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第15話 ひとりぼっちのヒロイン

 霧矢が酷暑から解放されたのは、廃校舎の裏山にある洞穴をみつけたときだった。それは、急な傾斜をのぼったところにあった。もしマザーコンピュータからマップをもらっていなければ、まったく見つけることができなかっただろう。ひとがかろうじて入れるほどの大きさで、携帯用のペンライトで先に進むと、すぐに行き止まりになった。そこには食玩やお菓子の包装が捨てられていた。こどもが秘密のアジトかなにかに使っていたのだろうと、霧矢は考えた。

 一番奥まで来たところで、霧矢は小さく声をあげた。

「これは……」

 目の前には、白線で描かれた不気味な壁画があった。

 ヘルメットのようなものをかぶり、手に小さなものを持った人物像。

 そのうしろには、円錐形の幾何学的な模様が描かれていた。

 トトは、

「宇宙人さんの絵ですか?」

 とたずねた。

「そうだろうね……茜さんが見つけたのは、これと似た壁画だったんだろう」

 待っていたと、ドクターは言った。一万年ものあいだ、同胞たちを待ち続けた箱舟は、今こうして殺人鬼に操られている。母星を出発したとき、そのようなことを予期したアンドロイドはいなかっただろう。希望を送り出したはずの舟は、巨大な墓標と化し、暗黒の宇宙をたゆたっていた。

 霧矢は、おのれの気づきのおそさに、微笑した。いつだってそうなのだ。昔、中学校でだれかがジョークをとばしたとき、それがじぶんへのあてつけだと気づいたのは、卒業も間近なときだった。そして今、霧矢の脳髄は、この世界観が『エイリアン』ではなく『プロメテウス』であるという、雑学的ではありつつも本質的な事実に気づいていた。大いなる白い巨人、エンジニアを求めて旅立つ、人類の物語だった。

 トトはすこしさみしそうに、

「もし宇宙人さんが地球に来たら、みんな仲良くできたんでしょうか?」

 とたずねた。それはひとりごとのようにも思われた。

「わからない……それはべつの世界線だからね」

 霧矢は、ポケットからHISTORICAを取り出す。画面に軽く触れて電話帳を開き、セシャトの連絡先を押した。

 呼び出し音が2度鳴っただけで、待ち構えていたようにセシャトが電話に出る。

《もしもし?》

「セシャトさん、こっちは準備OKです。洞穴の奥まで来ました」

《了解。マザーに頼んで、メインエンジンルームのドアを開けてもらうわ》

 そこで、会話が途切れた。長い待ち時間が、霧矢には異様に長く感じられた。ズズッと岩肌が動き、ゆっくりと金属製のドアがあらわれた。そこには、コックピットの個室のドアに描かれていた、あの奇妙な記号がついていた。だが、それも長い年月の風化で、ところどころ削れていた。

 さらに待っていると、その金属製のドアはひとりでにひらき始めた。

「……ほ、ほんとにあったんだ」

 霧矢が、ぽつりとつぶやいた。

 それと同時に、霧矢は、じぶんの心の井戸のなかにあった、闇に気づいた。彼は、茜のことを信じていなかったのだ、と。もし宇宙人の話が、ドクターから、あるいはそのほかの少年少女たちからなされたものであれば、霧矢はそのようなセリフを吐かなかっただろう。彼は、茜のがわにいるつもりだった。

《もしもし? どうなったの? マザーは、開けたって言ってるけど?》

 霧矢はHISTORICAに話しかける。

「開いたよ……下への階段がみえてる」

《それじゃ、気をつけて……犯人はまだ捕まっていないから、ね》

 エンジンルームに到着した霧矢は、そのメカニックな光景におどろきを隠せなかった。これまでにいたブロックよりも格段に大きく、中央を吹き抜けにした三層の施設からなっていた。中央にあるビルのように高いメインエンジンは、銀色にかがやくパイプにおおわれ、ブーンという静かな音をたてている。周囲の計器はアナログ式で、針で示された数値を読み取るタイプだった。ボタンも誤作動を回避するためか、必要最小限しかない。その代わり、さまざまな防災設備がとりつけられていた。スプリンクラー、消火ポッド、緊急時に締める赤いバルブ。そのどれもが、一万年のあいだ、だれかの侵入を待ちわびていたのだ。

