第14話 必殺のコンマ1秒
準備がととのうまでのあいだ、霧矢とちはるは飲食を済ませた。
コックピットで、非常食のタッパーをほおばる。
外は猛暑だと聞いていたので、霧矢は念入りに水分補給をした。
最後のひとくちを食べ終えたところで、ちはるが、
「ねえ、霧矢、ちょっと話したいことがあるんだけど、いい?」
とたずねてきた。
「ぼくの許可はいらないよ」
「ううん、たぶんいるんだけど……あっちの部屋で、聞いてくれる?」
霧矢はドキリとした。
しかし、よこしまな考えはやめて、ただうなずいた。
ふたりは個室のひとつに入った。
ちはるは円形の椅子のひとつに、腰をおろした。
「どっか座りなよ」
霧矢は黙って、ベッドに座った。
妙にドキドキする。
固唾を飲んで、ちはるの動きをうかがった。
ちはるはしばらく、背筋を伸ばして、まっすぐ前を見つめていた。
そして、かるく深呼吸をした。
「ボク、男なんだよね」
霧矢のなかで、一瞬、時間が止まった。
視線をちはるの首から下におろし──数秒ほど逡巡した。
「……トランスってこと?」
「うん」
霧矢はなんといっていいか、わからなくなった。
ちはるは目をつむって、
「ごめん、勝手にカミングアウトしちゃって」
と謝った。
「それはきみの自由だよ」
「ううん、カミングアウトを受けたひとは、その話を他人にしちゃいけないんだ。霧矢には守秘義務が生まれてる。それに、カミングアウトするような仲じゃないよね、ほんとうは会うのも二回目だし」
「……じゃあ、なんでしたの?」
ちはるは、悲しげな表情になった。
「……地球人のだれかに、しておきたかったから、かな」
「つまり……ぼくが初めて?」
「地球人では、ね。セシャトさんには、話したよ」
「そっか……」
ふたりは、押し黙ってしまった。
なにかを言わなければならないような気もしたし、すべてが余計な言葉になるような気もした。
「霧矢は、ボクになにか言っておきたことはある?」
死ぬ前提で。そういう条件がついていることは、霧矢にもわかった。
しばらく考えて、首を左右に振った。
「特にないよ」
「全然?」
「うん、フラグになるからとか、そういう意味でもなくて、全然」
「……そう」
本心だった。もちろん、家族や友人のことを気にしてないとか、そういうわけではなかった。けれども、異世界で死んでしまうのなら、それをどう伝えようとしても、無駄に終わるだろう。息子はゲームのなかで死んだのだと、そう伝えて欲しいとは、まったく思わなかった。
むしろ霧矢は、こう思った。このゲームで死ぬくらいなら、生き返るチャンスなど、もらわなければよかったのではないか、と。もしあの事故で死んでいれば、息子はこどもを助けようとして車に轢かれたのだ、という、単純なエピソードが残ったはずだ。両親は悲しむだろうが、息子がどういう死に方をしたのか、それを知ることができたはずだ。
霧矢はここまでをまとめて、
「とりあえず生き残ろうか」
とつぶやいた。
「……そうだね」
霧矢とちはるは、握手をかわした。
個室を出ると、セシャトとトトが、最後のチェックをしていた。
白いケースで覆われた、即席のプラスチック爆弾。
ラボでそれを手渡された霧矢は、慎重にリュックへ入れた。
「振動で爆発したりしないよね?」
「遠距離からの通電式にしてあるから、安心して」
霧矢はセシャトの腕を信頼するしかなかった。
そして、この爆弾を作ったのがセシャトであって、ほんとうによかったと思った。
「それにしても、よく機材があったね」
「あのアンドロイドの部品を使ったのよ」
霧矢は顔をしかめた。
手に持っている物体が、急に気味の悪いものに感じられた。
一方、セシャトは飄々としていた。
「あたしとちはるちゃんは、マザーコンピュータのところで待機するわ。ここを留守にすると、犯人にロックダウンされる恐れがあるから……それじゃ、健闘を祈るわ」
