34話 力を理解してる奴は強い
「フィナ、君にはここで『魔法』というものの本質を、正しく、かつ徹底的に叩き込んでおく必要がある」
「うん……。自分自身が魔法そのものだって言われたり、かと思えば魔物たちは呪文も唱えずに奇跡を起こしたり。正直、私の頭の中はハテナだらけだわ」
「無理もない。君が今まで見てきたものは、あまりに断片的で、かつ特異な例ばかりだからな。私に教わる以上、フィナには単なる『力の出力機』ではなく、真の意味での『魔法使い』になってもらう。感覚だけで振り回す暴力と、理を理解して編み上げる魔術は似て非なるものだ。それを今から教えよう」
〜原初の魔法使い、アストノストの魔法講座〜
「さて、まず根本的な問いだ。『魔法』とは何か?」
アストは岩場の上で、教師が教鞭を執るかのように尻尾を揺らした。
「魔法とは、すべての生物が体内に蓄えている生体エネルギー――『魔力』を、物理現象や概念干渉といった『魔術』へと変換するプロセス、その総称だ。
だがな、フィナ。数百年前まで、このプロセスは絶望的なほどに『才能』という不確かなものに依存していた。魔力を直接、イメージだけで現象に変えられるのは、ごく一部の天才か、本能で力を振るう魔物だけ。人間のような非力な種族にとって、魔法は選ばれし強者だけの特権だったのだ。
そこで私が何をしたか。
私は『魔力』から『魔術』へと至る変換経路の間に、ある画期的なフィルターを挟み込んだ。それが――『魔術言語』だ。
現象を定義し、術式を固定する『言葉』という共通規格。これを作ったことで、微弱な魔力しか持たない凡夫であっても、その言語さえ操れれば、誰でも等しく奇跡を再現できるようになった」
アストはふんと鼻を鳴らし、少しだけ誇らしげに胸を張る。
アストは得意げに語るが、私はその言葉の端々に引っかかるものを感じていた。
「ねえアスト。それなら『省略法』はどう説明するの? 魔法使いは熟練すればするほど、長い詠唱を端折って一言で魔法を放つようになるって、前に言ってたじゃない」
「ふむ、鋭い指摘だ。そこからがまさに、魔法使いにとっての『才能の壁』と呼ばれる領域だな。思い出してごらん。元来、魔法とは何の制約もなしに振るわれる不確かな力だった。私が『言語』という型に押し込めたのは、あくまで誰もが使えるように安定させるためだ」
アストは白い前足で地面を叩き、図解するように続ける。
「一文字の魔術言語に詰め込む『イメージの密度』を極限まで高めれば、その分、紡ぐべき言葉の数は減っていく。長い文章を読み上げずとも、一単語、あるいは一音にすべての意味を凝縮できる。それが省略法の正体だ」
「なら、アストが言っていた『全略』……一言も発さない魔法は、魔物が使う言語なしの魔法と何が違うの?」
「厳密に言えば、到達する結果は同じだ。だがフィナ。その過程が決定的に違う。かつて魔法に明確な学習法などなかった時代、無から魔法を編むのは闇夜を灯りなしに歩くようなものだった。だが、言語の階段を一段ずつ登り、それを一つずつ『省略』していく道ができた。これによって、魔術の習得は確実な『学問』へと進化したのだよ。確かな道があるというのに、それを使わない手はないだろう?」
アストの瞳に宿る教育者としての厳格な光を前に、私は思わずこめかみを押さえた。
「……んー、ごめんアスト。ちょっと情報量が多すぎて、頭がパンクしそう」
私の泣き言に、アストは少しだけ苦笑いするように目を細め、纏っていた厳格な空気を和らげた。
「一気に喋りすぎたな。確かに、今さら基礎理論を詰め込むのは、君にとっては遠回りすぎるかもしれん。……何より、フィナ、君という存在は既存の魔法体系から外れすぎているからな」
「そうだよ。さっきから言ってる『私が魔法の塊』だって話、ちゃんと噛み砕いて説明してよ。……どういうことなの?」
「いいかい。本来、アルマフィエルという存在に定まった『形』などないのだよ。君の本質は、魔人戦争の最中に生み出された究極の術式、通称――『不定形』。その黒い魔力そのものが君の本体なのだ」
「でも、アスト。さっきから何度も言ってるけど、私にはちゃんとこうして手足があるし、意思だってある。私はお母さんから生まれて、今日まで生きてきた人間なのよ。……それを否定しないでよ」
私の必死の訴えに、アストは静かに、けれど逃げ場のない真実を突きつけるような眼差しを向けた。
「フィナ。もし、人間の細胞の一つ一つ、神経の末端から記憶の断片に至るまで、魔法によって完璧に『再現』されたとしたら……。それに意識がないと、魂が宿っていないと、誰が断言できる? 否。客観的に見れば、それは人間と何ら変わりはない」
風が、岩肌をなでて冷たく吹き抜ける。アストの言葉が、私の肌を突き刺した。
「戦争が終わった今、かつて兵器として造られたアルマフィエルたちが、人を再現し、動物を再現し、その姿を『自分』として固定化したとしたら。……そして、その偽りの姿のまま、今も世界のどこかで呼吸し、生き続けているとしたら。君が信じているその記憶や出生すらも、術式が紡ぎ出した精巧な物語ではないと、どうして言い切れる?」
アストの声は、もはや講義ではなく、残酷な予言のように響いた。私は自分の両手を見つめる。この皮膚も、流れる血も、すべてが緻密に編み上げられた「魔法の糸」でしかないというのか。
冷たい真実を突きつけられ、凍りついた私の心を溶かすように、アストはふわりと私の肩に飛び乗った。
いつもは尊大な「原初の魔法使い」が、今はただ、愛おしいものを慈しむように、その柔らかな毛並みを私の頬に擦り寄せてくる。
「……怖がることはない。前にも言ったはずだ、フィナ。君は人だ。紛れもなく、今ここで悩み、痛みを感じている一人の人間だよ」
耳元で囁かれる声は、羽毛のように優しく響いた。
「ただ、あの激烈な戦いの中で、君の奥底に眠っていた『戦争の遺産』としての力が目覚めかけているだけだ。それは、君という人間を否定するノイズじゃない。君が君としてこの過酷な世界を生き抜くための、唯一無二のアイデンティティだ」
アストは私の肩の上で一度、力強く踏みしめる。その重みが、浮き足立っていた私の意識を現世へと繋ぎ止めてくれた。
「君の魔法は『不定形』。理屈も、限界も、固定された形すら持たない。この黒い魔力を君の意志一つで無限に変化させ、世界の理を塗り替えて戦う……。そう、君は誰よりも自由な『魔法使い』なのだよ」
頬に触れるアストの体温が、じんわりと胸の奥に広がっていく。
自分が何で作られているかなんて、もうどうでもよかった。
この手が温かくて、隣にこのキツネがいて、そしてまだ見ぬ誰かを探して歩いている。その事実だけが、今の私を形作るすべてなのだ。
「……不定形の魔法使い、か。」
私は小さく笑って、肩の上のアストをそっと撫でた。
不安が完全に消えたわけじゃない。けれど、この黒い力が、私を壊すための呪いではなく、私を救うための武器なのだと、今は信じられる気がした。




