16話 しがない商人
「では!とりあえず先に進みます!」
勢いよく宣言して、私は一歩を踏み出した。
「で?行き先は決まってるのか?」
「はいっ、ずっと決めてました。図書館で地図を見たときから――ここです!」
私は迷いなく地図の一点を指差す。そこは、緑豊かな中原にある、堂々とした大都市国家――ロサド王国。
「ロサド王国、か。」
アストの声が少し低くなった。珍しく、感情が読み取れない。
「剣と魔法の国。闘技場文化が発達しており、戦士と魔法使いが名声を賭けて戦う場所でもある。旅人が剣を持ち、魔法を使っていたのなら……彼がそこに現れる可能性は高い。」
私は少し迷ってから、地図に刻まれた“ばつ印”を指差した。ロサド王国に至るまでの道中に、大きな×印が三つ。赤く、荒々しい線で描かれている。
「このばつ印……何か、あるんですよね?」
「簡単な話だ。ロサド王国周辺――今は**“紛争地帯”**だ。」
風が、ひゅうと鳴いた。空は晴れているのに、あまりに冷たい風だった。
「紛争……って、戦争ですか?」
「正確には、国家間の衝突ではない。ロサド王国は、内部に二つの王家を抱えていてな。どちらが王位を継ぐか――それを巡って、街ごとに支持派が割れている。軍閥同士の衝突。ゲリラ戦。暗殺。玉座は、今や墓場と同義だ。」
私は思わず、息を呑んだ。
「でも……その中に、彼がいる可能性があるんですよね。」
その問いは、静かだけれど、確かな熱を持っていた。
「あぁ。戦いの国だから、冒険者が流れ着き、剣を振るい、軍に雇われる――そんなのは珍しい話じゃない。」
その時だった。肩に乗っていた白いキツネが、ふわりと身を翻し、私の目の前に降り立った。じっと、私を見つめる。
その瞳に、アストの声が宿った。
「フィナ。そこに行けば、君は――見たくないものを、目の当たりにするだろう。過去かもしれない。現実かもしれない。君の罪が、もう一度突きつけられるかもしれない。」
風が止まる。時間が、その場に沈黙を落としたようだった。
「それでも、旅人を探しに行くのかい?」
私は、呼吸を整え、背筋を正した。そして、まっすぐにアストの瞳を見返した。
「……もう、目を背けることはしない。」
言葉は、静かだった。
私は、歩き出した。この道がどんな地獄に続いていようと――私は、もう決めたんだ。
そして、私たちは、かつて滞在していた街――《エルデナの辺境街》へと足を運んだ。
崩れた谷底から抜け出して以来、初めて踏む人の暮らす土地。
だが、そこには見慣れた風景の上に、薄く張り詰めた緊張が漂っていた。
「……兵士が多い。」
「龍の谷が吹き飛んだんだ、当然だろう。
調査隊が組まれたんだろうな。」
鎧をまとった兵士たちが、足早にすれ違っていく。
私のすぐ横を、険しい顔をした一団が通過していったが、誰も私を注視しなかった。
「顔は割れてないようだな。」
「えぇ……。」
少し安堵の吐息が漏れる。
「それはそうと、アスト……歩いて行けばいいんじゃないですか?わざわざ戻って荷車を探すなんて……。」
「フィナ、国と国の距離を舐めすぎだ。歩きなら半年、いや、道が整ってなければ一年もかかるぞ。」
「一年っ!?」
ロサド王国行きの馬車を探して街中を歩き回ったが、返ってくる言葉は決まっていた。
「ロサド王国行き? 冗談言うな。あそこは今、紛争地帯だ。命が惜しけりゃ近づかないこった。」
次第に周囲の目も変わっていった。私はうつむき、アストに視線を送る。
「……やっぱり、無理かな。」
「まだだ。探しきったとは言えん。」
私たちは小さな希望を胸に、まだ開いていない馬車宿へと向かった。
――そして、そこにいた。
ひときわ汚れたコートに身を包み、タバコをふかしながら馬の手綱を繋いでいた、くたびれた中年の男。
「ロサド? ……ああ、行ってやるよ。金次第だ。」
その一言が、私の胸に火を灯した。
「っ……本当に、行ってくれるんですか?」
「俺の馬車は荷運び用でな、人はあんま乗せねぇ。だが、通行ルートは熟知してる。命が惜しくないってんなら、付き合ってやるさ。」
私は力強く頭を下げる。
「お願いします。命、懸けます。」
アストは肩でクスッと笑った。
「少しずつ、旅人の顔になってきたな」
私は照れ臭さを隠すように頬を指でこすった。
武器輸送と沈黙の取引
男は頭をガシガシとかきながら立ち上がった。
「あー……そんじゃ、さっさと乗りな。ちょうど俺もロサド方面に向かう予定だったとこだ。」
荷車は屋根のない荷運び用のワゴンで、座席もなく、荷物が乱雑に積み込まれている。私はバランスを取りながら、荷物の合間に足を滑り込ませた。
「けっこう揺れるからな、覚悟しとけよー」
私は荷物の隙間に目を走らせた。そこにあるのは、麻袋、木箱、鉄製のコンテナ。……その隙間から、ちらりと銀色の金属がのぞいていた。
「アスト……これ。」
「……これは、剣だな。短剣、ロングソード、グレイブ……見事に軍用のやつばかりだ。間違いない、これは兵器輸送だ。しかし、個人が売り込みに行くなんて考えられない。」
「つまりこれは……密輸。」
「おそらくな。」
その瞬間だった。
「おーい!出発すっぞー!あとなぁ……」
声のトーンが下がる。男の黒く濁った瞳が一瞬、こちらに向けられる。
「――荷物の中身は、絶対見るなよ?」
「み、見てないです。」
震える声が、風にかき消される。男は何も言わず、馬の手綱を引く。荷車がぎしり、と音を立てて動き出した。
パチン――と、乾いた鞭の音が木霊し、硬い底板がダイレクトに振動を伝えてくる。私は荷物の間に身を縮め、唇を噛んでいた。
そんな時だった。
「おい、嬢ちゃん。あんた、名前は?」
男は帽子を取って、くしゃくしゃの髪をなでつけた。
「俺はダイル。しがねぇ商人よ。あんたも知ってるだろ、ロサド王国。あそこ、今戦争してる。だから武器がいくらあっても足りねぇって話よ。」
それを聞いた瞬間、荷物の重みが、別の意味を持ち始めた気がした。
私は口を開こうとして、言葉が詰まった。偽名も考えていなかった。
「えぇと……私は……フィです。フィ……」
口から転げ落ちた偽名は、間の抜けたその響きに、自分でも思わず顔が引きつる。
「フィ……?なんだそりゃ。変な名前だな。」
ダイルはくっくっと喉を鳴らしながら笑う。
「フィって……君、正気か?もう少し捻っても良かっただろう。」
肩に乗った白いキツネ――アストの声が、耳元で鋭く刺さる。
「まったく、偽名というのは覚えやすく、紛れやすく、覚えられにくいその塩梅が大切だ。その点、今のは三重でアウト。あえて言えば、歴代最弱だ。」
「う、うるさいな……!」
私は耳まで真っ赤になって俯いた。荷物に鼻を埋めるように、息を潜める。
ダイルはそんな様子も気に留めることなく、手綱を引いて前を向いた。
荷車は、戦地へ向かって、新しい旅人「フィ」と、何も語らない商人、そして喋りすぎるキツネを乗せ、ガタガタと進んでいった。




