99話 終わりのラッパは付与士に解放を知らせる
――下痢の水たまりに眼鏡剣士君は沈んでいた。
あまりの刺激臭に木々にいた鳥たちが一斉に飛び立つ。美人剣士と地味顔魔術師君は無残なリーダーの姿に涙を流していた。もちろん五メートル以上離れての嘆きだ。だが、薄情とは思わない。むしろ彼らの位置は近いくらいだ。鼻が壊れるぞ、もっと離れるべきだ。
「さて、次のエリアに向かいますかね」
「……まだ、まだだ」
眼鏡剣士君が、どろどろと汚物を垂れ流しながら汚水の中で立ち上がり、離れて見守る二人の仲間も「「ベンジャスさん!!」」と歓喜の声をあげた。しかし、彼の足はガクガクと震え、かろうじて立っていることが分かる。眼鏡も斜めにずれておりその顔には動揺が見え隠れする。
「い、意外にやるな。驚いたぞ。ぬほぉ!」
「無理はするな。立ってるのもキツいんだろ?」
「生意気な態度を取った俺に優しい言葉を。貴殿は心が広いのだな。今さらだがこれまでの言動を後悔している。数々の無礼を許して貰いたい」
これまでとは打って変わり、眼鏡剣士君は態度を豹変させた。いかにも反省したように思えるその言葉と態度とは裏腹に、その目には未だ消えぬ闘志と侮りが色濃くあった。謝罪をした彼に動揺をしたのはむしろ仲間の方である。
「リーダー!? 何を!」
「ベンジャスさん!? 止めてくださいあんな奴に!」
仲間の二人は風上から彼に真意を問う声をかけた。
しかし、ベンジャスは彼らを無視した。
まぁ反省したならいいんだけどさ。
あまり一部少数に時間を割きすぎるのも問題だ。そろそろ試験に戻るとしますか。
俺は短杖を握ったまま背を向ける。
「俺はもう行くけど、水分はちゃんととっておけよ。脱水になるからさ」
「後ろを見せたなぁ! 俺がクズに謝罪だと、あるわけないだろ! 我が魔術の前にひれ伏せ。グラムレギオン!」
四振りの火炎剣が空中に出現し、俺へと射出される。
振り向きざまに短杖で四本全てを弾いた俺は、再び眼鏡剣士君へと構えた。
「だろうと思ったよ」
「ちっ、防いだか。だが、時間は稼がせて貰った。グラムレギオンは手持ちの術で最強だ。こうして動かずとも貴様を倒すことができる。どこまで抗えるか見物だな」
火炎で生み出された四振りの剣。一振り一振りに尋常ではない魔力が込められている。
軌道を変えて火炎剣の一振りが再び飛んでくる。観察もかねてギリギリで躱すことにした。切っ先が頬を僅かに切った感触があった。すなわち物理的攻撃力を持った魔術。攻撃魔術をただ飛ばすのとは少し違う。本来は攻守両立させた強力な魔術のはずだ。だが、動けない彼には火炎剣を操るしかできない。
「このクズ付与士が。よくも俺に大恥をかかせたな。由緒正しいグレーバーの血筋である俺をおとしめた罪は重い。その両腕両足を切り落とし貴様を指名した運営の前で踏みつけてやる。虫のように無様で滑稽にもがくがいい。もはや貴様に抗う術はない。デバフを施す時間を与えてもらえると思うなよ」
火炎剣は幾度と軌道を変えながら四本の赤い軌跡を描く。
動きのパターンはもう見えてしまった。動かずとも身体を反らすだけで避けられてしまう。A級ほどの実力はないかな。総合的に考えてB級の真ん中くらい。まぁ、術自体はすごいんだけどね。技量がさ。
「こうしてこうすれば、ほら。この通り」
短杖で火炎剣の軌道を逸らし、剣と剣をぶつける。
火炎剣は砕かれ霧散した。一度に四振り全てが消えたことで眼鏡剣士君は真顔で「……は?」と声を漏らし、美人剣士ちゃんと地味顔魔術師君も唖然としていた。
「馬鹿な、我が魔術をあんなにもあっさり……」
