第193話 特別便!
七時ちょうどに、インターホンが鳴った。
画面に映ったコンシェルジュが、お迎えの方がお見えです、と短く告げる。陸は最後にもう一度だけ所持アイテムの一覧を開き、一番下の行にコントローラーが二つ並んでいるのを確かめてから閉じた。
「エリナ、行くぞ」
「いく!」
返事は玄関の方からだった。夕方から寝ていたエリナは、陸が顔を洗っている間にもう靴箱の前で待っていた。
エントランスを出ると、黒いワゴン車が横づけされていて、その脇に高瀬が立っていた。いつもの濃紺のスーツで、手に薄いファイルを抱えている。
「おはようございます。よく眠れましたか」
「エリナは、たぶん俺の倍くらい寝てます」
エリナは返事の代わりに、開いたスライドドアからさっさと車内へ上がっていった。
車が首都高に乗ってしばらくすると、高瀬がファイルを差し出した。
「渡航の書類です。向こうへ着くまでこちらでお預かりしても構いませんが、一度ご覧になってください」
中には英語の書類が何枚かと、紺色の小さな冊子が挟まっていた。表紙を開くと、自分の顔写真の横に、佐藤陸という名前がアルファベットと並んで印刷されている。
「パスポート……俺の」
空港のニュースで、みんなが当たり前のように出していたものだ。自分の名前が入っているのを見るのは、これが初めてだった。
「エリナさんの分は、先方の受け入れ書類に含まれています。同行者として、お名前もお伝えしてあります」
「よかったな、エリナ。ちゃんと名前で入れてもらえるって」
窓に張りついていたエリナが、耳だけこちらへ向けた。ビルの隙間に見えていた東京タワーが、ゆっくり遠ざかっていった。
空港に着いても、車は出発ロビーの前には停まらなかった。
ガラス張りの大きな建物と、キャリーケースを引く人たちの列を横目に通り過ぎ、建物の端にある別の入口へ回る。ゲートで係員が高瀬の書類を確かめると、遮断機が上がった。
通されたのは、ソファが数脚とカウンターが一つあるだけの小さな部屋だった。カウンターの向こうの職員にパスポートを渡すと、ページをめくって何かを確かめ、判を押して返してくれる。
それで終わりだった。
「……え、終わりですか? 荷物の検査とか、並んだりとか」
「お荷物は、佐藤さんの所持アイテムの中ですので」
高瀬が、ほんの少し笑った。
部屋の奥の扉が開き、職員が外へ手を向ける。
扉の向こうは、もう滑走路の側だった。
風が強い。遠くで旅客機のエンジンが低く唸り、足元のコンクリートには白や黄色の線が何本も引かれている。その線の先に、白い飛行機が一機だけ停まっていた。
陸は足を止めた。
近くで見ると、思っていたよりずっと大きい。主翼が頭の上へ覆いかぶさるように伸びていて、その下に吊られたエンジンだけで車一台分くらいある。白い機体には細い灰色の線が一本走っているだけで、航空会社の名前もロゴもない。尾翼の近くに、小さく英字と番号が書かれていた。
「あれ……ですか?」
「はい。先方の政府が手配した機体です」
「え、じゃあ、これ一機丸ごと、アメリカから俺らのために来たってことですか!?」
「お二人と、お二人の装備のためです」
高瀬の視線の先で、機体の腹の部分が大きく開いていた。小さな作業車が横づけされ、黒いケースが一つずつ運び込まれていく。札が差さった、あの三つだった。一番大きなケースが二人がかりで持ち上げられ、そっと機体の中へ消えていく。
陸がそれを見送っている間に、エリナは一人で前へ出ていた。
機体の真下まで歩いていき、主翼の付け根を見上げる。それから自分の翼を半分だけ広げて、見比べるように首を傾けた。
「リク。これ、はばたかない?」
「羽ばたかない羽ばたかない。思いっきり走って、その勢いで浮くんだって」
「はしる」
エリナはもう一度主翼を見上げると、今度はエンジンの丸い口の方へ回り込もうとした。陸は慌てて後ろから抱え上げた。
「そっちは駄目だって。吸い込まれたらどうすんだ」
機体の横に掛けられたタラップの下で、制服の女性が待っていた。高瀬はその手前で立ち止まった。
「私はここまでです。向こうの空港では、受け入れ担当の方がお待ちになっています。現地では、こちらの方が通訳として同行します」
タラップの脇に、見覚えのある女性が立っていた。会議の時、部屋の隅でヘッドセットに手を添えていた人だ。今日はヘッドセットの代わりに、肩から大きな鞄を提げている。目が合うと、女性は小さく会釈した。
「研究班との回線も、到着後すぐつなげるようにしてあります。何かあれば、時間は気にせずご連絡ください」
「はい。……行ってきます!」
「お気をつけて」
高瀬が頭を下げる。陸もそれに返して、エリナを抱えたままタラップを上がった。
入口で、制服の女性が英語で何か言って微笑んだ。ウェルカム、だけは聞き取れた。
「さ、サンキュー」
中へ入って、陸は二歩目で止まった。
座席が並んでいるものだと思っていた。そこにあったのは、部屋だった。
床にはベージュの絨毯が敷かれ、窓際に大きな革張りの座席が二つ、向かい合わせに置かれている。間には木目のテーブル。その奥には三人は座れそうなソファがあって、さらに奥の仕切りの向こうにも、まだ客室が続いているらしかった。
「飛行機の中ですよね、ここ……」
向かい合わせの座席のうち、窓側の一つには厚いクッションが二枚重ねて置かれていた。その上に、二つ折りのカードが立ててある。
ERINA。
もう一つの座席のカードには、JOHNとあった。
「エリナ。これ、エリナの席だって」
「エリナの?」
陸が腕を下ろすと、エリナはクッションの上へ飛び乗った。ちょうど窓の高さに顔が来る。座ってから、エリナはカードを鼻先でつつき、陸を見上げた。
「エリナって、かいてある?」
「書いてある。英語でな」
エリナはカードを倒さないように、前脚でそっと位置を直した。
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