36話 勝てる一手
「こんな最果ての土地で、こんな妙な奴らに会えるなんてな」
男は皮肉げに、けれどどこか愉快そうに笑った。降参を示すように、ゆっくりと両手を上げる。
「すまねぇな。もう何もしねぇよ。……見ての通り満身創痍なんだ、そいつを解いてくれねぇか」
私は言われるがまま、岩盤に打ち込んだ鉄杭を魔力で霧散させ、彼を束縛から解放した。男はよろりと立ち上がり、煤けた服を払う。
「それで? 早く教えろ。どうやってフィールドを構築した」
なおも鼻息荒く食いつくアストを、男は手で制した。
「悪りぃな、今はそれどころじゃねぇんだ。俺はこの先にあるロサドに用があってな。あそこは今、戦争の真っ只中なんだろ? 腕利きの魔法使いなら、亡命ついでに兵士として高値で雇ってもらえるって魂胆だ。……食い詰めた魔法使いの、最後の博打だよ」
「あ……あそこは、もう……」
喉まで出かかった言葉を、私は飲み込んだ。
ロサドの街がどうなったか。軍神が去り、その支配が瓦解した後のあの凄惨な静寂を、どう伝えればいいのか。
戸惑う私を察してか、アストが静かに前に出た。
「フィナ……。ここからは、私が説明しよう」
アストの声は、先ほどまでの好奇心に満ちたものとは打って変わり、酷く落ち着いた、そしてどこか残酷な響きを帯びていた。
数分後、アストからの説明を聞き終えた男――シドは、天を仰いで大きな溜息をついた。
「マジかよ……軍神かぁぁ。そうかぁ、終わっちまったのか。なんだっけ? 技極? 何席だっけ、そいつ」
「五席だ」
アストが淡々と答える。男は力なく岩場に腰を下ろした。
「ああ、どうするか……せっかく命懸けでここまできたのになぁ。またあそこに戻るのか、俺は」
力なく項垂れる彼の姿を見て、私はたまらず声をかける。
「あなたは……その、なんて呼べばいい?」
「シドだ。よろしく頼む」
「シ……シドは、どこから来たの?」
私の問いに、シドは顔を上げ、こちらを値踏みするように見た。
「フィナ……だったな。あんたが魔法使いだってんなら、行き先はこの先にある魔法大国リリスだよな? 俺は、まさにそこから来たんだよ」
「え? リリスの魔法使い?」
意外な言葉に、私は目を丸くした。魔法大国。魔法使いなら誰もが憧れるような場所から、なぜこんな辺境へ?
「ああ、そこでちっとやらかしちまってな。この『フィールド』を使って、追手の目から隠れながら必死こいて逃げてきたのよ」
「……犯罪でもしたの?」
直球すぎる私の質問に、シドは苦笑いを浮かべた。
「犯罪……まあ、リリスの連中からすりゃ大罪だろうな。禁忌に触れた、とか何とか言われちゃあ、こちとら居場所がねぇんだよ」
シドは肩をすくめて見せたが、その瞳の奥には、単なる犯罪者とは思えない深い陰りがあった。
既視感がある。マルクもそうだったけれど、こういう「訳あり」を装う手合いは、核心部分を巧妙に隠すものだ。
「何をやらかしたの?」
私は少し強めの口調で詰め寄り、その指先をシドに向けた。黒い魔力の粒子が指先に集まり、いつでも術を放てる準備を整える。半ば脅すような形にはなったけれど、ここで甘い顔はできない。
「おいおい、やめてくれ! 話す、話すからその物騒な指を下げてくれ」
シドは本気で焦ったように両手を横に振った。
「そうだな……俺は、魔法大学の教授……いや、教授だったんだが」
「え? 先生なの?」
意外すぎる肩書きに、指先の魔力が少し揺らいだ。こんな薄汚れた格好で、逃亡兵まがいの博打を打とうとしていた男が、最高学府の教授だなんて。
「ああ、それで……その大学には『禁書庫』っつう、一冊にひとつの魔法が丸ごと封印されてるようなヤバい魔導書が納められてる場所があるんだ。……どうしても、目が眩んじまってな。そのうちの一冊を盗み出した。そしたら即座にバレて、この有様よ」
シドは自嘲気味に笑いながら、地面に転がった杖を拾い上げた。
「一冊で、ひとつの魔法……」
「そうだ。俺が使ったあの『フィールド』も、その禁書から盗み見た技術の一部だ。人間には本来扱えないはずの魔法……。それを強引に引き出すための代償は安かねぇがな」
アストがその言葉にピクリと耳を動かし、鋭い視線をシドの懐へと向けた。
「ほう……。その盗んだ禁書、今も持っているのか?」
アストの低く、獲物を狙うような声に、シドの顔が引き攣る。
「……持ってるように見えるか?」
シドが両手を広げて自嘲気味に笑う。確かに、彼が身につけているのはボロボロのフードだけで、鞄一つ持っていない。
「ここにいる魔物はヤベェからな。ここなら追っ手も来ないと思って踏み込んだが……これほど危険な場所なら、それは俺も同じってわけだ。火を吹くトカゲに追い回された挙げ句、大事な禁書は燃やされちまったよ」
「だが、君は『フィールド』を使っていただろう? 禁書を失って、どうやって術式を構築した」
アストの鋭い指摘に、シドは力なく笑って、地面に転がった自分の杖を指差した。
「ああ、それだよ。……俺が作ったんだぜ、そいつ。一点物の魔導器でな、二つまでなら魔術の『登録』ができるんだ」
「魔法の登録だと!? ……いや、待て。フィルターから発動のプロセスに魔力の蓄積を挟めば、理論上は不可能ではないが……。おいシド、決めたぞ。私が君をどうにかしてやる。案内しろ、魔法大国リリスへ!」
「どうにかって……あんた、ただの喋る狐じゃねぇのかよ」
シドが困惑の表情を浮かべる。無理もない、ついさっきまで殺し合おうとしていた相手が、急に保護者面をしてきたのだから。
「私が封印されている間にも、魔法は進化し続けているというわけか。……面白い。その極致、この目で見届けなくてはならん!」
アストは尻尾をピンと立てて宣言した。かつて魔法を大衆に広めた男としての、探求心が完全に再燃している。
「ちょっとアスト、勝手に決めないでよ……。」
私は黒い魔力が揺らめく自分の手を見つめた。禁書、魔法大学、そして未知の魔導技術。
「分かった。シド、あんたがリリスまで案内してくれるなら、道中の魔物は私が片付けてあげる。どう?」
「……。ははっ、最強の用心棒と、怪しすぎる狐の先生か。地獄に仏ってのは、こういうのを言うのかね」
シドは呆れたように笑いながら、杖を拾い上げてゆっくりと立ち上がった。




