33話 俗に言う修行編
朝陽が地平線の端から這い上がり、凍てついていた世界が、ようやく淡い体温を取り戻していく。
かつて栄華を極めたロサドの中心地。だが、今のそこには勝利の凱歌も、敗北の悲鳴もなく、ただ残酷なまでに透徹した静寂だけが横たわっていた。
瓦礫の上に身を預ける私に、アストノストが音もなく歩み寄り、静かに口を開いた。
「フィナ、先へ進もう。……私が言えた義理ではないが、これ以上ここに留まっても、君が探し続けている『旅人』は見つかりそうにない」
「ここに、旅人は……いなかったのかな。もしかしたら、もう、どこにも……」
弱気な言葉が、白い吐息となって零れる。
必死に手を伸ばした場所に、真実がなかった。その徒労感が、戦い終えた後の身体に重くのしかかる。
「それも、空中神殿へ辿り着けばわかることだ。世界の全録があそこにはあるのだから」
「……わかった。行こう、アスト」
私は重い身体をゆっくりと起こした。
再構築された手足には、確かな生の感覚が通っている。内側に巣食う無数のアルマフィエルたちも、今は嵐の後のように静まり返り、私の血肉の中で深く眠りについていた。
私は、一歩を踏み出す。
私のしたことは最善ではなかったかもしれない。あるいは、ただの余計な干渉だったのかもしれない。
「正解」という名の、誰にも解くことのできない問いをこの荒廃した地に残したまま、私たちは静かにロサドを後にした。
見上げる空は、吸い込まれそうなほど高い。
その先にある神殿で、どのような「真実」が、あるいは「絶望」が待っているかも知らずに。
ロサドの瓦礫を背にしてから、早くも一週間が過ぎようとしていた。
馬車という文明の利器も持たぬ私たちは、ひたすら己の足で荒野を突き進み、空中神殿への手がかりを求めて「白晶岩帯」と呼ばれる険しい山脈へと足を踏み入れていた。
「アストォ……ここの景色、あの大嫌いな『龍の谷』にそっくりで、嫌なトラウマが蘇ってくるんだけど」
剥き出しの白い岩肌には、生き物の温もりなど欠片も感じられない。だがその一方で、ふとした岩の隙間から飢えた飛竜が飛び出してきそうな、刺すような緊張感が常に漂っていた。
「確かに、ここは環境が龍の谷と酷似している。食料も乏しく、まともな旅人なら近づきもしない死の領域だ」
「じゃあ何でこんなルート選んだのよ。迂回したって良かったじゃない」
恨めしげにぼやく私に、前を歩いていたアストがふと足を止め、振り返った。狐の体でありながら、彼は大仰に肩を落とし、呆れたように長いため息を吐く。
「フィナ、まだ一週間だぞ……。私ならまだしも、よくもまあそんな短期間で軽口が叩けるほど立ち直れるものだ」
その言葉に、私は少しだけ考え込んでしまう。
確かに、最初の数日はあの光景が頭を離れず、眠れない夜を過ごした。けれど、歩き続けるうちに一つの結論に至ったのだ。考えたところで「正解」など、どこにも落ちてはいないのだと。
マルクとも別れ、あの戦いについて語り合える相手はもういない。彼の暴走も、それを力でねじ伏せた私の行いも、結局は同じ罪の線上に並んでいる。考えれば考えるほど、思考は迷宮に迷い込み、答えを見失う。
「そうだね……。私もこの一週間で、色々悟っちゃったんだよ」
「はぁ……呑気な奴だな、君は」
アストは再び前を向き、トボトボとした足取りで歩き出した。
「でも、一つだけ。ちゃんと理解したことがあったよ」
「何がだ?」
「『技極』という存在の重さ……。たった一人の人間が、本気でその気になれば、本当に世界を滅ぼせてしまうんだなって。それを肌で感じた」
私の言葉に、アストの白い耳がぴくりと動く。
「……ならば。そんな技極の一人である君が、その理外の力で何を選び、何を成すのか。今はただ、それだけを考え抜くことだな」
その返答は、突き放すようでいて、迷える私の進むべき道を静かに照らす道標のようでもあった。
それからさらに数時間、陽炎が揺れるほどに単調で白い岩の世界を歩き続けた、その時。前を進んでいたアストが、まるで見えない壁にぶつかったかのようにピタリと足を止めた。
私は思考の海から引きずり戻され、前のめりになりながら慌てて足にブレーキをかける。
「アスト、どうしたの?……なんか、出た?」
飛竜の奇襲か、あるいは新たな敵か。私は無意識に腰の武器に手をかけ、周囲の岩陰を鋭く睨みつけた。
だが、アストは警戒する様子もなく、悠然とこちらを振り返る。
「フィナ。君に、わざわざこの過酷な白晶岩帯をルートに選んだ真の理由を教えておこう」
彼の瞳が、いつになく真剣な光を帯びて私を射抜く。私は思わず、ごくりと生唾を飲み込んだ。空中神殿へ至るための秘策か、それとも師としての重大な告白か。
「ズバリ……『修行編』の開幕だ」
「……は?」
「さっきも言っただろう? ここには人は来ない! つまり、どれだけ派手に魔力を撒き散らしても苦情は来ん。その上、飢えた強めの魔物がうようよしている。まさに、技極に成り立ての君が、その手に余る力を馴染ませるにはもってこいの環境というわけだ」
アストは狐の姿のまま、ふんぞり返って得意げに胸を張った。
「修行編って……。もっとこう、神殿への近道とか、そういうのを期待してたんだけど」
「近道をしたところで、今の君では神殿の門を潜る前に消し炭にされるのが関の山だ。自分の力を『想像』ではなく『制御』として確立させる。いいかフィナ、これは君が 化け物から 技極に昇華するための、避けては通れぬ関門なのだよ」
こうして、アストノストが師匠となって初めての修行が唐突に始まった。




