17話 戦闘開始
――数時間後。
規則的な振動が、もはや子守唄のように神経を麻痺させる。
最初こそ新鮮だった荷車の旅も、時が経つにつれて、ただの苦行になってきた。
座っているのは剣やら鉄塊やらが詰められた木箱の上。クッションなど当然ない。何度体勢を変えても、木の角が骨に当たって痛い。腰はとうに悲鳴をあげていた。
「う、うぅ……これが数ヶ月……?」
つい独り言が漏れる。
地図で確認した限り、ロサド王国までは早くて二ヶ月、遅ければ半年。
もし徒歩だったら……と思うだけで、胃が重くなった。
――私は荷台の隙間から前方を覗く。
くしゃくしゃの帽子をかぶったダイルが、揺れる手綱を操っていた。
その前を進むのは、二頭の中型の栗毛馬。
しっかりとした体格だが、あくまで「普通の馬」だ。
私はふと、エルデナの大通りで見た光景を思い出した。
あのときすれ違った荷車は――馬ではなく、大型のトカゲに似た魔獣が引いていた。鱗が陽に反射し、鋭い爪が石畳を刻んでいたのが印象的だった。
思いきって、ダイルに話しかけてみる。
「あの……ダイルさん?」
「ん? 魔物でも出たか?」
「いえ……その、どうして馬なんでしょうか?
もっとこう……なんか、強そうな……動物とか……。」
ダイルは一拍、間を置いてから、ふっと鼻を鳴らした。
「はは、あれか。『なんで“コドラ”じゃねぇんだ?』って話だな?」
「コドラ……?」
「飛竜の一種だよ。人の手に慣れた品種でな、翼は小さいが、足腰が強くてな。物を運ばせるにはうってつけだ。荷物用としては最高級だぜ。」
「……じゃあ、なんで使わないんですか?」
「は? 使えるわけねぇだろ、あんなもん。」
ダイルは手綱を引きながら、どこか皮肉めいた笑みを浮かべる。
「まず、レンタルするだけで金が飛ぶ。飼育もエサ代が桁違いだ。何より目立つ。
こんな時勢にあんなもん乗ってたら、貴族か軍人かって話になる。
道中で襲われたいってんなら話は別だがな。」
「なるほど……。」
「だいたい、お前が言った強そうってのはな……目立つってことだ。
このご時世、強いは狙われると同義なんだよ。」
その言葉に、私は何も言い返せなかった。
それほどまでねでに、世界は残酷で、合理的だった。
私は、少しだけ視線を落とし、荷物の陰で丸まっているキツネ――アストを見る、この見た目でも彼女は最強だ。
「……“強さ”って、何なんでしょうね。」
「無駄に持ってると、死ぬってことよ。」
キツネの口から出たとは思えないほど、冷静で重たい返事だった。
「強さを持つ者は狙われる」
――確かに、今の私は、過去の自分より強くなったかもしれない。でもそれは、誰かを守るための力のはずだ。
ぼんやりと考えていると、前方から声が飛んできた。
「おーい、嬢ちゃん。そろそろ危険地帯に入るぞ」
「危険……って、もう戦場なんですか!?」
驚いて身を乗り出す。
「いや、違ぇよ。ここから先は“自然の方”が危ねぇ。
森が近い。つまり、魔物の縄張りってことだ」
ダイルは相変わらず手綱をゆるく握りながら、肩越しにそう告げた。
「もし魔物が出たら……」
――言い終わる前に、私は立ち上がっていた。
「私が倒します」
ピッと胸を張って宣言する。
風でスカートがふわりと舞い、肩の上でキツネの耳がぴくりと動いた。
「私は冒険者です。商人を守るのは、私の責務ですから!」
鼻を鳴らす自分が、少しだけ誇らしかった。
過去に後悔を抱えたままではあるけれど、進むと決めたのだ。守ると誓ったのだ。
――しかし、返ってきたダイルの反応は、想像と少し違っていた。
「へぇ……こりゃ頼もしいなァ」
言いながら、彼は笑った。
けれどその口元は笑っていたのに、目が笑っていなかった。
どこか、からかうような。
いや、試すような。
……あるいは、わざと言わせたような、そんな気配さえ感じる。
ふと、肩に乗るアストが低い声で呟いた。
「フィナ……警戒しろ。あのダイルって男、ただの商人じゃない。さっきから一度も、呼吸を乱していない。まるで獲物を見下ろす狩人だ。油断した瞬間に殺すつもりで、様子を窺ってる」
その言葉に、私は思わず喉を鳴らす。
嘘でしょう……?
陽気で、口が悪くて、ちょっと調子に乗ってるだけだと思ってたのに。
でも――思い返すとおかしな点はいくつもあった。
馬の扱い。重すぎる荷を運ぶ荷車の操作。
険しい道を避ける判断の早さ、そして……剣の密輸に動じない精神。
どれも慣れている。
少なくとも、街の片隅で日銭を稼ぐような商人ではない。
私はごくりと息を呑み、ダイルの背中をじっと見つめた。
するとその瞬間――空が鳴った。
ヒュオッ――という風切り音とともに、頭上に数個の影が走った。
「フィナ、上だ!」
アストの警告に反応するより先に、私はとっさに身体を屈めた。
馬の首が鋭く嘶き、荷車がガタガタと揺れる。
空を斜めに横切ったそれは、まるで闇の羽をまとった鳥のような――いや、鳥ではない。
両翼に骨が透けて見える、飛行種の魔物――《ハングバット》だ。
「うっそでしょ…? こっち見てる……!」
空を舞う3体のハングバットが、円を描きながらこちらを旋回していた。
「くるぞ!」
私は剣に手をかけた。だけど、心のどこかで気づいていた。
――私がここで攻撃を外せば、すぐに死ぬのは馬だ。
馬が倒れれば、荷車も崩れ、ダイルもろとも終わる。
冷静に。狙いを定めて。無駄な動きをせず、確実に落とす。
震える膝を押さえつけ、深く息を吐いた。
「アスト、アドバイスある?」
「今の君なら、飛び上がって斬れる。問題は…タイミングだけだ」
「よし…」
フィナの足が地を蹴った。