霧矢とトトは、コックピットを出ようとした。
そのとき、セシャトはもういちどトトに声をかけた。
「トト、あたしたちは検史官だから……私情は挟んじゃダメよ」
トトは全身でふりむいて、右手で最敬礼をした。
「はい」
セシャトも最敬礼でかえす。
その儀式は、霧矢たちがこれから死地に向かうことを意味していた。
「じゃ、ちはるも元気で」
「霧矢も」
霧矢とトトはコックピットを出た。ラボと医務室を通り過ぎて、例のドアをくぐり抜ける。階段をのぼりきると、バルブ式のとびらがあらわれた。この先は地上だ。
霧矢はHISTORICAで通話する。
「もしもし、到着した」
〈ロックをはずすわよ〉
ピーッという音ともに、コントロールパネルがみどりになった。
霧矢はバルブに手をかける。力をこめる、ゆっくりと回転させた。
あのときとおなじように、隙間から光が漏れる。
だがその光は、緊張と不安を打ち消すものではなかった。
とびらを半開きにしたまま、霧矢は銃身をちらりとのぞかせてみた。
なにも反応はなかった。
うしろで待機していたトトは、
「いきなりバーンってあらわれないですよね?」
「あの機体なら、消音はできないはずだけど……慎重にいこう」
霧矢はとびらの隙間からそとに出た。周囲に用心する。
トトもとびらから出てくる。河原に、箕倉の死体がころがっていた。トトはなるべくそれを見ないようにしていた。が、霧矢は、
「目を閉じちゃダメだよ……さあ」
と言い、川をくだりはじめた。
森から襲撃されると、回避がむずかしい。
そう考えた霧矢は、ひとまず対岸に移った。対岸はキャンプが十分にできそうなほどの広さだった。しかし、足場が悪いことが難点だった。走って逃げるのはむずかしいかもしれないと、霧矢は考えた。
「トトさん、ロボットが襲ってきたときの対処法、考えておかない?」
「は、はい」
「正直、すぐに逃げたほうがいいと思うんだけど……」
「あ、それはダメです」
トトの反応に、霧矢は意外な思いがした。
その言い方が、いつもの彼女らしくなかったからだ。妙にはっきりとしていた。
「どうして?」
「アカデミーで習ったんですが……異世界で凶暴な動物に遭遇したら、絶対に逃げちゃダメなんです。背中を見せたら、一方的に攻撃されちゃいますし……それに、動物は動くものを追いかけるクセがあるんです」
霧矢は、なるほどな、と思った。
ただ、【動物】というキーワードが気になった。
「動物じゃなくてロボットだと?」
「似てると思います。逃げようとしても追いかけてくるはずです。だったら正々堂々と戦うほうがいいです。アカデミーの実習で経験したことがあるんです。警察犬をあいてにしたとき、最初は逃げようとしてうしろから飛びかかられちゃいました。教官に怒られて、2回目は逃げないで戦ったら、その……すこしはもちました」
トトは、場に似合わない照れ笑いを浮かべた。
「でも、これって2対1だとちょっとちがうかもしれないです」
「……わかった。おたがいに逃げないようにしよう」
霧矢には、じぶんのセリフが空々しく感じられた。
逃げてしまうのはじぶんのほうではないだろうか、そんな不安がよぎる。ただ、よくよく思い出してみれば、ロボット犬に襲われたのは箕倉だった。彼はまっさきに逃げようとしていた。だから、逃げようとする者に襲いかかるというトトの推理は、当たっているように思われた。
真夏の人工太陽は、どこかしら不快な暑さをもたらしていた。
河原からアスファルトの道へと出たとき、霧矢は異様な不快感におそわれた。体感で30度は超えていた。山奥だというのに、この暑さはどういうことだろうか。霧矢は不思議に思い、あたりをみまわした。しかし、答えはなかった。太陽は燦々と照りつけるばかりで、沈黙していた。
