14話 原初のアストノスト
私は、言葉を失ったまま、ただ黙り込んだ。アストノストと目を合わせるのが、怖かった。その瞳の奥には、何千、何万の人間の生と死を見てきた者だけが宿す、時の色があった。
視線を逸らした私に、彼女はふっと肩をすくめて、軽く笑う。
「まぁ……そういう反応になるのも無理はないか。だが、フィナ君――君も技極の一人だろう? 同じ立場ってわけだ。」
「……え?」
耳が、理解を拒んだ。技極? 私が? 世界で十人しか存在しない、神の座席に――?
アストノストは少し納得したように頷き、一冊の大きな本を抱えて戻ってきた。背表紙に金属のような光沢が浮かぶ、分厚く重い記録の書だ。
「これが技極の座席記録だ。書き換えには世界法則そのものが干渉する。……見てみろ。」
彼女は無造作に本を開き、指で項目をなぞった。
そして――その指が、最後に止まった。
「十席。神災、フィナ。」
それは、確かに、そう刻まれていた。黒い文字で、深く、静かに、まるで石碑のように、動かぬ事実として。
「これは君の名だ。フィナ……いや、アルマフィエルの亜種と呼ぶべきか?」
「……気づいてたんですか……!?」
「当然だ。伊達に最強やってないからな。私の鑑定魔法はどんな遮断結界も、すべて貫通する。生物の構造、血脈、進化経路、そのすべてが視える。」
「それで…君に質問なのだが……フィナ。君は旅を続けるつもりかい?」
彼女の声音は淡々としていた。運命の扉を、今ここで、自分の意思で開け――と。
「戸惑うのも、当然だ。君は言ってみれば――爆弾だ。扱いを間違えば、自分だけでなく地形ごと消し飛ばす。」
その言葉が誇張でないことを、私は一番よく知っている。崩れ落ちた谷底、灰燼となった飛竜、そして……ニア。
「……君の本音を聞かせてくれ。」
その声は、静かだった。必要なことを問うているだけ。そこに善悪はない。あるのは――真実の価値だけだ。
「背負った罪を追って、この世界から消えるか。あるいは、その罪を抱えたまま、世界を生きるか。選べ、フィナ。常識も、最善も、ここにはいらない。」
私は、テーブルに映る自分の顔を見た。
だけど――その奥に、まだかすかな灯がある。
記憶が、よみがえる。もうひとりの私が手を握って言った、あの言葉。
――ちゃんと背負うって、決めたじゃない。
「私は……旅を続けます。」
静かに、けれどしっかりと口を開いた。それは私自身が発した、決意の音だった。
「そうか……それが、君の本音か。」
アストノストの声が、少しだけやさしくなる。
「ならば、私も手伝おう。」
「――はい?」
あまりに意外な申し出だった。
「君が選んだ生に、私が力を貸す。それが、封印され続けた私の、罪滅ぼしでもある。」
アストノストはそう言って、初めて、心からの笑みを浮かべた。
「ついてくるんですか!?」
私が身を乗り出すと、彼女はスッと右手を差し出し、私の肩を軽く押し戻し、椅子へと戻す。
「私は、ついて行きたい所だがな……冥王アルベドとの契約によって、向こう千年はこの結界から出ることができない。」
冥王アルベド。技極第三席――その名に私は肌が粟立つ。
「だが、閉じ込められていることと、君に教えることができないというのは、別問題だ。」
「……教える?」
「そうだ、君に助言をしよう。力を制御する方法を、段階を踏んで、私の知る限りすべて伝える。」
「制御……できるんですか?あんなものを?」
「制御できるとも。私がこの身一つで大地を抉り、星を屠った魔法の原点だぞ。魔力の流れを読むことも、練ることも、殺すことも、生かすことも、私は全て経験してきた。」
その一言一言が、私の浅い理解を圧倒する。
「私は君を兵器ではなく、意志を持った力として鍛える。旅の中で戦うのであれば、まず最初に学ぶべきは技術だ。」
誰も教えてくれなかった。誰もそんな道があるなんて示してくれなかった。
「そして、それは――フィナ、君が旅の中で自ら手に入れるものだ。私はその手助けをする。」
創造された旅の友
アストノストは静かに立ち上がった。その両手が、何の前触れもなく空間に触れた。
「――生物創造」
重く、深く、響いた。空気が、瞬時に張り詰めた。
「フィナに、私が創造した生物を渡す。それを旅の友として連れていけ。そいつを通して、私は君に助言を届ける。幸い、この生物には戦闘能力はない。戦うのは、あくまで君自身だ。」
私は黙って頷いた。この時、ようやく何かが始まったのだと感じた。逃げる旅でも、罪を背負う旅でもない――自分で歩く旅が。
魔法陣の中央、光の糸が無数に重なり、重力を無視して舞い、絡まり、形を成す。それは、あの事件以来、初めて私が「美しい」と思えた瞬間だった。
そして――静かに、光の糸が弾けた。
姿を現したのは、真っ白なキツネだった。雪のように白く、どこまでも繊細で、どこまでも柔らかい。空気をまとったような神聖さが同居していた。
「……す、すごい……。」
キツネは私の足元へと近づき――
「キュー」
可愛い声で一鳴きし、そのままピョン、と私の膝へと飛び乗った。
その毛並みは雲よりも軽く、火照った心を冷やすような柔らかさがあった。
「どうだ?気に入ったか?」
アストノストが、少しだけ口角を上げて聞いた。
「はい……とても、可愛いです。」
私はキツネの頭をそっと撫でた。
その体温に、静かに生きている命の尊さを感じた。
戦う力だけじゃない。
私がこれから学ぶのは、壊すこと以外の力。
それを導く存在が、今ここに生まれたのだ。
アストノスト。
あなたは、どこまでも底知れない――。




