第186話 引き返す判断!
新しい線の先は、ゆるい下りの岩道だった。
このあたりは壁に埋まった結晶が少なく、青白い光が途切れ途切れに続いている。サモンマップを開くと、探索班二組の印はずっと先で二股に分かれ、それぞれの線を少しずつ伸ばしていた。その後ろをガーゴイルの印がゆっくり追い、ベヒーモスたちの印は陸たちのだいぶ後ろについてきている。
しばらく歩いたところで、片方の線が止まった。
止まって、そのまま折り返してくる。ガーゴイルの印は回り始めていない。
「……ん?」
戻ってきたのはウルフとバットの組だった。陸の前で足を止め、来た方へそろって頭を向ける。さっきアビスリザードを見つけてきた時と同じ動きだ。けれど上ではガーゴイルが回っていないし、組の後ろから何かが追ってくる気配もない。
「ナイト、前な。エリナ、俺の後ろ」
ロイヤルナイトを先に立たせ、陸は探索班の組について岩道を下った。ブレイズウィザードとホークアイが左右につき、頭の上をガーゴイルの翼が横切っていく。
曲がり角を一つ抜けると、岩道が急に広くなっていた。
広くなったのではなかった。削られていた。左の岩壁が、陸の背の倍ほどの高さで大きく抉れ、表面に太い溝が何本も横向きに走っている。崩れた岩はまとめて道の端へ押しやられ、足元の岩床にもところどころ窪みが空いていた。割れた面だけが、周りの黒い岩より白っぽく見える。
陸は窪みの一つの前でしゃがんだ。
両腕を広げても縁に届かない大きさだった。真ん中ほど深く割れていて、縁の岩は外側へめくれている。上から、とんでもなく重いものを叩きつけた形だ。同じ窪みが少し間を空けて、岩道の奥へ点々と続いていた。
「……これ」
見たことがある。
あの時、タイラントドレイクの前脚が岩床を叩いて、黒い岩がこうやって砕けた。曲がり角で岩壁に肩をぶつけても止まらなかったし、崩した岩もすぐに抜けてきた。
「リク。これ、まえの?」
エリナが陸の肩のすぐ横から窪みを覗き込んでいた。
「分かんない。でも、アビスリザードじゃないのは確かだ」
アビスリザードなら、今日だけで四体と戦った。あの巨体が暴れても、岩床はここまで割れていなかった。
陸はロイヤルナイトを先にして、窪みの脇をもう少しだけ進んだ。岩道は少し先で盛り上がっていて、その上からは下の方が見渡せる。
窪みは坂を下り、ずっと先の広い窪地へ続いていた。途中に立っていたらしい太い結晶の柱が根元から折れて倒れ、砕けた欠片がそのあたりだけ青白く散らばっている。窪地の奥は暗く、結晶の光も届いていない。
何も動いていない。音もしない。
それでも、陸はそこから先へ足を出す気になれなかった。
サモンマップを見ると、もう一組の探索班は二股のもう片方をまだ進んでいる。窪みの続く先は、その線ともまったく別の、誰も通っていない暗がりだった。
その時、上でガーゴイルの印が円を描き始めた。
陸が顔を上げると、白い翼は窪地とは反対の、右手の岩棚の上で旋回していた。岩棚の陰に、黒青色の背中が半分だけ見えている。アビスリザードだ。まだこっちには気づいていない。
「……いるじゃん」
あの距離なら、ホークアイの矢は届く。ウィザードが壁を立てて、ナイトが二回振れば終わる。さっきまで何度もやってきたことだ。後ろからベヒーモスたちを呼べば、もっと早い。魔石が一個、鱗と爪がひと束ずつ。
陸は窪地の方へ目を戻した。
戦い始めたら、終わるまで出られない。前の時は、それで四十体を呼んで、ようやく出られた。
アビスリザードとやり合っている最中に、もしこの跡の持ち主がこっちへ向かってきたら。今のナイトたちなら、あの時よりは長く止められるかもしれない。けれど、止められるかもしれない、で確かめる相手じゃなかった。
「……やめとこ」
口に出すと、やっぱり少し惜しかった。
「たおさない?」
「今日はいい。帰るぞ」
陸はサモンマップの上で、二股の先にいるもう一組へ戻るよう指示を出した。旋回していたガーゴイルにも戻れと命じると、白い翼は円を崩し、陸たちの真上まで滑るように下りてくる。
来た道を引き返した。
ロイヤルナイトを最後尾に回し、ブレイズウィザードとホークアイを前に出す。窪みの並ぶ岩道を抜け、曲がり角を一つ戻ったところで、坂の下からベヒーモスたちの足音が近づいてきた。二体のアビスリザードとフラッシュも一緒だ。コボルトベヒーモスは陸の顔を見ると、大きな骨格を岩壁に擦らないように向きを変え、ロイヤルナイトのさらに後ろへついた。