「トトさん、なんか暑すぎない?」
霧矢のつぶやきに、トトは、
「え、そうですか?」
と、すこしとぼけたような返事をかえした。
「きみ、長袖でよく平気だね」
「あ、これはですね、エルフは人間よりも気温差に強いんですよ」
あたらしい知識を得た霧矢は、大きく息をついた。
「そりゃうらやましいや……ぼくはもう、川に飛び込みたいよ」
もちろん、それはできない相談だった。水中でおそわれれば、抵抗することすらままならない。霧矢は、右手のほうに冷たいせせらぎが流れているのを、ひどくうらやんだ。
あたりは風と光にあふれていた。霧矢のシャツが空気をはらんで波打つ。トトの制服もまた、川下から吹き上げる風にゆれていた。道ばたには、夏の雑草が生いしげっていた。草いきれのなかに、バッタが跳ねた。彼らもまた宇宙にさらわれてしまったものたちだった。
人間はいない。霧矢をのぞいて。自転車で野をかけるこどもたちも、川辺で釣り糸を垂れる老人もいなかった。それはさいわいなことだったのかもしれないと、霧矢は思う。それとも、この世界を作ったクリエイターの怠慢なのだろうか。道は単調で、まるで目的地などないかのように、どこまでも続いていた。粗雑な筋書きのように、どこまでも。
不快な暑さだ──霧矢はふたたびそう思った。この世界は、近未来の地球。科学技術はなにごとも解決していないようにみえた。もちろん、それがただのフィクションであることは、霧矢にもわかっていた。それでも、ぼんやりとした不安がうまれる。製作者は、なにを思ってこのゲームをつくったのだろう。霧矢は自問した。楽しんでもらうためだろうか。製作者は、じぶんの作品がネットでネタとして消費されていることを、知っていたのかもしれない。いや、おそらく知っていたのだろうと、霧矢は思った。そうでなければ、立て続けにおかしなシナリオのゲームなど、販売しないだろうから。この世界のゆがみは、作られたゆがみだ。マーケティングという名のもとの。
河原はSの字になんどもくねっていた。歩くたびに、景色が少しずつ変わる。
それまでは視界から隠れていた廃校舎が、ようやく姿をあらわした。二階建ての木造建築だった。
霧矢は駆け足になりたい気持ちをおさえた。河原から歩道へあがり、周囲を確認する。農家の空き倉庫が一件、霧矢たちとおなじように宇宙へさらわれていた。トトはそれを見ながら、
「ほんとうにここが船の端っこなんですか? 向こうの山がみえますよ?」
とつぶやいた。
「たぶん、ホログラムだよ。どこかにスクリーンの壁があるんじゃないかな」
「あ、そういう……」
トトは納得した。
ふたりは校庭に足をふみいれた。周囲にフェンスはなく、川ぞいの道と校庭とがじかにつながっていた。校庭のかたすみには、ヒメシバやエノコログサが生い茂り、オオバコが力強く葉をひろげていた。まるでこの場所には、人間など不要であるかのように。このままじぶんたちがいなくなっても、この大地は、宇宙空間に浮かぶ箱庭として、燃料の尽きるまで航海をつづけるのかもしれない。霧矢はふと、そんなことを思った。
校庭の規模にくらべて、校舎は貧相だった。遠目にみても、入り口の柱は朽ちかけ、窓が封鎖されていた。こどもたちはいない。ただの廃墟だ。
ふたりは校舎を迂回するため、右手のほうへ進路をとった。そちらには日差しがあたっていて、暗闇からの急襲を警戒できると思ったからだ。しかし、それは誤算だった。角を曲がろうとしたところで、焼却炉が目に止まった。校庭からは見えない位置にあった。うしろに隠れられていると厄介だな、と霧矢が思った瞬間、焼却炉のフタが弾け飛んだ。
鋭い破片があたりに飛び散り、霧矢のほほをかすめた。
なかから、黒い機体が飛び出す。霧矢は闇雲に発砲した。
