38話 魔法使いの戦い方
俺の胸の内にあったのは、恐怖を塗り潰すほどに熱い高揚だった。
目の前に立つのは、歴史そのものである二人の「技極」。
常識で考えれば、俺は次の瞬間に呼吸を止めているだろう。
なぜ杖を向けているのか。自分でも滑稽だと思う。彼女たちが根っからの悪人ではないことなど、短い道中で嫌というほど解っている。それでも……かつて魔法の深淵を夢見た一人の魔法使いとして、目の前の生ける伝説を前に、抗わずにはいられなかった。
俺の手元にあるカードは二つ。
杖に登録された、強制縄張り『暗転』。そして、その闇の中で唯一俺だけに視界を許す『暗視魔術』。
即座に、かつ同時に発動できるのはこの二つだけだ。
対して、フィナとアストはどうだろうか。
……アストノストに関しては、今は思考の外に置いていい。あの狐の姿はおそらく『生物創造』によって編まれた仮初めの器。戦いの主役はあくまで隣の少女だ。
問題はフィナ。
能力の全容はまるで見えない。今まで彼女が見せたのはフラッシュ、エアバッシュ、錬成の三つ。だが、それだけしか使えないなどという甘い予測は捨てた方がいい。アストノストが直々に手を引く弟子だ。この世に存在するあらゆる魔法を、彼女は既にその身に宿していると見るべきだろう。
「すまないな……。おっさんの自己満足に、少しばかり付き合ってはくれないかい」
「シド……私は!」
困惑に揺れる彼女を、俺は鋭い言霊で封じる。
「来い……技極第十席、『神災』フィナ。俺が相手だ」
杖を握る手が、嫌な汗で滑りそうになる。
心臓の鼓動がうるさい。だが、彼女は逃げない俺の意志を汲み取ったのか、静かに、深く頷いた。
「――わかった。殺さない。その代わり、私も学ばせてもらうわ」
「あぁ……それでいい……」
その言葉が、開戦の合図だった。
俺は迷わず、杖に刻まれた一つ目の術式を解放する。
フィールド――『暗転』。そして『暗視魔術』。
コンマ一秒の独壇場。視覚を奪われたフィナが『フラッシュ』で対抗してくるまでの一瞬、その隙間を逃すわけにはいかない。俺は肺の空気をすべて吐き出す勢いで、杖にストックしていない「三つ目」の術式を叩き込んだ。
「巡る旋律、収束する旋風。見えざる指先が奏でるは、終焉の音色。逃げ場なき真空の檻にて、すべてを細塵に帰せ……『ウィンドカット』!!」
暗闇の奥に微かな光が灯る。それと同時――切断の感触。
手応えはあった。フィナの右手首が、鮮血とともに宙を舞うのが見えた。
ダメージを与えた? 俺が、あの神災に?
いや……落ち着け、つけ上がるな。相手は化け物だ。
落としたのは『フラッシュ』を発動しようとしていた手首。これで光の起点の一つを潰した。フラッシュは指向性を持つ魔術だ。死角は必ずある、そこへ入り込め。
「凝固せよ大気、結べよ魔力。逃れられぬ静寂の重圧を以て、粉砕せよ! ――『氷塊』!」
追撃。足元から凍てつく氷の檻を生成し、彼女をその場に固定する。このまま完全に氷漬けにして、魔力供給を断つ―――。
そう確信した刹那、俺の心臓が跳ね上がった。
パリン、と。
世界を覆っていた俺の『暗転』が、内側から粉々に砕け散ったのだ。
「は……?」
これ……フィールドの……拮抗か!?
いや、違う。拮抗なんて生易しいものじゃない。もっと暴力的な、理の書き換え。
「フィールド――『****』」
フィナが静かに呟いた。
なぜだ。何故お前がフィールドを使える? さっきの蛇との戦いで、俺が見せたあの数秒の現象を、もう自分のものにしたというのか。
理は瞬時に上書きされた。
俺の『暗視』は無効化され、代わりにあらゆる場所から伸びてきた漆黒の魔力が鎖のように、俺の四肢を、喉を、杖を、容赦なく縛り付ける。
くそっ……魔力が練れない。鎖を通じて、俺の体内の魔力そのものが凍りついたように動かなくなる。
「ありがとう……シド。私の……勝ち、だよね」
目の前に、先ほど切り飛ばしたはずの手首を何事もなかったかのように繋げたフィナが立っていた。
「へっ……手首、掠り傷一つねぇじゃんか」
俺は力なく杖を離した。
全略の使い手で、超速再生の持ち主。おまけに、たった一度見ただけの未知の魔術理論を、実戦の最中にコピーして最適化してみせた。
「こりゃ……無理だわな。端から勝負になってねぇ」
俺は深いため息をつき、拘束されたまま地面に尻餅をついた。
悔しさよりも、あまりの才能の差に笑いが込み上げてくる。
これが「技極」に連なる者の器か。
アストノストが満足げに鼻を鳴らす音が、静まり返った岩帯に響いていた。
数刻後――
シドは焚き火に薪をくべながら、穏やかな表情で私を見ていた。ついさっきまで殺し合いのような真似をしていた男とは思えない、気のいい学者の顔だ。