 トトもエンジンをみあげて、

「凄いですぅ……」

 と、賛嘆の声をあげた。

 HISTORICAから音声がはいる。

《どう? エンジンは見えてる?》

 霧矢はHISTORICAを口もとに寄せた。

「うん、目のまえにある……それに、光がみえたよ」

《光?》

「光明さ。消火設備は作動してるっぽい」

 セシャトの声がとだえた。

 だが、彼女の聡明な思考は、すぐに霧矢のセリフの意味をとらえた。

《多少乱暴しても、火災の心配はないってわけね》

「たぶん、ね……もうこれしか手がないからどうしようもないんだけど」

《でも、そうなると修復ロボとかもいるんじゃない?》

「それはないと思う。医務室の修復にだれも来なかったから」

 もっとも、霧矢はこれについても確信が持てなかった。

 エンジンルームと医務室のセキュリティが同一と言えるのだろうか。

 霧矢はしばらく逡巡し、決意をかためた。

「じゃあ、指示を出して」

《キリヤくんが立ってる位置から、右手のほうにパイプ類がみえる?》

 霧矢は右のほうへ視線をむけた。

 パズルのように組み合わされた銀色のパイプがみえた。

《そのパイプが、一番破壊するのに安全だと思うわ》

「中身は?」

《冷却水》

「冷却機能をマヒさせれば、自動的にエンジンが停止するってわけか」

《そういうこと。指示を出すから、そのとおりにセットして》

 ふたりは指示されるがままに、作業にとりかかった。トトが銃を持ち、霧矢がエンジンを調査する。パイプの構造を把握するのに、ひどくとまどった。あるものは配管の奥に埋没しており、あるものは表面にひどい熱を持っていた。

 霧矢はハンカチを手にまき、一本一本、ていねいに調べた。破壊するのは、冷却水の流れているパイプに限定しなければならない。熱水が噴き出したり、ガスが漏れ出したりすれば、アウトだ。霧矢の神経は研ぎ澄まされていた。

 そして、その研ぎ澄まされた精神のなかに、ふと、ある問いが浮かんだ。

「……ねえ、トトさん、『エイリアン』は見たことあるんだよね?」

「え?」

 トトは気をつけの姿勢をたもったまま、首だけふりむいた。

「『エイリアン』。初代だよ」

「あ、はい、口から口がシャーッって出るやつですよね」

「『プロメテウス』は?」

 知らない、とトトは答えた。

「エイリアンシリーズの最新作だよ……初代は、なんで観たの?」

 トトは、ちょっと困ったような笑顔で、

「アカデミーでは、古典の授業があるんです。ホラー嫌いでも履修させられます」

 と答えた。

 霧矢は、とりわけ細い、網の目状のパイプにとりかかった。

 視線を金属の表面に固定しながら、くちびるを動かした。

「『エイリアン』で一番おどろいたのって、どこ?」

「じつは怖くてあんまり見てません。目をつむってました」

「なんでもいいよ」

「……主人公があのひとだったことですかね」

 トトは天井をみあげて、

「あの映画、だれが主人公なのか、最初に見せてませんよね?」

 と言った。

「そのとおりだよ。『エイリアン』でリプリーが主人公だってわかるのは、物語がだいぶ進んでからなんだ。だけど、そういうふうに思うひとは、ほとんどいない。彼女が主人公なのは、あまりにも有名で、だれでも知ってるから。むしろ今では公式が、女性主人公だったことを宣伝してるよね。当時は斬新だった」

 霧矢は、まるでひとりごとのように、先をつづけた。

「『プロメテウス』っていう作品の主人公も、女性なんだ。これは初代『エイリアン』のオマージュだって言われてるし、じっさいにうまくオマージュされてると思う。初代『エイリアン』のときは、戦う女性そのものが新鮮だった。おそらく、宇宙船で働く女性そのものもね。だけど、『プロメテウス』が作られたときは、ちがう。べつの意味を持たせてる。主人公のエリザベス・ショウは考古学者で、女性も研究者になれる時代をあらわしてる。初代のときは願いだったものが、現在では成就なんだ。だからシリーズを再開するにはふさわしくて……だけど、この世界……『恋愛黙示録ラブマゲドン』の主人公が茜さんであることに、そんな意味はないような気がしてる」

 霧矢のひとりごとの半分は、彼の批評家精神がなせるものだったのかもしれない。けれども、もう半分は、彼がこの世界の分析を怠っていたこと──宇宙という巨大な密室について、なんの考察もくわえなかったことに対する、後悔の念だった。

(キャラの配置には、なにかある。なんで境界知能の少女を主人公に?)

