、今の『空砲』。私が教えたはずの省略法はどうした?」
シドの額に、タラリと冷や汗が垂れる。
「いや……アストさん。あの省略はまだ指が、というか舌が追いつかなくて。実戦だとつい……」
「実戦で使わずいつ使うというのだ! 魔術言語は早口言葉ではないぞ! 脳内構築の速度が甘いのだ!」
「……はい、すみません……」
さっきまで威勢よく私を叱っていた「教授」が、今は「第一席」の前に直立不動で縮こまっている。
全員が自分の技術に対して一切の妥協を許さない。そんなストイックで、けれどどこか賑やかなこの3人の空気感は、私にとって不思議と居心地の良いものになっていた。
シドに厳しく、そしてアストにさらに厳しく指導される日々の中で、私は自分自身の「黒い魔力」について、ある重要な特性に気づき始めていた。
「……なるほど、そういうことか。フィナ、君のその魔力、面白い性質をしているな」
シドが私の黒い魔力を観察しながら、顎に手を当てて呟く。
私の魔力は、一度「変換」して鉄の杭などの実体(別の物質)にしてしまうと、もう元の魔力に戻すことはできない。つまり、物質化は「使い切り」の使い道だ。
しかし、自分の体や感覚に留める技術――
気配を消す『潜伏』、そして身体能力を爆発的に引き上げる『黒装』。
これらに関しては、発動の瞬間にごく僅かな魔力を「呼び水」として使うだけで、維持にはほとんど魔力を消費していないことが判明したのだ。
「ありがたい……! これなら、前線で戦えないなんてことにはならない」
私は拳を握り、自分の体に馴染む黒い波動を感じる。
魔法を派手に打ち出すことはできなくても、この『黒装』があれば、シドのサポートに回りつつ、物理的な破壊力で魔物を圧倒できる。
「ふむ……魔力の『変質』ではなく『循環』か。自分の存在を構成する魔力そのものを強化の膜として纏う。それなら『削る』ことにはならんというわけだ。シド、今のフィナの動きに合わせたコンボを構築できるか?」
アストが偉そうに、けれどどこか安堵したような声で指示を出す。
「へいへい、わかってますよアストさん。……よし、フィナ! 今度は俺の『空砲』で敵の体勢を崩す。あんたはその瞬間に『黒装』で懐に潜り込め。魔法の撃ち合いだけが魔法使いの戦いじゃねぇってところ、見せてやろうぜ」
シドが不敵に笑い、杖を構え直す。
魔法を捨てたわけじゃない。
「消えない魔法」として生き抜くための、新しい私の戦い方が形になりつつあった。
そして――数ヶ月後。
「咆えろ電光、貫け紫電! ——『雷柱』!」
白晶岩帯の乾いた空気を引き裂き、天から降り注いだ紫の電光が巨大な岩塊を一瞬で粉砕した。轟音と共に立ち昇る土煙。その威力は、以前のシドからは想像もできないほど鋭く、洗練されていた。
「これって……今の、三節あった詠唱を二節に?」
私が驚いて声を上げると、肩の上でアストが満足げに、けれどどこか厳格な師の目をして頷いた。
「あぁ。よく二節まで省略したな。構築の安定性を捨てずに速度を上げた。よくやったな、シド」
「ハハ……余裕っすよ、アストさん……」
シドは杖を突き、肩で息をしながら強がってみせた。だが、その顔は文字通り滝のような汗で濡れている。
「余裕そうには見えないけど? その割には汗ダラダラよ、シド」
「……うるせぇよフィナ。一席様の直伝だぞ? 脳みそが沸騰しそうなんだよ。魔術言語を削るってのは、それだけ脳内の並列処理を加速させなきゃならねぇんだ。……ったく、あんたらの『当たり前』に追いつくのは命懸けだぜ」
シドは袖で乱暴に汗を拭うと、不敵に笑った。その瞳には、魔法大学の教授だった頃にはなかったであろう、実戦の中で研ぎ澄まされた魔導士としての誇りが宿っている。
「でも、これで準備は整ったな」
シドが視線を向けた先。白晶岩帯の果て、陽炎の向こう側に、天を突くような巨大な尖塔群と、空を覆う巨大な魔導障壁の揺らぎが見えた。
「魔法大国リリス……。俺を追い出した、最高で最悪の故郷だ」




