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神災フィナの黙示録  作者: 鳩ポ
間章 再起編
13/38

13話 目覚め


 ――本当は、戦争なんかしたくなかった。

 誰も殺したくなんてなかった。

 私たちは、生まれながらにして「戦うための命」として設計された。肉体、魔力、精神構造……すべてが戦争用。戦場で咲き、戦場で散ることを正解と刷り込まれた存在。

 それなのに私は――敵と向き合ったあの瞬間、殺せなかった。

 命を奪うどころか、ただ一歩、後ずさることしかできなかった。

 そして逃げた。国を、使命を、仲間たちを裏切って、私は森の奥へ逃げた。

 でも、逃げたって終わらなかった。私たち戦闘兵器は、記憶を共有する機能を持っている。誰かが戦えば、その断末魔のような悲鳴が、皮膚の内側を這うように響いてくる。逃げた私も、殺す苦しみからは逃れられなかった。


 だから、私は決めた。


 もう二度と、私の中に殺す記憶を蓄積しないために。

 未来に生まれる私の子どもたちが戦場の悪夢を見ないように。

 私は隠れた。世界の裏側、観測の届かない暗い森の底で、沈黙のまま、目を閉じ、記憶の蓄積が始まらないように自我の電源を切って、ただ静かに眠った。


 ……けれど、君が現れた。

 あの旅の中で、君が見た風景、出会った人、迷って、怒って、笑って、泣いて――

 その全てが、薄く曇った私の心を、少しずつ、少しずつ、柔らかくほぐしていった。

 君を通して見た世界が、私をもう一度生きたいと思わせた。

 だから、助けようとした。手を伸ばした。でも私はもう表の世界に適応できない。長すぎる沈黙の中で、警告する術も、行動する勇気も、どこかへ置き忘れてしまっていた。

 ……ごめんね。本当に、許してほしい。

 君を見殺しにするつもりなんて、なかったのに。

 ニアが近づいてきたときも、君の精神が削れていくときも、私はただ、奥底から見ていることしかできなかった。

 だけど、君が飛竜と戦った時、本気で助けたいと思った。その結果、ニアを殺し、谷を破壊して、君を傷つけた。

 私は確かに感じた。これは私の責任だと。

 本当は自分の強さを自覚しているべきだった。

 でも私は知らなかった。そして、また誰かを壊してしまうのが怖かった。


 君を、壊してしまうのが――。



 ――だから、私は記憶ごと沈むよ。

 あの子の死も、君の涙も、谷を破壊した事実も、全て、私が背負う。

 記憶の底に沈めて、君の心から切り離して、再び何も知らない旅人に戻れるように。

 汚れた私が背負えばいい。どうせ私は、最初から壊れていたものだ。

 どうか君には、またあの旅のように、純粋な瞳で世界を見てほしい。

 でも、君が言うんだ。「ニアを殺してしまった責任を取りたい」って。

 違うよ――君が責任なんて取らないで。

 ダメだよ、フィナ。君まで、壊れないで。


 「―――」


 ―そうだね、無責任だった。君の背負う気持ちを考えていなかった。

 けれど、これは私の罪だ。私も一緒に背負うから、君がもう一度誰かを救いたいと願ったとき。

 そのときだけは――

 どうか、私を呼んで。

 君の災厄ではなく、今度は、君の力として――私は、必ず目を覚ますから――

 まるで耳元で囁かれるように、柔らかく、その声は意識の深奥へと消えた。



 ……光が、まぶしい。


 瞼の裏に染み込むような、透き通った陽の光が、時間という概念を、穏やかに思い出させてくる。どれほど眠っていたのかは分からない。けれど――生きている。

 ゆっくりとまぶたを開けた。

 最初に目に映ったのは、金色に揺れる野の花。花弁が風にほどけては舞い、空へ吸い込まれていく。

 私は、草原の上に横たわっていた。裸のままで。何一つ身に着けておらず、まるで産まれたての命のように、無垢で、空虚だった。