 境界知能のひとびとに対するエンパワーメント。

 それが理由であったならば、霧矢も納得しただろう。

 茜には、なぜかその力があるように感じられた。

 リプリーを演じたシガニー・ウィーバーのように。

 しかし、そのような作者の意図は、この舞台からは読み取れなかった。

 霧矢はもっと邪悪なものを感じていた。

 キャラクターに対する侮蔑、あるいは、被造物に対する嘲りのようなものを。


 ジッ


「?」

 配管の調査が終わりかけたとき、エンジンの操作パネルに雑音が入った。

 霧矢は身がまえた。トトもそれに気づいて、銃口をパネルに向けた。

 砂嵐のような雑音が続いたあと、急に老人の声が入った。ドクターの声だった。

《こちら探査艇キーテジ号、本船はテラ系第三惑星を離脱し、次の惑星を目指して航行中。原因は不明。テラ系第三惑星は依然として移住可能につき、本船の追跡は不要》

 霧矢は、それがキーテジ号の出発後に録音されたものだと気づいた。

 パネルはふたたび雑音を流し、それからまたドクターの声が入った。

《本船のマザーコンピュータは何者かに乗っ取られた。詳細は不明。犯人はまるで神のようだ。船内のシステムは完全に掌握されている。方法がわからない。地球人数名が船内に乗り込んでいるが、そのなかに犯人らしき人物はいない。彼らはただの地球人だ。マザーコンピュータへのアクセス方法など知っているはずがない。だが……》

 ふたたび雑音。

《アカネくん、聞こえとるか? このボイスレコーダがみつかる可能性は、ほぼないじゃろうがな。もし聞いているのなら、ひとつ質問させてくれ。アカネくん、神は殺せたかね?》