「特別試験官がこういうのはなんだけどさ、学びを得たいならちゃんとした剣士や魔術師を追いかけるべきだな。俺じゃあ次回の対策に貢献できないからさ。まぁ、でも、楽しくはあったよ。来年頑張って」
ぱしっと短杖で彼の額を叩く。それだけで地面に亀裂が走り、眼鏡剣士君は白目を剥いて気絶。前のめりで倒れてしまった。
「汚ぇ、杖にウンコついちゃった。あーもう、やっぱ直接叩くんじゃ無かった。一度運営のテントに戻って布きれでも貰おうかな」
俺は嘆息しつつこの場を離れる。
後方から「あんなの敵いっこない。リタイヤしよう」なんて声が聞こえた。
◇
A昇格試験――五日目。
うっすら朝霧が立ちこめる森の深部にて、俺はひたすら走り続けていた。後方からはマダニを先頭とする受験者共の集団が血走った目で追跡する。
「全員とっくに限界を迎えてるはずなんだけどな」
合格したさのあまり精神力だけでなんとか食らいついている状況だ。幾度とデバフをかけたりもしたが、嘔吐しながら決して足を緩めない。恐るべき執念。
本気を出せば振り切るのは簡単だ。だがしかし、あくまで試験。チャンスを全く与えないのもそれはそれで問題である。それに俺とて受験者の心を折りたいわけではない。来年も頑張ろうと言えるくらいには希望は残しておくべきだ。受験料が欲しいギルド側としても参加者が減る事態は避けたいはずだ。悲しいことに彼らはちょっとした資金源なのである。
ふと隣に視線を向ければ、ギルもまた同様に集団を引き連れ走っていた。
どうやら俺と同じ状況のようだ。ギルは俺を見つけると、獣人らしく岩場を軽々と飛び越え、こちら側にやってきて並走する。
「クソ付与士も同じかよ。やっぱ最終日はどいつもこいつも必死だな」
「そりゃあA級になれば貴族や商会からの仕事が増えるからな。これまで以上にちやほやされるしサインもねだられる。有名人の仲間入りだ」
「ちやほやされてもいいことなんかねぇけどなぁ」
…………………………は?????
ちやほやされた方が良いに決まってるでしょ。
やれやれ、これだから恵まれたS級は。今の立場を大切にしないと後で後悔するよ?
後方より弓矢や攻撃魔術が飛んでくる。
俺とギルは避けつつ進行方向を僅かに変えた。
「誘導されてるよな? どう思う?」
「恐らく後ろの連中は手を組んでいる。潰し合いが一切起きていないのがいい証拠だ。でもって奴らは追い込み役、この先のエリアで仲間が潜んでいて挟み撃ちにしようって作戦だろう」
「……そういうことかよ。道理で追いつけないのにぎらぎらしてるわけだ」
連中は疲れ切った顔こそしているが、目は一切死んでいない。むしろ弱った獲物を追い詰める獣のようなギラつきだ。
「上等じゃねぇか。”千嵐”のギルに勝負挑もうって心意気を褒めてやる。近頃は喧嘩を売る根性すらねぇ不抜けた奴らが多かったからな。滾るぜぇ」
血に飢えた狼のようにギルが嗤う。
ギル・ブラットの二つ名は”千嵐”。その両足には風の防具型魔道具が装備されていて、文字通り嵐のような風を巻き起こすことからついた名だ。
狼族の獣人は脚力と持久力に優れたスピード系が多い。例に洩れず彼も速度を重視しており、繰り出される二本の短剣は、目にも留まらぬ速さだと高い評価を受けている。剣士としても強者なのである。
森を抜けると水辺エリアへと出る。そこそこ水深がある川の手前で、予想通り複数の受験者が武器を構え待ち構えていた。彼らは俺とギルが現れると左右の逃げ道を塞ぎ、さらに後方の集団が合流し、後ろへの逃げ道をも塞いでしまう。
