13話 目覚め
――本当は、戦争なんかしたくなかった。
誰も殺したくなんてなかった。
私たちは、生まれながらにして「戦うための命」として設計された。肉体、魔力、精神構造……すべてが戦争用。戦場で咲き、戦場で散ることを正解と刷り込まれた存在。
それなのに私は――敵と向き合ったあの瞬間、殺せなかった。
命を奪うどころか、ただ一歩、後ずさることしかできなかった。
そして逃げた。国を、使命を、仲間たちを裏切って、私は森の奥へ逃げた。
でも、逃げたって終わらなかった。私たち戦闘兵器は、記憶を共有する機能を持っている。誰かが戦えば、その断末魔のような悲鳴が、皮膚の内側を這うように響いてくる。逃げた私も、殺す苦しみからは逃れられなかった。
だから、私は決めた。
もう二度と、私の中に殺す記憶を蓄積しないために。
未来に生まれる私の子どもたちが戦場の悪夢を見ないように。
私は隠れた。世界の裏側、観測の届かない暗い森の底で、沈黙のまま、目を閉じ、記憶の蓄積が始まらないように自我の電源を切って、ただ静かに眠った。
……けれど、君が現れた。
あの旅の中で、君が見た風景、出会った人、迷って、怒って、笑って、泣いて――
その全てが、薄く曇った私の心を、少しずつ、少しずつ、柔らかくほぐしていった。
君を通して見た世界が、私をもう一度生きたいと思わせた。
だから、助けようとした。手を伸ばした。でも私はもう表の世界に適応できない。長すぎる沈黙の中で、警告する術も、行動する勇気も、どこかへ置き忘れてしまっていた。
……ごめんね。本当に、許してほしい。
君を見殺しにするつもりなんて、なかったのに。
ニアが近づいてきたときも、君の精神が削れていくときも、私はただ、奥底から見ていることしかできなかった。
だけど、君が飛竜と戦った時、本気で助けたいと思った。その結果、ニアを殺し、谷を破壊して、君を傷つけた。
私は確かに感じた。これは私の責任だと。
本当は自分の強さを自覚しているべきだった。
でも私は知らなかった。そして、また誰かを壊してしまうのが怖かった。
君を、壊してしまうのが――。
――だから、私は記憶ごと沈むよ。
あの子の死も、君の涙も、谷を破壊した事実も、全て、私が背負う。
記憶の底に沈めて、君の心から切り離して、再び何も知らない旅人に戻れるように。
汚れた私が背負えばいい。どうせ私は、最初から壊れていたものだ。
どうか君には、またあの旅のように、純粋な瞳で世界を見てほしい。
でも、君が言うんだ。「ニアを殺してしまった責任を取りたい」って。
違うよ――君が責任なんて取らないで。
ダメだよ、フィナ。君まで、壊れないで。
「―――」
―そうだね、無責任だった。君の背負う気持ちを考えていなかった。
けれど、これは私の罪だ。私も一緒に背負うから、君がもう一度誰かを救いたいと願ったとき。
そのときだけは――
どうか、私を呼んで。
君の災厄ではなく、今度は、君の力として――私は、必ず目を覚ますから――
まるで耳元で囁かれるように、柔らかく、その声は意識の深奥へと消えた。
……光が、まぶしい。
瞼の裏に染み込むような、透き通った陽の光が、時間という概念を、穏やかに思い出させてくる。どれほど眠っていたのかは分からない。けれど――生きている。
ゆっくりとまぶたを開けた。
最初に目に映ったのは、金色に揺れる野の花。花弁が風にほどけては舞い、空へ吸い込まれていく。
私は、草原の上に横たわっていた。裸のままで。何一つ身に着けておらず、まるで産まれたての命のように、無垢で、空虚だった。
全身が、恐ろしく重い。筋肉が鉛のように沈み、骨のひとつひとつが軋んでいた。それなのに――生きていた。心臓は、確かに、打っていた。
「……なぜ、私は……ここに?」
肌を撫でるのは微かに湿った空気。
記憶が、あやふやだった。頭の中は白く濁り、思考のひとつひとつが霞の向こうにあるようだった。
ただ、断片的な映像だけが脳裏に焼きついていた。
飛竜の咆哮――大地を裂くほどの魔力の爆発――そして、私を見ていた、ニアの、あの目。
「……戦ったんだ、私……」
唇が自然と動く。胸の奥から、名前のつかない、得体の知れない感情が湧き出してくる。
……そうだ。ニアは?
その名を心の中で呟いた瞬間、胸が、激しく軋んだ。全身の血が凍るような冷気に包まれる。
その場に崩れ落ちる。熱いものが視界を歪ませ、頬を伝い、土に染み込んでいく。
「……私が……殺した」
かすれた声が、青空の草原に染みるように広がる。
「私が……ニアを……殺したんだぁ……!」
喉が裂けるほどに叫び、嘆いた。どれだけ叫んでも、ニアの声は返ってこなかった。
私は――守るはずのものを、自分の手で壊した。
ニアの笑顔。ニアの声。ニアが、私のために、最後に願ったただの共闘。たとえ騙すつもりだったとしても、それすらも、私は叶えられなかった。
――死のう。
考えるより早く、身体が動いていた。
両手が、自分の細い喉にまわる。脈打つ喉を、躊躇なく、潰そうとした。
グッ、と、力が入る。
苦しくなる。でも、それがいいと思った。
これは罰だ。
私は災厄。誰かと笑い合ってはいけなかった。旅をして、未来を夢見る資格なんて、最初からなかったんだ。
喉を締め上げる力を、もう一段強めた。
「これで…いい」
視界が暗くなる。肺が、肺じゃなくなる。
これで、全部、終わる――
――その時だった。
背筋を駆け上がる、寒気。それはただの冷たさじゃない。魂の芯にまで染み込んでくる。
目に見えない何かが、空間を握り潰しているような圧。
「――オマエは、何をしている。」
音の波では説明できない、喉の奥に直接響くような、野太く、低く、なのにどこか艶を帯びた女性の声。
私は、首を硬直させたまま、手を止める。わずかに首を傾け、目線だけで背後をうかがった。
……誰もいない?
だが――違う。私が感じたその存在は、まさにそこにいた。
恐る恐る体ごと振り返ると、遠く、丘の上に人影があった。
想像していた距離と違う。あの圧倒的な圧力――声の主は、すぐ後ろにいるはずだった。それほどの質量が、今、あの距離に存在している。
赤いワンピースのオレンジ髪の女性が、まるで風を操るかのように、布を揺らして立っていた。
腰に片手を当て、こちらを見下ろしている。
彼女と、目が合った。
その瞬間、はっきりと分かった――この人は、普通じゃない。
女の眉がピクリと動いた。
まるで私の内側を読み取ったかのように、驚きと警戒、そして複雑な探求心を混ぜた目をした。
そして次の瞬間、彼女は視線を逸らし、わざとらしいほど天を仰ぐ。
「……ついて来い。介抱してやる。」
振り返りざまにそう言い放ち、彼女は迷いなく歩き出した。
風が、彼女の足元から吹き始める。彼女の後ろ姿だけが、唯一、色を持って見えた。
私は、立ち上がることも忘れ、ただその背中を見つめていた。
何者? なぜ私を知っている?
疑問はあった。でも、気づけば足が、動いていた。
彼女が示した背中についていくしかなかった。
まるで――
この女に出会うことが、旅の必然だったかのように。