「悪いなフィナ。信用を失ったっていうなら、俺を置いて行っても構わない。……元はと言えば、俺の我儘だしな」
「置いていくわけないよ。……約束したんだから」
私の言葉に、アストがなぜか自分の手柄のように胸を張っている。
それにしても、シドの戦い方には圧倒的な「知性」を感じた。ただ力任せに杭を打ち込むだけの私とは違う、隙を突き、理を詰める戦い。
「力に知性を合わせる……それが、本当の強さの秘訣なのかも」
「おいおい……また技極が何かを吸収し出したよ。まいったな。とにかく、すまない。フィールドの展開は魔力をひどく食うんだ。今日はここで休んでいかないか? 魔法オタクとしては、伝説の技極ともっと話し込みたいしな」
シドは屈託なく笑った。先刻の冷徹な眼差しが嘘のようだ。
「それにしても、フィナは魔力量も底なしか? フィールドを上書き展開したっていうのに、まだまだ余裕そうだな」
「え? あぁ、確かにあんまり意識したことなかったわ。ねぇアスト、私って――」
「キューー」
不意に、肩の上から気の抜けた鳴き声がした。
「……?」
見れば、そこには威厳も毒気も消え失せた、ただの愛くるしい白狐が座っている。
「おい、どうしたんだ? そのキツネ」
「えぇっと……これはアストの本体じゃなくて、狐を通して話してるだけなんだけど。本体が意識を離したりすると、ただの狐に戻っちゃうの。……でも、なんで今?」
「まぁ、いいだろ。フィナ、あんたの話を聞かせてくれよ。技極と膝を突き合わせて話せるなんて機会、一生に一度あるかないかだからな」
冷たい風が吹く白晶岩帯の夜。けれど、焚き火の周りだけは不思議と暖かかった。
私はシドに、自分の出生のこと、この奇妙な旅の目的、そしてこれまでに出会った人たちのことをぽつりぽつりと話し始めた。
そして――眠りについた頃。
誰かに肩を揺さぶられ、私は重い瞼を持ち上げた。焚き火はすっかり小さくなり、目の前にはあの真っ白なキツネが座っていた。
「あ……あふと……戻ったんだ……」
名前とあくびが重なり、不明瞭な声が出る。隣ではシドが、よほど疲れていたのか盛大にいびきをかいて眠りこけていた。
「フィナ……少しついて来い。大事な話がある」
アストの声は、いつになく低く、そして硬かった。私はむくりと起き上がり、寝ぼけ眼をこすりながら彼に続いて岩陰へと歩いた。冷たい夜風が頬を叩き、少しずつ意識が鮮明になっていく。
「で……話って?」
岩陰で足を止めたアストが、月明かりを背にして私を振り返る。
「これは……伝えるべきか迷っていた。さっき気づいたんだ。確信するまでに時間がかかったがな」
「さっき意識を離脱してたことと、関係あるの?」
「あぁ少し結界側で調べていた……。心して聞いてくれ、フィナ。君は……君の魔力は……回復しない」
――は?
アストの言葉が、すぐには理解できなかった。
「回復しない」って、どういうこと? そもそも何の話?
魔力の回復って、魔法使いにとって、魔力は使えば減り、眠れば回復する。それは呼吸をするのと同じくらい、この世界の当たり前のはずだ。
「……待って、意味がわからないよ。普通、休めば元に戻るでしょ?」
「いいや、違う。魔法使いの魔力は、大気中の魔素を取り込むか、自己生成によって循環するものだ。だが君は……アルマフィエルという『魔術』の中に溜まった膨大な魔力を、ただ削りながら使っているに過ぎない。さっきのフィールドの展開、そして無差別な錬成……。君は今、自分の『命』そのものを切り売りして戦っているんだ」
アストの青い瞳が、冷酷なまでの真実を告げていた。
「リリスに着くまでに、あるいは着いた後か。君がその魔力を使い果たした時……フィナ、君という存在はこの世界から消えてなくなる」
絶望、という言葉では言い表せない。
内側から冷たい何かがせり上がり、思考を真っ白に塗り潰していく。
耳鳴りが、頭蓋の奥で鳴り響いて止まない。
「魔法は一度打てば、消える。炎も氷も打てば消える。同じ……だったんだ」
私の口から漏れたのは、ひどく乾いた言葉だった。
今まで、自分が何なのかずっと分からなかった。でも今、アストの言葉で点と線が繋がってしまった。
私は、魔法使いじゃない。
私は、誰かが放った「魔法そのもの」なんだ。
放たれた火球が標的を焼けば消えるように。
放たれた氷の礫が溶けて水に還るように。
私もまた、「フィナ」という形を与えられただけの使い切りの現象に過ぎない。
「……アスト。私が今まで使ってきた魔力……あと、どれくらい残ってるの?」
震える声を押し殺して、私は尋ねた。
さっきシドとの戦いで、面白がってフィールドを上書きした
あの数十本の杭を、意味もなく乱射した。
自分の命を、ただの砂遊びのようにバラ撒いていた。
アストは痛ましそうに、けれど誤魔化すことなく私を見つめ返した。




