4
国境にあるターツ駅まで列車は停車せずに、ひたすら進む。
馬車や単線鉄道と違い、大きな揺れや騒音もなく、滑るように走る列車の旅は、すべての乗客を満足させるくらいに快適だった。空調も整備され、外の寒さが嘘のように車内は暖かく心地よい。
だが、心地よくない人が一人だけいた。
ヴィスである。
「うるさいよ!」
壁際にもたれかかり眠ろうとしていたヴィスは、トリアに抗議した。トリアは読んでいた書類から顔を上げ、首をかしげた。
「うるさいですか?」
「ああ」
ヴィスが力強くうなずく。トリアがもう一度首をかしげ、肩をすくめる。
「では、車掌にもう少し静かにするよう、お願いしてみましょう。しかし、あなたは実に繊細ですね。この列車の静音設計は、最新の――」
「ちがうよ、うるさいのは、お前だ」
ヴィスは、トリアの車両設計の授業をさえぎった。
「私?」
驚いたようすでトリアが自分を指さす。黙って書類に目を通していただけなので、まさか抗議の対象になっているとは思いもしなかったようだ。話しかけるなというから、トリアはヴィスが話しかけてくるまで、一度も口を開くことがなかった。
「私は、書類を読んでいるだけですが?」
「お前の中の音だよ。ほら、耳を澄ますと歯車がカチカチいってるだろ」
かすかな音だが、一定のリズムにしたがって、ウィーン、カチカチ、ギギギギ。列車が静かなぶん、余計に音が響いて聞こえた。さきほど、内部を見たせいもあり、気になって仕方がない。
「なるほど。ですが、これは仕様であって、仕様がない」
「どこで、そんなくだらないダジャレを覚えるんだ……」
「このダジャレは、ヒーン駅の二階にある……」
「聞いてないよ!」
「はい?」
トリアは不思議そうに首をかしげ、聴覚センサーの自己点検プログラムを起動させると宣言した。点検は二秒で終わり、結果は問題なしだった。トリアはその結果に満足し、しばらく考えたあと、にこやかに言った。
「ああ、皮肉的なニュアンスを含んだ、ひとり言ですね」
ヴィスは大きなため息をひとつした。
ウサ駅の係員が笑った訳が、今はっきりわかったような気がする。
ヴィスは立ち上がり、ドアノブに手をかけた。
「どこに行くんですか?」
「食堂だ」
もう長い時間、なにも腹に入れていない。ヴィスは乗車口に書いてあった車輛案内を思い出しながら言った。案内板にあった「新鮮な食材に、最高のシェフが腕を振るう旅先での最高の贅沢!」をどこまで信じていいかわからなかったが、ヴィスは大いに期待していた。
きっと今までに食べたことのないような料理が、ずらりと並ぶにちがいない。
ヴィスは、よだれをふきながら得意げに胸を張った。
「お前のしない食事ってやつをしてくるよ、腹いっぱいになれば、音なんか気にせず、ぐっすり眠れるだろうしな」
「あの、ヴィス……」
トリアが申し訳なさそうに、おずおずと手をあげた。反射的にヴィスの背中に緊張が走った。また、なにかとんでもないことを言い出すんじゃないだろうな。
「な、なんだ」
「見学させてもらえませんか?」
「見学?」
突然のお願いに、ヴィスは間の抜けた声でおうむ返しに聞き返した。
「さっきも言いましたが、私は食事をとりません。ですから、あなたの言う“食事”というものを見学させてほしいのです」
変なことをお願いされたものだ、ヴィスは思った。対処の仕方がわからない。「どうぞ、ご自由に!」というのも変だし、「ダメだ、ダメだ! お前に見せる“食事”はない!」では、なにがなんだかわからない。食べているところを見られても別に、料理が減るわけではないが、そもそも、見ることになんの意味があるのか、わからない。
ヴィスはトリアをあらためて見た。
黒い瞳を潤ませ、祈るような姿でトリアがこちらを見つめていた。
ヴィスは思った。
あの目はズルい。
「一度だけだ、それ以上は絶対にダメだ」
もったいぶった口調でいうのが、やっとだった。