残るは、遠くへ行っていた探索班だけだった。
陸はサモンマップを開いたまま歩いた。二股の奥から、探索班の印が、さっき通った線の上をこちらへ近づいてくる。途中で止まることもなく、まっすぐ戻ってくる。しばらくして、後ろの岩道からウルフとバットの組が飛び出してきた。
「よし、全員いるな」
陸は振り返って一体ずつ数えた。前に二組の探索班、ナイトとウィザードとホークアイ、ベヒーモスとリザード二体とフラッシュ。上にガーゴイル。誰も欠けていない。後ろからは、骨の足音しか聞こえなかった。
新しい線へ入る手前の、見覚えのある岩道まで戻ったところで、陸はようやく足を止めた。全員をストックへ戻し、システムメニューから退出を選ぶ。
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個人ダンジョンから
退出します。
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黒い岩壁が消え、麻布台のリビングに戻った。窓の外はもう暗くなっている。
「きょうは、はしってない」
エリナが陸の足元から見上げてきた。
「……走ってないな」
陸は笑って、そのままソファへ腰を落とした。
前は、見つかってから逃げるしかなかった。今日は、向こうがどこにいるのかも分からないうちに、全員そろって歩いて帰ってきている。
陸はスケルトンストックを開き、今日連れていった主力を並べて表示した。
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ロイヤルナイト B Lv.46
コボルトベヒーモス B Lv.45
フラッシュファングウルフ B Lv.45
テンペストガーゴイル B Lv.42
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「お、ガーゴイル上がってる!」
朝は41だった。
その上の三体は、朝見た時と同じ数字のままだった。
「ナイトは……そのままか」
Bランクを四体倒して、魔石も素材も前の何倍も持って帰ってきた。それでも、ロイヤルナイトの数字は一つも動いていない。最後に上がったのは、たしか先月の初めだった。
Bになったばかりのガーゴイルなら、まだ一日でちゃんと動く。けれど、上の三体はもうBになってから長い。
第11階層の祭壇なら加護がある。ただ、香炉で祭壇の周りへ集まってくるのはDやCだ。ポイントをどれだけ積んでも、相手が弱ければ今のナイトたちにはほとんど入らない。第12階層ならアビスリザードがいるが、祭壇はない。それに、あの階層で香炉を焚いたら、寄ってくるのがアビスリザードだけとは限らない。
「……こいつら、Aにしたいんだけどなあ」
エリナがソファの肘掛けに前脚を乗せ、陸の手元の画面を覗き込んだ。
「Aになったら、今日のあれだって見に行けるかもしれないだろ。でも、そこまで育てられそうな相手がいるとこには、さっきみたいなのがうろうろしてるんだよ」
「まえの、おおきいの」
「そう。あいつのいるとこで、のんびりレベル上げなんかできないし」
エリナは少し考えるように首をかしげた。
「おく、いく?」
「行かない。今日みたいなの見つけたら、また帰る。……けど、それだとずっとこのままなんだよな」
「べつのとこ、さがす?」
「別のとこかあ……」
第12階層の、別の方角。それとも、もっと別の場所。どこなら安全で、どこならBより上の相手と戦えるのか、陸にはまだ見当もつかなかった。
テーブルの上で、スマホが震えた。
画面には高瀬の名前が出ている。
「はい、佐藤です」
『高瀬です。夜分にすみません。佐藤さんに、至急ご相談したい案件があります』
いつもの落ち着いた声だった。ただ、話すのがほんの少しだけ速い。
『これから、お時間をいただけますか』
陸は背もたれから身体を起こした。
「大丈夫です。……何かあったんですか?」
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