第199話 合図は一言!
ウォーカーが、机の上の小さなケースを開けて陸の前へ押し出した。中には、耳にかけるタイプの小さな無線機が入っていた。
「最後に、これを試しておきたい」
言われるまま右耳にかけると、ウォーカーも同じものを自分の耳にかけた。通訳の女性も、ヘッドセットを付け直す。
「明日、中であなたが召喚体を全部止めると決めた時、それを外の全員へ一度で伝える合図を決めておきます。英語を話す必要はありません。この無線で、一言だけ」
「一言……」
「ストップ」
ウォーカーは、日本人にも聞き取りやすい発音で、ゆっくりそう言った。
「あなたがそう言ったら、外の全班はその場で動きを止めて、あなたの召喚体が戻るのを待つ。こちらからあなたへは、『JOHN、カムバック』。それを聞いたら、外へ出てきてください」
ストップと、カムバック。それなら言えるし、聞き取れる。
「では、今。本番と同じように」
陸は無線機の横のボタンを押した。部屋の中の全員が、少しだけ手を止めたのが分かった。
「ストップ」
一瞬、何も起きなかった。
それから壁のスピーカーから、英語の短い返事が次々に返ってきた。男の声、女の声、後ろで風の音が鳴っている声。一つ返るたびに、地図の封鎖線の上の四角が緑から黄色へ変わっていく。二重の赤い線が、外側から順番に黄色い印で埋まっていった。
「全班、停止を確認」
士官の声を、通訳の女性が訳した。
ウォーカーが自分の無線のボタンを押した。陸の右耳のすぐそばで、さっき目の前で聞いたのと同じ声がした。
「JOHN、カムバック」
「りょ、了解です! 出ます!」
思わず日本語で返してから、陸は自分で少し笑ってしまった。ウォーカーの口の端も、わずかに動いた。彼が無線へもう一言何か言うと、地図の四角は黄色から緑へ戻っていった。
隣の椅子で、エリナが小さな声で「すとっぷ」と繰り返していた。
部屋の中が元の忙しさに戻っても、ウォーカーはしばらく、地図の中心の印を見ていた。
「二つ目の班を中へ入れたのは、私の判断です」
通訳の女性の声が、少しだけ低くなった。
「彼らは準備を全部していた。帰り道も、何重にも確かめていた。それでも戻らなかった。……だから、あなたが止めると言った時、私はそれを止めない。今の文書は、そのためのものです」
陸は膝の上の手を、一度握った。
「俺も、止めます。止めた方がいいと思ったら、何も起きてなくても」
ウォーカーは頷いた。それから、もう一度手を差し出してきた。今度の握手は、最初のものより少しだけ長かった。
ホテルへ戻った時には、窓の外の空が橙色に変わっていた。
食事の部屋のテーブルには、もう料理が並んでいた。帰る時間に合わせて運んでおいてくれたらしい。大皿に山盛りのハンバーガーとフライドポテト、焼いた肉、サラダ。脚の短い台の上の平たい皿には、一口ずつに切られた肉が載っている。
ハンバーガーは陸の手のひらより大きかった。両手で持ってかぶりつくと、肉汁が手首まで垂れてきた。
「でかっ……うまっ」
エリナは自分の皿を半分ほど食べたところで、居間の方をちらりと見た。残りの半分を急いで平らげると、口の周りを舐めながらソファへ飛び乗り、止めてあった画面の前で、コントローラーを一つ、前脚で陸の方へ押し出した。
「つづき」
「分かった分かった」
陸は手を拭いてソファに座った。壁いっぱいの画面の中で、二人のキャラクターが向かい合う。
一戦目は、陸が最初にエリナを足場の外へ吹き飛ばしたところから、なぜか崩れた。気づいた時には、自分のキャラクターが画面の端から落ちていくところだった。
「え、ちょっと待って、今の何!?」
「れんしゅう」
「ちょっとやっただけでそんな上手くなる!?」
二戦目の途中で、テーブルの上に置いたスマホが震えた。通訳の女性からのメッセージだった。
『明日は朝六時にお迎えに上がります。封鎖線へ向かいます。ウォーカー指揮官も、現地でお待ちです』
陸は「了解です」とだけ返して、スマホを置いた。
画面の中では、陸のキャラクターが足場の端で、ぎりぎり踏みとどまっていた。
「リク、よそみ」
エリナのキャラクターが、真上から降ってきた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
面白かった、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや☆評価、感想で応援していただけると励みになります!