 全身が、恐ろしく重い。筋肉が鉛のように沈み、骨のひとつひとつが軋んでいた。それなのに――生きていた。心臓は、確かに、打っていた。

 「……なぜ、私は……ここに?」

 肌を撫でるのは微かに湿った空気。

 記憶が、あやふやだった。頭の中は白く濁り、思考のひとつひとつが霞の向こうにあるようだった。

 ただ、断片的な映像だけが脳裏に焼きついていた。

 飛竜の咆哮――大地を裂くほどの魔力の爆発――そして、私を見ていた、ニアの、あの目。

 「……戦ったんだ、私……」

 唇が自然と動く。胸の奥から、名前のつかない、得体の知れない感情が湧き出してくる。



 ……そうだ。ニアは?

 その名を心の中で呟いた瞬間、胸が、激しく軋んだ。全身の血が凍るような冷気に包まれる。

 その場に崩れ落ちる。熱いものが視界を歪ませ、頬を伝い、土に染み込んでいく。



 「……私が……殺した」



 かすれた声が、青空の草原に染みるように広がる。

 「私が……ニアを……殺したんだぁ……!」

 喉が裂けるほどに叫び、嘆いた。どれだけ叫んでも、ニアの声は返ってこなかった。

 私は――守るはずのものを、自分の手で壊した。

 ニアの笑顔。ニアの声。ニアが、私のために、最後に願ったただの共闘。たとえ騙すつもりだったとしても、それすらも、私は叶えられなかった。


 ――死のう。


 考えるより早く、身体が動いていた。

 両手が、自分の細い喉にまわる。脈打つ喉を、躊躇なく、潰そうとした。

 グッ、と、力が入る。

 苦しくなる。でも、それがいいと思った。

 これは罰だ。

 私は災厄。誰かと笑い合ってはいけなかった。旅をして、未来を夢見る資格なんて、最初からなかったんだ。

 喉を締め上げる力を、もう一段強めた。

 「これで…いい」

 視界が暗くなる。肺が、肺じゃなくなる。

 これで、全部、終わる――



 ――その時だった。

 背筋を駆け上がる、寒気。それはただの冷たさじゃない。魂の芯にまで染み込んでくる。

 目に見えない何かが、空間を握り潰しているような圧。

 「――オマエは、何をしている。」

 音の波では説明できない、喉の奥に直接響くような、野太く、低く、なのにどこか艶を帯びた女性の声。

 私は、首を硬直させたまま、手を止める。わずかに首を傾け、目線だけで背後をうかがった。

 ……誰もいない?

 だが――違う。私が感じたその存在は、まさにそこにいた。

 恐る恐る体ごと振り返ると、遠く、丘の上に人影があった。

 想像していた距離と違う。あの圧倒的な圧力――声の主は、すぐ後ろにいるはずだった。それほどの質量が、今、あの距離に存在している。

 赤いワンピースのオレンジ髪の女性が、まるで風を操るかのように、布を揺らして立っていた。

 腰に片手を当て、こちらを見下ろしている。

 彼女と、目が合った。

 その瞬間、はっきりと分かった――この人は、普通じゃない。

 女の眉がピクリと動いた。

 まるで私の内側を読み取ったかのように、驚きと警戒、そして複雑な探求心を混ぜた目をした。

 そして次の瞬間、彼女は視線を逸らし、わざとらしいほど天を仰ぐ。

 「……ついて来い。介抱してやる。」

 振り返りざまにそう言い放ち、彼女は迷いなく歩き出した。

 風が、彼女の足元から吹き始める。彼女の後ろ姿だけが、唯一、色を持って見えた。

 私は、立ち上がることも忘れ、ただその背中を見つめていた。

 何者? なぜ私を知っている?

 疑問はあった。でも、気づけば足が、動いていた。

 彼女が示した背中についていくしかなかった。

 まるで――

 この女に出会うことが、旅の必然だったかのように。

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