 とうとつな質問に、霧矢はとまどった。

「神……?」

 ボイスレコードは、だんだんと間延びし始めた。

 老人の声が不気味にうなり、もういちど問いかける。

《アカネくぅウウン……神はぁア……殺せ……たかねぇエエエ……?》

 霧矢は背筋が凍った。そしてそれを最後に、ボイスレコードは途絶えた。

 霧矢が呆然としているところへ、トトが、

「き、キリヤさん、だいじょうぶですか?」

 と遠くからたずねた。

 霧矢は我をとりもどし、プラスチック爆弾のセットを再開した。

 通電用のコードを伸ばし、物陰にかくれる。トトも霧矢のうしろにかくれた。

《それじゃ、3、2、1で押してね。3、2……》

 そのときだった。室内に、強烈なサイレンが鳴り響いた。ライトが消え、緊急事態を示す赤い光が、トトの顔を朱に染めた。そして轟音とともに、室内が激しく揺れ始めた。

「じ、地震ですッ!」

 トトが大声を出した。

 ありえない。ここは宇宙だ。霧矢はそう叫びかけた。

「トトさん、とにかく隠れてッ!」

 トトは、たまたま壁にあったくぼみに飛び込んだ。霧矢をさそう。

「キリヤさんもここへッ!」

「そこはもうスペースがないよッ!」

 霧矢は周囲をみまわした。

 頭上から、金属同士がこすれあう不気味な音が響いている。エンジンのそばに立ち続けるのは危険だった。

「……ッ!」

 壁の一角に、四角い空間が口を開けていた。

 部屋というより、大きなくぼみに近い。

 なにに使う場所なのかはわからなかったが、少なくとも天井と三方の壁がある。

 霧矢はそこへ飛び込んだ。

「キリヤさん!」

「だいじょうぶ! トトさんはそこにいて!」

 叫んだ直後だった。

 ガシャン、と背後で金属音が響いた。

 霧矢はふりかえった。

 いま入ってきたばかりの場所を、分厚い扉がふさいでいた。

 霧矢は扉に駆け寄り、自動センサーに手をかざす。

 開かない。

 両手で押しても、びくともしなかった。

「まさか……閉じ込められた?」

 揺れは、いつのまにかおさまっていた。

 かわりに、赤いランプが点滅を始める。

 ブーッ、ブーッ、と低い警告音が鳴った。

 そして、どこからともなく、マザーの声が聞こえてきた。

《廃棄物搬送区画を閉鎖しました》

「……廃棄物?」

《船外投棄シークエンスを開始します》

「……まさかッ!」

 霧矢は、背後を振り返った。

 入ってきた扉とは反対側の壁に、一本の黒い線が走っていた。

 その線が、ゆっくりと上下にひらいていく。

 その向こうには、壁も廊下もなかった。

 暗黒の宇宙があった。

「うそだろッ!?」

 霧矢が叫んだ瞬間、空気が轟音を立てて流れ始めた。

 身体がうしろへ引っぱられる。

 霧矢は床に両手をついた。だが、つるつるとした金属板には、つかまる場所がない。

 身体が投棄口へ向かってすべっていく。

「うわあああッ!」

 とっさに右手を伸ばす。

 ゆびが壁際の金属製のバーにひっかかった。

 霧矢は両手でしがみついた。

 風が耳元で悲鳴をあげる。

 足はもう床から離れかけていた。

 投棄口の向こうで、星々がちらちらと光っている。

 手をはなせば、終わりだ。

「マザー! 止めて! ぼくはゴミじゃないッ!」

 返答はない。

「聞こえてるんだろッ!」

 マザーは沈黙していた。

 霧矢は歯を食いしばった。

 バーを握っている手が、じわじわとすべっていく。

「くそッ……!」

 そのときだった。

 赤い警告灯の下で、小さな表示板が点滅していることに気づいた。

《廃棄物残量 53・2kg》

「……残量?」

 数字が、一瞬だけ変化した。

《廃棄物残量 48・7kg》

「……床かッ!」

 この装置は、床に残っている廃棄物の重量を測っている。だったら──霧矢は両腕に力をこめた。

 鉄棒にぶら下がるように、身体を持ち上げた。

 両足を床から離した。

《廃棄物残量 0・0kg》

 警告音が変わった。

《廃棄物の投棄を確認しました。船外投棄口を閉鎖します》

 宇宙を切り取っていた開口部が、ゆっくりと閉じていく。

 流れる空気が弱まった。

 最後に重い金属音が響き、暗黒の宇宙が完全に見えなくなる。

 霧矢はバーから手をはなし、床に尻もちをついた。

 全身から、汗が噴き出していた。

 あと数秒、気づくのが遅れていたらどうなっていたのか。

 想像したくもなかった。


 ゴウン


 床が揺れた。

 さきほどの震動とは違う。

 一定方向へ、ゆっくりと身体が沈んでいくような感覚がある。

 霧矢は壁に手をついた。

 低い機械音とともに、周囲の壁そのものが下へ動いている。

 いや、違う。

 動いているのは、この空間全体だ。

 表示板の文字が変わっていた。

《廃棄物搬送リフトを回収します……下層集積区画へ移動中……》

 霧矢はその場にへたりこんだ。

 どうやらここは、船内の各所からゴミを集め、必要に応じて船外へ投棄するための搬送設備らしい。

 霧矢が飛び込んだのは部屋でも廊下でもなく、巨大な廃棄用リフトそのものだったのだ。

 数十秒ほど下降したところで、リフトが停止した。


 チン


 場違いなほど軽い音が鳴った。

「……」

 霧矢は無言で立ち上がった。

 正面の扉が左右にひらいていく。

 その先には、大きな倉庫のような空間が広がっていた。

 高さ十数メートルはある吹き抜けで、天井には六角形の開閉式ハッチがみえた。奥には木箱や金属製の箱が山積みになっており、それらを運搬するためのカートロボもあった。

 どの機械も沈黙していた。

 主のいない空間のなかで、風景の一部に甘んじていた。

 貨物倉庫だろうか──霧矢はあやうく、HISTORICAを落としかけた。

 倉庫の中央で、長い黒髪の少女が、こちらに背をむけていた。

 麦わら帽子をかぶっている。

 手には猟銃──死んだかもしれない。それが霧矢の第一感だった。

 少女はふりかえった。まちがいなく茜だった。

「キリヤ、どうしたんだ?」

 霧矢は一歩さがった。

 HISTORICAを背中にかくす。

「あ、茜さん、なんでここに……?」

「サクラに呼ばれた」

「サクラさん……?」

 そんなバカな。サクラは死んだのだ。

 そう思った霧矢は、質問を飛ばした。

「サクラさんは、どこに?」

「忘れものを取りに、コックピットへもどった」

「何分前?」

「さっきまでそこにいた」

 ウソだ──霧矢はHISTORICAを射撃モードに切り替えた。

 背中から腕を引き、照準を一瞬で合わせる。

 画面を押そうとした刹那、銃声が聞こえた。

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