「はぁはぁ、追い詰めたぜ。ここからは事前に話し合ったとおり早い者勝ちだ。誰が抜けても恨みっこなし」
「A級を仲間に譲るつもりかよ。娘ができてずいぶん丸くなったな、マダニ」
「馬鹿を言え。確実に勝てる手段をとっただけだ。確かにこの場の条件はイーブン、しかし、俺はあんたがどういう人間か知っている。今もどうデバフを施せば囲いを抜けられるか考えているんだろう? つまり俺だけが次の行動を予測できる」
……まぁ付与士だしな。割と普通の予想だと思うけど。
しかし、追い詰められているのは事実だ。
背中は川、周囲は綺麗に受験者によって囲われている。彼らの中には魔術師の姿も複数ある。もし魔術師に一斉にデバフを放たれれば、俺でもレジストに忙殺されてしまう。その間に距離を詰められればアウトだ。
ふわりとこの場の空気が動き始め、渦を巻き始める。その中心にいるのはギル・ブラットであった。ご機嫌斜めなのかその眉間には深い皺が寄っていた。
「俺を無視して話を進めてんじゃねぇ。獣人だからって舐めてんのか? 殺すぞ」
「まずい、魔道具を使われる前にタッチを!」
マダニの指示でわっと受験者達が俺とギルに飛びかかる。
だが、ギルを中心に激しい風の渦が出現し、受験者達を吹き飛ばしてしまった。そして、彼は愛用の二本の短剣の内、一本を抜いて構えた。
「さぁ、始めようぜ。バトルよぉ」
「それは無理じゃないかな。今ので全員ダウンしたからさ」
「な、んだと?」
吹き飛ばされた受験者達は全員気絶していた。
俺達を追いかけ続けて疲れ果ててたからね、もう防ぐだけの体力が残ってなかったのかも。
その中で唯一立ち上がったのはマダニだった。
「こんなところで、諦められるかよ、嫁と娘に、父ちゃん必ずA級になって帰るからなって約束したんだ……諦めるわけには、いかねぇんだよぉお!」
A級を目指す者とは思えないほど泥臭くあがく。
俺は前に出ようとしたギルを腕で止め、短杖を抜いた。
「悪いが手は抜けないぞ」
「舐めんじゃねぇよ。こっちはな、てめぇが登録するより前から活動してんだよ。熟練の意地ってのを見せてやるよ」
マダニが剣を抜く。さらに腰のマジックストレージから何かを抜き取った。何かを地面に投げつけると白い煙が噴出し辺りを覆う。
「煙幕か。だが、反応はある」
魔力の網にマダニの反応がはっきりあった。奴は正面から回り込むように側面へと移動していた。だが、そこで反応が二つに増える。さらに四つに。
どういうことだ? 反応が増えた?
「酒の席で教えてくれただろ。常に魔力を感じ取る網で周囲を警戒しているって。だから魔力を込めた魔道具で翻弄できるかもしれないって思いついたんだよ」
「ずいぶん昔の話を覚えていたんだな。感心したよ」
まずいな。次の手が読めない。
派手さはないし地味な戦法だが、確実に俺の目を潰している。それでいて絶妙な風の流れで煙幕が留まっている。ここを戦いの地にしたのはこれが狙いだったのか。
「もらった!」
煙幕の中でマダニが剣を振り下ろす。
俺は刃を杖で弾き、その腹に蹴りをたたき込んだ。
煙幕から出ると、地面に大の字で倒れるマダニを発見する。
「なんでバレたんだ? 魔力も視覚も封じたってのに」
「気配は上手く隠せていたみたいだが、足音が完全には消せていなかった。かすかに地面を蹴る音が聞こえたよ。あとはそうだな、空気や魔素の流れかな。人サイズの塊が動けばどうしても乱れが生じるからさ」
「意味分かんねぇよ。これだからS級ってのは」
マダニが、はぁぁぁと大きなため息を吐いた。
ぶぉおおおおおおおおおっ!
そして、遂に実技試験終了のラッパが鳴り響いた。