硬質な金属音。霧矢はてごたえを感じる。警備ロボはいったん距離をおいた。赤い目で、こちらをにらんでくる。トトは霧矢にむかって、
「き、霧矢さん、逃げちゃダメですよ。ゆっくりうしろにさがりましょう」
と指示を出した。
それはまるで、自分自身に言い聞かせているようでもあった。
ふたりはじりじりと校庭へあともどりする。
警備ロボの左肩から、軽いケムリが出ていた。
当たれば破損させられる。その事実が、霧矢に自信を与えた。
警備ロボも警戒し始めたらしく、犬のように這いつくばった。左肩をかばうように、のこりの3本の足を主軸におく。カツカツと、金属製のひづめが地面を蹴り、ゆっくりと追走してくる。
「お、追っかけて来てますよ」
トトのつぶやきに、霧矢は答えなかった。
思考をフル回転させていた。
だが、こういうときの対処法など、学校ではまったく習わなかった。
「トトさん……ひとつお願いがあるんだ」
「は、はい」
「トトさんが指示を出して」
「!」
トトはあわててふりむきかけた。霧矢はそれを制止する。
「ぼくはただの高校生だ。トトさんはプロだから、トトさんが指示を出して」
「……」
「それに、さっきからちょっと頭がぼんやりしてる」
霧矢は歩をとめた。熱中症の前兆を感じていた。トトもそれに合わせた。
警備ロボもまた、一定の間合いで動きをとめた。
首のギアを左右にまわし、こちらのようすをうかがっている。
「トトさん、さっき『2対1だとちょっとちがうかもしれない』って言ったよね。もしかして、なにか教わってるんじゃないの?」
「……アカデミーでは、次のように習いました。もし2対1で異世界の動物に出会ったら、協力して、間合いをはかりながら格闘すること……でも、もし勝てないとわかったときは……」
トトはそこで口をつぐんだ。
「わかったときは?」
「片方が囮になって、敵がそちらを追いかけたところを背面射撃する……です」
霧矢は息をのんだ。
口のなかがひどく乾く。こんなことなら、コックピットにあった水を好きなだけ飲んでおくんだったと、くだらない感慨がわいてきた。
「了解……じゃあぼくが囮になるよ」
「ダメです」
「トトさんが指揮官なんだ。ぼくが囮になるしかないよ」
「わたしが指揮官です。この作戦は却下します」
霧矢の目のまえが、すこしばかり黄色がかってきた。
「トトさん、私情を挟まないで。セシャトさんも言ってただろう」
「私情じゃないです。わたしは射撃がうまくないですし、霧矢さんは足が速くないです。さっきの作戦は、ベテランの検史官がコンビのときの話です。だから却下します」
霧矢は返す言葉がなかった。
あまりにも理路整然としていたからだ。
トトは正面を向き、ふかくうなずいた。
「弱いときには、弱いなりのやりかたがあります……霧矢さん、動かないでください」
トトは銃を手にしたまま、ゆっくりとかがみこんだ。
警備ロボが反応する。一歩前に出た。
トトは制服のポケットに手を入れ、HISTORICAをとりだした。
液晶画面を片手で操作する。そして、あろうことか警備ロボのまえにほうりなげた。
警備ロボはヒョイと一歩さがった。怪訝そうに端末を凝視している。
《ほら、こんどはポチの番だぞ……それッ!》
HISTORICAから、茜の声が聞こえた。
それがあの地下でみていた動画だと、霧矢はすぐに気づいた。
警備ロボは、四肢をこわばらせた。
〈……キャプテン・アカネ、今の指示は不明瞭です〉
警備ロボの機械音声に続いて、ふたたび茜の声が聞こえた。
《ほら、ポチの番だぞ。あれをくわえて持ってくるんだ》
警備ロボは、HISTORICAに反応した。
それから一歩一歩、金属音をひびかせながら歩み寄る。
HISTORICAをくわえようとしたところで、トトが銃身をかまえた。
「ごめんなさい」
トトが引き金を弾く。
弾丸は、警備ロボの頭部をふきとばした。




